弐
楸瑛を見送った後、琳麗は疲労困憊している若い医師たちに飲み物を与えていた。
ふと、前を横切る秀麗と燕青に目を向けると二人は奥にある天幕へと入っていった。
燕青の手には“干將”――それを託した静蘭が成長した証でもある。
燕青には分かっていたみたいだ、静蘭が秀麗を官吏と見ていたか、家人として主と見ていたか。
それが曖昧で、州牧として秀麗の仕事までを邪魔しかねたかった。
「……流石、燕青さんだわ…」
ふふっと微笑した後、琳麗は葉医師に思いついたことを言いに行ったのだった。
「葉医師」
「おぉ、琳麗嬢ちゃん。見事な馬術だったのぅ」
「宋太傅や霄太師に鍛えられましたから」
医師たちの中でも元気な葉医師に琳麗は首をすくめながら答えると、葉医師は「全く何をやらせとるんじゃ」とぶつぶつと溢した。
「で、どうかしたのかのぅ」
「切開後の縫合についてですが……」
「……ふむ、流石じゃのう。琳麗嬢ちゃん」
「いえ、その方が効率がいいと思いまして。私が無理を言って着いてきたのもありますし……」
少し苦笑する琳麗の腰をポンポンと葉医師は軽く叩いた。
「琳麗嬢ちゃんはやる事があるのじゃろう……霄に頼まれたんじゃ」
「そうでしたか……本当にすみません」
「気にするな、琳麗嬢ちゃんがいるおかげで若いモンたちもピシッとするからのぅ」
「そうならいいんですが……」
少し疲れが取れてきたのか、さっきまで下を向いていた若い医師たちは顔をあげていた。
「……しかし、奴らがどれだけ分かっているかじゃな。目の前でバタバタ人が死ぬ光景に」
「……そうですね」
琳麗は幼い頃を思い出した。十年前の王位争いのことを。
でもあの時とは違う。
今は治療法も医者も薬も物質も、秀麗たちが頑張って用意したのだ。
「秀麗は凄いですね、流石自慢の妹です」
「そうじゃのう」
二人はそう言って、少し身体を休めたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
皆が荷物の確認をしている時、秀麗たちにも飲み物をと、琳麗は彼女たちがいる天幕まで行くと話し声が聞こえた。
「燕青も知ってるように、例の噂……本当に、私のせいかもしれないし…」
「まさか」
「だけど…教祖の名前が……『千夜』って…」
「……っ!」
『千夜』――あの猫のような目。緩やかに流れ落ちる巻き毛を思い出す。
そんなはずはないと琳麗は思うも“邪仙教”が何をしたいのか分からない。
琳麗はふとそんな事を考えていると、ハッキリとした声が聞こえた。
「――私の首が必要になったときは、燕青――遠慮なく、やってちょうだい」
琳麗は息を潜め、二人の会話を聞いた。もしかしたら燕青にはいることを知られているかもしれないけれど、気配は消していたのだ。
予測はついていた。秀麗が静蘭を置いてきたことで、だからこそ静蘭は燕青に“干將”を託したのだ。何がなんでも秀麗を守らせる為に。
「……あの奇病って、姫さんが生まれるずーっと前からあって、姫さんが死んでも一人も治らないって、知ってるよな?」
「ええ」
「それじゃ“邪仙教”の思うつぼだろ。姫さんがこの病の原因だなんてデタラメ抜かしてる連中の」
「もし、私のせいで混乱が起きて治療が遅れたら何にもならない。何よりも治療を優先しなくちゃ」
「そりゃあ」
「ぎりぎりまで説得もする。それでも病の原因は絶対に私だって、聞く耳をもってくれないかも。紅 秀麗という鎮静剤以外効かない時が来るかもしれない」
「……」
「燕青のいちばんの仕事は、私を守ることじゃないでしょう? 茶州の州尹だもの」
燕青はため息をついた。
「俺に姫さん殺せって言うのか」
「……っ」
突き刺すような声音に、秀麗の顔が強ばる。
「邵可さんとか琳麗姫さんとか静蘭とか、姫さんのこと好きな奴らの憎しみ全部背負って姫さん殺して、俺にこれからの人生生きろって」
「お願い。燕青にしか頼める人がいないの」
確かに静蘭には無理だ――。
静蘭だったら秀麗の身代わりを用意し、遁走しそうだ。いや、するだろう。
しかし、そんな秀麗が死ぬことは決してない。あるはずがない。
琳麗がそう考えていると、燕青が溜め息をついた。
「静蘭には無理だから、俺にその役をやれって?……姫さんにとって今回の『最善』ってなに?」
「最善の策…」
「あぁ」
「――守れるものは、全部守る、よ。もちろん、私自身も。そのために全力を尽くすわ。生きて、帰るわよ、燕青。そのために力を貸してちょうだい」
「――わかった。最初から死ぬことを考えてる上司なんて信用できねぇ。いつ無責任に死に逃げるかわからねえからな
……それでもそのときがきちまったら、もうそれしか残ってねぇってことだよな。わかった。もしそんときがきたら、誰にも邪魔はさせねぇ。
いいよ、姫さんの人生、俺が丸ごと引き受けてやる。静蘭に一生憎まれて追っかけられることになっても、――姫さんの首、ちゃんと俺が王様と邵可さんらに届けてやるから」
「……ね、ねぇ燕青……いま、いまなんか凄いこと……言わなかった?」
「姫さんが先に言ったんじゃん。もしものときは最期よろしく、あなたにしか頼めないの。って」
「そうだけど…」
「おお、考えてみりゃ凄いぞ。俺、もしかして静蘭より愛されてる?」
「……だってねぇ、静蘭だと私に似た女の子の死体用意してまで遁走しそうなんだもの……」
「あっはっは、やるやる。絶対やるって。けど、コレを俺に託したってことは、あいつもだんだん分かってきたよなー?」
燕青は“干將”を手にしてそう呟いた。
その後二人は少し話した後、秀麗は天幕から出ていった。
入れ違いで入るように琳麗は声を掛けると燕青が振り向いた。
「琳麗姫さん…」
琳麗は立て掛けてある“干將”を目にやった。
「……ありがとう、燕青さん」
「琳麗姫さん?」
「秀麗の『もしも』の願いを受け入れてくれて、秀麗を『官吏』のままでいさせてくれようとして、ありがとう」
「話、聞いてたんだよな」
「えぇ。でも、燕青さんが背負うことはないわ。大丈夫、『もしも』は起こらない。いつでも最悪の事態も考えなくてはならないけれど、『もしも』は起こらないわ」
真っ直ぐ見つめてくる眼差しに燕青は言葉を詰まらせる。
この人は妹が死ぬかもしれない、俺が殺すかもしれないという状況になっても、秀麗を『官吏』として見ているのだ。
燕青は頭をガリガリと掻いた。
彼女がいったい『何者』なのかと思えてしまう。
そっと彼女が“干將”に触れるのを眺めていた。どこか清廉されたその空間が別次元に見えた。
「燕青さんは静蘭の伝える意味は分かっているのよね」
「……あぁ」
頷くと琳麗は緩やかに微笑したのだった。
「しっかし、琳麗姫さんまで来るなんて思わなかったぜ」
「ふふ、私は私の役割があるの」
「さ、色々支度をしましょう」
琳麗はポンッと燕青の背中を叩いて、天幕から出ていった。
その様子を燕青はただ眺めていたのだった。
第一幕/終
あとがき
ぐだぐだしすぎだし、琳麗がずっと空気。
2010/07/06