壱
崔里関塞を通って茶州入りした琳麗たちは、明日には虎林城につくところまできていた。簡単な夜営で夕餉を取り、仮眠をとったらまた出発になる。
琳麗は秀麗、燕青とともに薪を持って歩いていると、ポソッと呟きが聞こえた。
「まだまだ練習が必要じゃな〜」
呟いたのは葉医師で目線は数十人の医者たちが食肉解体作業をしている様子を眺めていた。
その食肉解体作業の光景は燕青に疑問を抱かせた。
「え、医者? なあホントにみんな医者? 腕っこきの庖丁軍団とか修行中の山伏の卵とかじゃなくて?」
「お医者さまですよ、燕青さん。人体切開の練習してるんですよ」
「いや、でも、え〜?」
何度も琳麗と秀麗に訊いたのだった。
「練習って、でも皆さんかなり上達してると思いますけど……ね、姉様。どれも綺麗に切り分けられて、料理するのもかなり楽になりましたし。むしろ、切開のあとの縫合……でしたっけ、そっちのほうが要練習だと思いますよ。まだほとんどの皆さんが縫い目ガタガタで全っ然見られたもんじゃないじゃないですか」
嘘偽りのない秀麗の厳しい評価に、切開練習をしていた医者たちはビシッと凍りついた。
切りまくっていた医者たちは、その後縫いまくれと言われて一様にその欠点に気付いた。
琳麗に針に糸を通すのを教えてもらいながらももたついた。無論、縫い目は見れたものではない。
「やー、しかし縫うより切るほうがやっぱ遥かに大事じゃからなー。多少縫い目がヘンでもとりあえず中身がはみでなけりゃいいわい」
「えぇっ、そうなの?」
驚きを隠せない燕青が訊ねると
「そうそう、後で宴会芸で笑いがとれたら儲けもんじゃし」
踊るように話す葉医師に、秀麗は持っていた薪を落とした。
「葉医師……」
琳麗はハァとため息をつき、燕青は小声で訊いてきた。
「……なあ姫さんたち、このじいちゃん、すげぇ医者なんだよな? パチモンじゃねーよな?」
「……ははっ…」
「こるぁ十文字髭吉! パチモンとはなんじゃー!」
「もう剃ったのになんで髭吉! ちくしょうマジで姫さんがくる前に剃っときゃよかった」
「まぁまぁ、燕青さん。逞しくて、私は素敵だと思いますよ」
「琳麗姫さんっ!」
「十文字髭吉がいやなら……じゃー十文字元髭太郎」
「「………」」
「…………く、くそぉ…………なんかお師匠に通じるもんを感じるぜ……」
会うなり妙なあだ名をつけられた燕青は、がっくりとうなだれた。ここまで彼を翻弄させるのはある意味凄い。
葉医師は近づき、若い医師たちに聞こえないように伝えた。
「縫う方は琳麗嬢ちゃんの提案もあって、ちょっくら考えがある。……一番の問題は、嬢ちゃんたちより遥かに現実がわかってないっちゅーこってな。あちこち回って年季入ってるやつらならともかく、体力重視して若いの選んだからのー。しかも大概箱入りボン。理屈と現実は全然違う。腹据えて立ち向かわねーと、邪魔になるどころか、心が、壊れる」
豚で切開練習をしている彼らをみながら彼は話した。
「……ま、見込みありそーなのを、見繕ってきたつもりじゃけどな……」
そのとき、少し離れたところで、全商連の連絡係から報告を受けていた柴 凜が、踵を返して駆けてきた。
「……紅州牧、浪州尹、いまいくつか新しい情報が届いたのだけどね」
「凜さん…」
珍しく、柴 凜はどう言おうか逡巡し、理知的な瞳を僅かに揺らした。
「……まず、春姫殿から。香鈴殿が影月殿を追って、一人石榮村に行ってしまったらしい」
「「一人で!?」」
春姫さんが精鋭武官の護衛を願いに州府に出向いてる間に、荷物をまとめて一人で飛び出したらしい。
それを聞いた燕青が「死にに行く」訳じゃないといった時、琳麗は何かを感じた。
今回の、邪仙教についてはあの家――縹家が絡んでいる。
彼らは秀麗の噂を隠れ蓑として、秀麗と影月くんが目的らしい。
不意に琳麗は“陽月”の存在を思い出した。
次々と新しい情報を伝えると、石榮村には村人全員――病人も含め、虎林の郡城まで来ているらしい。
香鈴のことも影月くんのことも心配だか、まずは病の収束をと考えた秀麗たちは忙しなく動きだした。
「――姫さん、メシ作ってる暇ねぇぞ。あの肉の山どうする?」
「食べられる部位即行で詰め込めんでもってくわ。強行軍で駆ければ朝日が昇る頃に虎林城よ。体力勝負なんだからお肉置いてくわけにはいかないわ」
「やった、ちょっと元気でだ。んじゃ俺は出立の準備にかかる。四半時で出るぞ」
竜巻のように動きだした二人とは反対に、柴 凜の話を耳に挟んだ医師たちは呆然としていた。
葉医師はぐりぐりと両のこめかみを揉んだ。
「凜嬢ちゃん、すぐに文を書く。到着までにしといてほしいことを書き出すゆえ、太守殿と先に向かわせてる薬師、鍼師たちに届けてくれい」
柴 凜は余計なことを言わず、すぐに頷いて早馬の用意を始めた。
その時、若い医師たちをみた琳麗はパンッ!と手を叩いた。
「なんですか! そんな呆然としてる暇はありませんよ!」
「そうじゃ! 揃いも揃って、魂すっぽ抜けた顔しよって! ほれとっとと動かんか!――やるこたわかってるな?」
若手の医師が生唾をのみこんだ。朝廷医官を束ねる陶老師の弟子の一人だ。
「あ、の……葉医師」
「でーいうるさいー。ぐだぐだ言うな。時間ないっつーとるじゃろ。考えるより動け! 琳麗嬢ちゃんを見習え!」
「「は、はい」」
先ほど医師たちを一喝した琳麗は既に動いていた。積み荷へと行き、物品の残量を調べる為に。
その姿を見て、若い医師たちも動きだした。
「病人を前にして、どうするか――覚悟を決めるか否かはお前たち次第じゃ」
眼差しと共に、彼は呟いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝、太陽を浴びながら医師を乗せた一団が城門近くまでたどり着いた。
「やっと着いたわね」
「そうね。秀麗、大丈夫?」
「うん、姉様も大丈夫?」
「私は大丈夫よ」
「夜通し駆けて来たからなぁ〜……お…」
呟いた燕青と同じように琳麗は城門へと眼を向けた。
「どうしたの?」
「こいつはちっとやっかいだぞ」
その言葉に秀麗も城門へと眼を向けた。
虎林郡を守る城郭で旗が振られ、城門が音を立てて閉まっていく。
そして、一斉に、城門の上で郡武官たちが矢を構えるのが見えた。
彼らは、誰が来たかを正確に察し――そして、ためらいなく射殺を選んだ。
琳麗はその光景にいつもの表情からは結びつかない、無表情でいた。だが眉間に皺がよっていることに怒っているのを葉医師は気付いた。
同時に秀麗を抱いて馬を駆る燕青の、歯ぎしりの音が聞こえた。
彼は秀麗を強く抱き寄せると、ひときわ大きく手綱を打つ。
「琳麗姫さん、凜、葉のじっちゃん、そこで待ってろ!!」
琳麗は頷きはしないものの燕青の眼を見て秀麗を頼むと眼で訴え、葉医師は「うむ」と返事をした。
「燕青さん!」
琳麗が名を呼ぶと同時に威嚇なのか一射が馬の脚下へと射たれた。
驚く馬を宥めながら、燕青は口を開く。
「このまま引き返せって訳だな。さもないと今度は本気で狙いますよってトコか」
「冗談じゃないわよ! 引き返すなんて出来ないわ!」
「さっすが姫さん。いい度胸してる! しっかりつかまっとけよー!」
秀麗に回していた腕を離し、棍をつかむ。距離取りと威嚇を兼ねて、弓矢が降ってきた。
燕青は避けようともせずに、馬の脇腹を蹴った。
燕青は閉まる門内に滑り込む為に速度を優先したが、閉門速度が遅くなると共に、誰かが馬で駆けてくる。
驚いた燕青は声をあげた。
「えええええ――っっ!? 丙のおじじ!? うわおい待て嘘だろ――――っっ!?」
燕青の叫びで、単騎で飛び出したのが丙太守――虎林郡太守に気付いた号令係の制止の命は、間に合わなかった。
霰のように矢が降り注ぐ。
琳麗はすぅっと眼を閉じ、燕青が丙太守と矢弾の間に滑り込むように馬を跳躍させた。
琳麗が風を操り、向かってくる矢の勢いを緩め、燕青は棍を回し、矢を落としたのだった。
「こらーおじじ! もう歳なんだから無理しちゃダメだろー!?」
棍で被弾を完璧に防いだ燕青は、矢の勢いがいきなり吹いた風で弛んだことに疑問を持ちながらも、とんでもない無茶を決行した太守に怒った。
丙太守は聞こえないふりで馬を降りると、秀麗に近寄っていくのが見えた。
無事な様子に琳麗はホッとし、張り詰めていた力を緩めた。
「丙太守……今までお一人で頑張って下さって、ありがとうございました」
秀麗が慌てて馬から降りようとして、燕青に助けられながら降り、丙太守に正式な立礼を取った。
「――助けにきました」
丙太守の顔が、歪んだ。――こらえきれなかったのだろう。
腕の前で組まれた秀麗の手を、ぐっと握りしめ、膝を落とした。
「……お待ち……申し上げておりました……」
秀麗も燕青も、何にも動じない丙太守の頬を伝い落ちる涙に驚いた。
「お見捨てくださらなかったこと……心から感謝いたします」
小さな村の為に、すべてを尽くして飛んできてくれた、二人の州牧。
モノのように簡単に切り捨てられることのない、幸せ。
丙太守は、今ようやく、茶州が見捨てられた地ではなくなったことを、心で知った。
その様子を見ていた柴 凜は促した。
「行きましょうか」
「いや、まだ凜嬢ちゃんたちはここにいた方がいいようじゃ」
「…………」
閉じようとしていた城門からぞろぞろと男たちが出て来た。
その目は異様にギラつかせていた。