弐
どやどやと駆けてくる、何十人ものの足音が聞こえた。
「……丙太守、そこをどいてください」
「みんな、その女のせいなんだべ?」
武官が最前列に出ていたが、後ろには街の男たちが槍や鍬を構えている。
琳麗はその異様な様子に眉を潜めた。それはギラギラと憎々しげな眼は秀麗だけに注がれていたからだ。
「……彼らは…」
「違っとるのぅ」
呟いたそれを繋げたのは葉医師だった。琳麗も頷き、彼らの様子を見ていた。
「……もういい加減にしてくれ」
「わしらになんの恨みがあるんだ。なんもかんもめちゃくちゃにしやがって」
「あんな気味悪い病バラまいといて、よくもノコノコきやがったもんだぜ」
「太守様も太守様だ。ずっと話のわかるお人だと思ってたに、あんな病持ちぞろぞろ入れて」
「いやいや、その娘っこになんぞ入れ知恵されたに違いねぇぞ。なんせ病をばらまける女だ。なんか妙な術でも使って太守様を操ってんのかもしんねぇ」
彼らにはもう何をいっても水掛け論なのだろう。
丙太守が何かを言おうとしたが、燕青が袖を引いて押し止めた。
否定さえ彼らは秀麗の『術』のせいにする。
(……愚かな…)
琳麗は無表情で彼らが口々に話すのを耳にしていたが、その内には怒りがあった。
「殺せ!!」
激しい怒号が巻き起こる。
秀麗共々石榮村の人々も引きずりだして火をかけろと、排除しろと声高に叫んでいる。
「私……ここじゃまだ死ねないわ」
「だよな。きっと次は昨日の便秘まで姫さんのせいにされるんだぜ」
「……もっと別のたとえにしてほしかったわ……」
「死ねねぇだと!?」
秀麗の呟きを拾った男たちの頭に、瞬く間に血が上った。
「――死ねません。できることと、しなければならないことがあります。誰も助けてないのにまだ死ねません」
「この女! よくも言えたもんだ!」
「責任とる気もねぇのか! お前がここで死ねば何もかもよくなるんだよ!」
彼らは秀麗が病の原因などと信じてはいない。誰でもよかったのだ。
適当な誰かに責任を押しつけて『生け贄』にして、祈って、ことが過ぎるのを待って。
一人の武官が、燕青に向き直った。
「浪州尹、仮にも州牧だというなら、民の為に当然命を差し出してしかるべきではありませんか。あなたが補佐としてその断を下すべきではありませんか」
「じゃあさ、今度虎林城下であの奇病が流行ったらどうすんだ? お前らが姫さんや石榮村にいったように、今度は虎林城下ごと隔離して全員焼き討ちしてもいいんだな?」
武官を含めた全員が、静まり返った。
秀麗に言い放った言葉が、そのまま自身に撥ね返った。
「怪しきは罰しろって、そういうことだぜ? そのことわかって言ってるんだろうな?」
「そ、それは……」
「いくら簡単だってさ、やられるほうにとっちゃたまったもんじゃないだろ。誰だって殺されたくも見捨てられたくもねーよ。病気になったら助かりたいって、思うのが普通だろ」
琳麗は眼を伏せた。そして眼を開けるて隣の馬上にいる葉医師を見つめる。
「だからさ、姫さんは見つけてきてくれたんだぜ。難しくても、頭使って体張って、駆けずり回って、治療法と、医者を見つけてきてくれたんだ。本当の『助かる』っていうのはそういうこったろ? わけわかんねー噂信じて鍬もって俺たち襲ったって、一人も助かんねーよ」
燕青の言葉によってギラギラしていた男たちの目が、少しずつおさまっていった。
「行きましょう、葉医師」
「そうじゃな」
ゆっくりと近づいていく。
なおも燕青の言葉は続いていた。
「なぁ、言ってる意味、わかるか? 今度この病がどこで起きても、もうどこも焼き討ちする必要はねぇ。大事な女房子供も、生まれてくる孫も曾孫も助かる。姫さんと影月が『何』を守ろうと思ってここまできたか、まだわかんねぇか? お前ら全部、この先まで、丸ごとだぜ?」
近くまで行くと、構えていた槍や鍬や鋤が、徐々に降りていくのが見えた。
「どうか通してください。“邪仙教”へは必ず行きます。そこで私の首が何かの役に立つなら、そのときは責任を果たします。けれど今は一刻の猶予もないんです。時間があるうちに、打てる手は打たせてください。お願いします。私たちは助けにきたんです。――道を開けてください――!」
波紋のように動揺が落ちたが、琳麗は馬から降り、素早く隠している短剣の柄に手をやった、そのときだった。
「騙されるんじゃねぇ!!」
大柄な男が飛び出し、怒鳴り声を上げた。
なにやら禍禍しい気配を感じる。
「よく考えてみろよ、もし“邪仙教”の言うことが本当だったらどうすんだ!! その女が仙人様の怒りを買ってんなら、何やろうと結局は全部無駄ってこっちゃねぇか!」
(……なにを!)
収まりかえっていたことが、血走った目と一見筋が通っているかに聞こえる怒号によって、完全には納得していない男たちの狂騒の燠火を容易にかきおこした。
「俺一人だってやってやる。その女一人殺してみんな助かるなら安いもんじゃねぇか。俺はやるぞ!」
まさにさっきと堂々巡りだ。それでも、その男の叫びは男たちの心に根強く残るのだろう。
下がりかけていた武器が金属音を立てて構えられる。
再び、目は異様な光を放ちはじめた。
丙太守が秀麗を守るように背にかばい、琳麗は自分の間合いをつくって秀麗の守りに入った。
だが秀麗は真っ直ぐ燕青の背を見つめていた。
「――えん、燕青!」
「守らなくていいなんて、まさか言わないよな?」
「……言えないわ。……でも、何があっても、私が引き受けるから……」
「うん、よろしく」
驚いたのか、振り向いた後の燕青の表情(かお)を見た琳麗は、なんとも言えない気持ちになった。
(……秀麗…)
次の瞬間、男が先頭切って駆け出した。琳麗は風を使おうとしたとき
「やめて――――っっっ!!」
小さな女の子が、男たちの間から泣き叫びながら転がり出た。