弐
誰が、などと漣は訊かなかった。かわりに笑いだした。
能無しだから。男だから。何の役にも立たないから。
「――お母様、お母様、お母様」
悲痛に似た声に琳麗は頭痛が起きそうになった。流れ込む悲しさに、琳麗は顔を歪めた。
何もかもどうでもいい存在。漣が生きていることさえ、あのひとは気付かないに違いない。
能力がないなら、ないなりに、書物を読み、剣を鍛えても、まるで無意味。
どんなにどんなに求めても、あのひとが自分を見たことは一度もない。
(それはあの天女に似ている――愛し求めても“私”を見ようともしなかったあの天女)
そして、これからも。
儚い夢を見ることさえ、許さない。
小さな期待も何もかも粉々に壊し尽くして。
(“私”を汚いモノを視るように見たあの眸――だから奪ってやったのだ)
……それでも、夢を見て、愛してほしいと、おもってしまう、自分がいちばん憎い。
(夢を見た、ひとときの夢、幻――だが慈しむ心が憎かった――私は“彼女”を奪われたくなくて……幸せを奪った…)
書物を読んで、ずっと憧れてた――温かくて、優しくて、日だまりのような笑顔を向ける。
いつか、自分にも。いつか――……。
(“私”を慕う眼差し、温かい手に、夢を見た。次に出逢う時は、きっと……)
漣は不思議な感覚を感じていた。
まるで自分と同じ感情を持つ者が傍にいる感覚を。
漣はリオウを見下ろした。
「……ふん、お前も、気をつけることだな。お前は璃桜様の血を継いでいるから、ぼくと同じ『能無し』でも『お母様』に生かされているだけだ」
「知ってる」
リオウの眸にも、その声にも淡々として何の感情もなかった。
漣は、僅かな哀れみを込めてリオウを見た。
同じ『無能』同士、リオウと漣はときどき、一緒に書物を繰ったりもした。
漣はその時間が嫌いではなかった。
琳麗はスッと前へと足を踏み出した。
「姉様?」
「琳麗様?」
秀麗と静蘭の声が聞こえないのか琳麗は立ち止まることもなく、漣の前へと向かう。
リオウはそれを眺めていた。
「なんだ、お前…………
| 蒼華 | |
蒼華 | |
「……ようやく、逢えた…」
最後の言葉は誰にも聞き取れなかった。その場にいた二人以外には。
琳麗は微笑を浮かべ、ゆっくりと漣に手を伸ばし、漣の身体も引き寄せられるかのように動いた。
「私たちはこういう運命なのだな……ありがとう、私を見つけてくれて……ありがとう、
| 蒼華 | |
蒼華 | |
最期の最期に彼は求めていたモノに出会えた。
例え相容れない運命だとしても、“彼女”が微笑んでくれたことに“彼”は救われたのだった。
漣はもう時を過ごすことはない、もう、『お母様』のことで、心がバラバラになることも、ない。
リオウを見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「じゃあな」
身体は既に死んでいる。漣はただ――自分が『もう死んでいる』ことを認めればよかった。
そして、ぐらりと、華眞の身体が崩れると同時に琳麗もまた倒れたのだった。
名前を呼ぶ声が聞こえた。
ようやく逢えた
我が姫
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
“千夜”を失った縹家の術者たちは隙を伺って逃げようとしたが、静蘭たちによって気絶させられた。
「ったく、往生際が悪い奴らだ」
秀麗は倒れた琳麗の傍に駆け付けた時、龍蓮がボソリと呟いた。
「――いない」
「「「え…」」」
静蘭も辺りを見渡し、先ほどまでいたリオウの姿が消えていた事に驚いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗が倒れると静蘭と秀麗は急いで駆け寄った。
「気を失ったようです」
「どうして、姉様は…」
秀麗の言葉を耳にしながら、静蘭は琳麗が発していた言葉を考えたが、それは霧消された。
影月が華眞の身体の傍に、倒れるように膝をついた。
「……堂主様」
眠るように優しい寝顔は、今度こそ、影月の記憶の中にあるものだ。
影月の中で思い出がよみがえる、愛して、愛して、愛した人。それ以上に影月を愛してくれた人。
すべてをくれた人。
「……幸せでしたか? 堂主様……」
答えは、聞かなくてもわかっている。だから、影月も泣くかわりに笑った。
「……あのとき、手を、繋いで下さって、ありがとう、ございました」
影月の睫毛が、ゆっくりとおりていく。
呼ぶ、声がする。
秀麗さんや龍蓮さん、燕青さんや静蘭さん……琳麗さんは大丈夫だろうか――そして……。
最後まで、大切な人たちが傍にいてくれる。
本当に、幸せ、だった。
君がいてくれて、よかった。
……命の最後の雫がすべり落ちていく。喉の奥に残っていた吐息がこぼれて。
(そう……いちばん最後に)
たくさんの『ありがとう』を陽月に。
「――――……」
最後の呟きは、声になるまえに消えて。
愛する人たちを眸だけで抱きしめるように一度だけ瞬き、静かに、瞼をおろした。
影月が、ぐらりと、華眞の身体に向かって倒れこむ。
重なり合う寸前、『影月』の腕が身体を支えるように地を打った。
ゆっくりと身を起こし、小さく頭を振って、前髪をかきあげるように額を押さえる。
やがて音もなく立ち上がった。
「……影月、くん……?」
注意深く訊いた秀麗を見つめ、そして、呆然と涙をこぼして見上げてくる香鈴を見た。
最後に涙を溢して気を失っている琳麗を見つめた。
だが、陽月は何もかも振り捨てるように、背を向けた。
「『影月』は死んだ。もうこの世のどこにもいない」
彼はそう言い残し、その場から去ったのだった。
終
朱温スルーしました。すみません。
2011/02/05