壱
琳麗は石榮村の民家で眠っていたが、隣室には熱を出して倒れた香鈴が眠っていた。
『影月がもういない』と告げられた後、倒れたのだ。
葉医師が診ると熱も下がらず、意識も混濁していた。影月のことが余程衝撃を与えたようだった。
「何より生きる気力が感じられない。まるで抜け殻のようだ」
「葉医師! 香鈴は助かるんですよね」
「熱さえ下がればいいんだが……今夜は眼を離さんようにな」
葉医師はそう告げると席を外し、隣室へと向かった。
横たわる琳麗を見つめ、葉医師は息を吐いた。彼女はただ眠っているだけに過ぎない。
それでも無事で良かったと安堵する。
いくつかの偶然が重なり、“千夜”と名乗っていた漣に、かつて『蒼華』を攫った魂が宿っていた。
彼の魂が漣と同化する前に、彼の身体は既に息絶えた。
それでも漣は母親の愛に焦がれ、ヤツは『蒼華』を焦がれ、同調していた。
早く、自分を見つけて欲しい、と。願い、夢を見た。
惹かれるのはまた運命、蒼華にとってヤツは慈しんでくれた相手、惹かれない訳がない。
だが、琳麗は――。
葉医師は頭を振り、榮山に囚われていた村人を診に室から出ていったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は静かに閉まる扉の音に眼を覚ました。
そして、窓際にいた優しい気配に眼を向けた。それはそっと山へと飛んでいった。
琳麗はそこから立ち上がり、三日月を眺め、眼を伏せた。
ゆっくりと身体が浮かぶのを感じ、眼下に広がる景色を眺めた。
山の中腹に片膝を抱える『陽月』の姿、そして、金色の光を帯びた青年の姿。
「柄にもねーことすっからだぜ、白夜」
それは琳麗と同じく、優しい気配を追ってきた黄葉だった。
黄葉は、白夜を見下ろした。
「わかってるだろ。あと一つだけ、手はまだ残ってるぜ」
「……なんで、オレがこいつのためにそこまでやってやんなきゃならん」
「バッカ、お前。とっくにここまでしてやってて、今さらそんなこと言うわけ。笑っちゃうね。いっとくけど、国試前にお前見たとき、オレも紫霄もマジで目を疑ったぜ。も、ほんと変われば変わるっつーか。あの“薔薇姫”の予言ほどじゃないけどな」
ぴくりと、白夜の眉が寄った。
黄葉は腕を組んで、遥か下の石榮村を見下ろした。
「聞いたときは絶対ありえねーって爆笑してたのにさ。……本っ当にまんま成就したからな。あれに比べりゃちょっとしたこったろ。いーんじゃないの。
気紛れはお前の得意技だろ。どうせ長くてせいぜい五十年だ。俺たちにとっちゃ、瞬きよりも短い時間だぜ。たまーに、こっそり出てくる時間くらいはつくれるだろ。そんときは美味い酒もってってやるよ。それに見つけたからな――」
黄葉は一瞬、三日月を仰ぎ見るように天を見上げ、その場を去った。
やがて雲が三日月を隠すようにし、琳麗も眸を閉じる。
『陽月』が立ち上がったのを気配で感じながら、琳麗は意識を戻した。
「琳麗嬢ちゃん」
「……葉医師…?」
「しっかりと寝台で寝となきゃいかん、身体を壊すぞ」
気付けば、起き上がったはずの寝台に横になっていた。
「あら……なんで…」
「それはこっちの台詞じゃわい。様子を見にきて見れば、窓際で伏せていたんだからな」
「すみません、葉医師…。そういえば、秀麗たちは?」
訊ねると葉医師は少し眉を寄せた。
「秀麗嬢ちゃんたちは隣室にいる。なんでも影月という少年がいなくなってな、香鈴嬢ちゃんが倒れたんじゃ」
「えっ!?」
「そのせいで熱を出してな、看病しとるんじゃ。静蘭と十文字髭太は消えた彼を探しに行ったわい」
「…………」
「どうしたんじゃ?」
「影月くんは戻ってきます、絶対に。――私、秀麗のところに行きます。秀麗もずっと張り詰めてて疲れているはずだから…」
琳麗はそう言ってふわりと笑ってみせた。その眼差しに葉医師は眩しいものをみるように眼を細めたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
トントンと扉が叩く音がして、秀麗が振り返ると琳麗が立っていた。
「姉様! 起き上がって大丈夫なの?」
声を張り上げた秀麗に琳麗は人差し指を口唇に当てた。
「んっ…」と香鈴が身動ぎしたのにハッと口を押さえた。
「もう大丈夫よ。さ、代わるわ。秀麗も疲れたでしょう」
「でも、姉様……」
琳麗は香鈴の額の上にある手巾を取り、冷水に浸して絞り、また額へと乗せた。
「……香鈴なら大丈夫よ、彼女は強いから」
「で、でも姉様、影月くんがいなくなって……香鈴、熱を出して……わた、私、香鈴に頼ってばっかで…香鈴なら私たちを助けてくれるって、思ってて……うっ…」
泣き出した秀麗に琳麗はそっと抱きしめた。
「大丈夫、落ち着いて」
「で、でも……」
「少し眠りなさい。大丈夫、次に眼を覚ました時には香鈴も元気になるわ」
琳麗はトンッと秀麗を軽く叩いた。ゆっくりと揺れる秀麗の身体を隣の寝台へと座らせた。
「あれ……なんだか…眠……」
「私が看てるから、あなたも休みなさい…………お疲れさま、頑張ったわね」
毛布を掛けてやり、琳麗は秀麗を髪紐解いて撫でてやった。
反対に横たわる香鈴の傍に座り、琳麗は手を握った。
白い頬に残る涙の跡を見やりながら声をかけた。
「……大丈夫よ、香鈴。もうすぐ「それは僕にやらせてもらってもいいですか」もちろんよ――影月くん」
「ありがとうございますー」
琳麗は場所を譲り、椅子には影月が腰を下ろした。彼は香鈴の手を握りながら、呟いた。
「琳麗さん」
「どうかした?」
「『陽月』からの伝言です」
「陽月くん、から?」
「はい。『幸せにならなきゃ許さない』だそうです」
影月はこちらを向かずに喋っているので、琳麗からはその表情は見えない。
「『もう惑わされるな』だそうです」
「――――、そう、分かったと伝えて」
「はい、伝えておきます」
「まだお帰りとは言わないでおくわね。最初に『ただいま』と『お帰り』を告げるべき相手は香鈴でしょうから」
「! ありがとう、ございます」
琳麗は微笑すると、扉から入って来る二人を見つけた。二人が「「あっ」」と声を出そうとしたのを琳麗は手で塞いだ。
「今は二人きりに。静蘭、秀麗を隣の室に運んで」
「はい…」
そうして室には香鈴と影月だけになったのだった。
やがて香鈴が目を覚まし、影月から話を聞いたのだった、抱きしめ合いながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
華眞の遺体は影月によって埋葬された。
墓石の前に手を合わせる影月と香鈴の姿を眺めながら、まだ雪が残りながらも新芽を綻ばす木々を見つめた。
「春はもうすぐそこまで来ているのね」
「そうね」
「ええ。この山里にも確実に」
「まぁ、あそこには特別早く春が来ちゃってるみたいだけどな〜」
燕青が影月たちを見ながら笑みを溢した。
「ふふ、幸せそうで何よりだわ……」
「ね、姉様……」
「どうかした?」
「姉様はあの時、どうして…」
秀麗が言わんとしている事が分かり、琳麗は苦笑した。燕青はもちろん、静蘭もかなり気にしているようだ。
ただ一人、理解しているだろう龍蓮は心配そうに見つめてくる。
「どうして…と訊かれると迷うけれど、――カレに会う事が運命だったのかもしれないわ」
「? 知り合いだったの?」
「知り合いではないわ、でも、惹かれていたのかもしれない。それでも私は、私たちは相容れないのよ」
「…………姉様、よく分からないわ」
「俺も」
秀麗と燕青は首を傾げながら見てくるのに、琳麗は「だから私もよく憶えてないのよ」と微苦笑したのだった。
静蘭はなんとなく、アレが琳麗を惑わせていたモノだと気づき、眉を潜めていた。
「静蘭、大丈夫よ。もう、大丈夫だから」
「琳麗様…」
琳麗は静蘭の手を取り、笑みを浮かべた。
「あれ、なんかあそこにも春来てねぇ?」
「え、姉様と静蘭!?」
燕青と秀麗のヒソヒソ話に、琳麗はクスクスと笑い、静蘭は燕青に対して睨みつけたのだった。
「我が心の友らの愛を祝して」
パチンと音を鳴らした龍蓮の頭から花が一斉に飛び出した。
秀麗、燕青、静蘭は呆れながら龍蓮の様を見ているが、琳麗はただただ微笑っていた。
こちらに向かってくる影月と香鈴を見つめ、琳麗は蒼く澄んだ天を見上げた。
―――春はもうそこまで来ている。