参
翌日の州牧邸は、一日中人で溢れていた。
先日、秀麗たちは買い物兼観光と言って出掛けていたにも関わらず、何も買わずに帰ってきた琳麗は首を傾げた。
野菜は琳麗がそのまま茶家から頂いて来たのだからいいのだが、話を聞いてみると、行く先々の店で何も言わないうちに食材や香料、お茶、物品などを押しつけられたらしい。
城下の人々が姫州牧が近いうちに貴陽へ帰ることを聞き、心から別れを惜しみ、たくさんのものを渡してくれたそうだ。
そして、秀麗たちがお礼に、と一日誰でも州牧邸に出入り自由にし、商魂たくましい商人たちによって、周辺に出店がずらりと並んだ。
まるでお祭りのような騒ぎに、悠舜があっさり臨時祝日にしてしまった。
庖厨に立った女性陣の目的は、もともと菜のつくりっこだったはずだが、大量の人出に全くそれどころではなくなった。
頭で考えるより、作って作って作りまくって身体にたたき込むハメになったのだった。
星が瞬き始めた頃、ようやく身体が空いたのだろう秀麗と影月が悠舜にこっそり手招きされ、室から出ていった。
琳麗は惨状の後片付けを香鈴と龍蓮とでしていた。
なかなか働かない龍蓮に香鈴はぷりぷり怒っていたが、琳麗が龍蓮に頼むと動く姿にびっくりしていた。
「ねぇ、龍蓮は知っていたのね」
「“藍 龍蓮”とはそういうものだ」
「それでもあなたは決して私を止めなかった……ありがとう。色々終わったわ…」
「……そなたが無事ならそれでいい」
「私だけではないでしょう……大事な人があなたに出来て良かったと思う、これからも秀麗と影月くんたちと仲良くね」
「当たり前だ、我らは心の友なのだからな」
服を翻し、笛を取り出そうとした龍蓮を琳麗はやんわりと止めた。
「綺麗な月夜よ、きっと茶州はこれから楽しみね」
琳麗の言葉に龍蓮は何も言わなかったが、街の灯を眺め、琳麗は微笑した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「琳麗様、こちらにいらしたのですか?」
「静蘭」
琳麗は庭院の片隅にある椅子に座り、月を眺めていると声を掛けられた。
振り向いた先には手にお茶を持つ静蘭の姿に、ゆっくりと微笑をした。
「甘露茶ね」
「はい。秀麗お嬢様に淹れて頂きました」
「ふふ」
「琳麗様はこちらで何を?」
「月を眺めていたの」
琳麗が見上げている天をつられて見上げると、そこには淡い輝を放つ月が紺碧の天にぽっかりと浮かんでいた。
柔く淡い輝はどこか優しく地を照らしている。
「ここに座ったら」
「あ、はい」
ぽんぽんと隣の椅子を叩く、琳麗の隣に静蘭は腰を下ろした。
隣を眺めるとまた月を見上げている。
静蘭は訊きたい事があったがどう切り出していいのか分からずにいた。
「り「ねぇ、静蘭」はい」
「私、静蘭が好きよ」
「琳麗…?」
「迷ったりはしないし、ずっと前から好きよ。だから――もう大丈夫」
「……どういう事だったんですか」
琳麗は静蘭を見て、苦笑いをすると天を仰いだ。
「そうね……決して結ばれることのない相手、みたいなものかしら」
「…………」
「それでも大事な人だったのかもしれない……ずっと喚びかけていた人だもの」
「…………」
「あの教祖でもなく、首だけになった少年ではないの……なんていうのかしら、彼の中に僅かに存在していた“カレ”というべきなのかしら……私にも良くは分からないんだけど、解るのよ」
そう言うと静蘭の眉間の皺が寄ったのを見て、琳麗は困ったように笑った。
「矛盾していてごめんなさい。なんとなく…というと軽いけどそういう言葉でしか表せなくて…」
「琳麗……」
静蘭はそっと琳麗の頬に手を添えた。
「これで何度目ですか……得体の知れない者に心を寄せないで下さいと……出来るならば私が止めを刺したかった…」
「静蘭……もう喚ばれないわよ、もういないから」
きっと“逢う”ことで全ては終わってしまった。
“カレ”は肉体を持っておらず、憑いた人は違う人物を慕っていた。それに同調し、時折琳麗を喚んでいたのかもしれない。
「……私は貴方を愛してるから」
「私も貴方を愛してる……もう何年も前から」
「…静蘭」
「琳麗……」
口唇が重なり、満天の星の中、二人の影はひとつになっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、琥漣城に馬車が用意されていた。
香鈴が泣きながら秀麗との別れを惜しんでいる。
「香鈴、今までありがとう。影月くんと仲良くね」
「っ! 秀麗様」
香鈴は顔を染めながら、後ろにいる影月を振り返った。
琳麗はその様子を見ながら、傍らの静蘭と小さく笑い合う。分からない訳がないのに。
「影月くん、今まで一緒にいてくれてありがとう」
「それは僕の台詞です」
「ううん。本当に、たくさんたくさん、ありがとう。影月くん」
「何かあったら、いつでも呼んでください。飛んでいきます」
「私も飛んでいく。いつでも心には翼が生えている、心の友よ、困った時は空に向かって私の名前を呼ぶがよい」
国試以来ずっと一緒にいた二人の別れだったが、すかさず間に入ったのは二人の心の友である龍蓮だった。
秀麗は少し呆れながら「ありがとう」と頷いた。
「また、さよならね、燕青」
「だな。元気でな。ちゃんとメシ食ってよく眠るんだぞ」
「しみじみっていう言葉と縁がないわよね、燕青は」
「頑張れ、俺も頑張るから」
燕青はくしゃくしゃと秀麗の髪をかき撫でて、笑った。
燕青の言葉に秀麗はよく分からなかったみたいだが、後ろで聞いていた悠舜は笑っていた。
燕青は目線を静蘭に変えた。
「元気でな」
「お前もな」
「またね、燕青さん」
琳麗は静蘭の隣でクスクス笑いながら別れを告げた。
「琳麗姫さんも元気でな。静蘭になんかされたら言うんだぞ」
「大丈夫よ、……また会える時が楽しみね」
「お前、十年とか二十年とか、まかり間違ってもかかるなよ」
静蘭は、秀麗に聞こえないように脅しをかけた。
「…………さすがにこればっかは即答できねーんだけど」
「不正をしてでも通れ! 詩文の採点官に金色の饅頭送っとけ」
「わぁお前そういうこというか。お師匠の借金で首が回らねーこの俺に」
「…………悪い、私が間違っていた」
二人のやり取りを見て、琳麗は笑った。天を仰げば青空が広がっている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
馬車は琥漣城を出た。
琳麗は秀麗と同じ馬車に乗り、二人は窓の外を見ていた。
カラカラという車輪の音が、少しゆるくなった。
「……秀麗お嬢様、お客様です」
窓から前方を見るとそこには「秀麗お姉ちゃーん!」と駆けてくるシュウランの姿があった。
秀麗は飛び降り、抱きついてくるシュウランを受け止めた。
シュウランの後ろから、丙太守も追ってきた。
「どうしても見送りに行くといって、聞かなかったのですよ」
「秀麗お姉ちゃん……来てくれてありがとう。石榮村に――虎林に――茶州に。来てくれて……助けてくれて、ありがとう。私、嬉しかった。本当に本当に、嬉しかったの」
にっこりと笑顔を浮かべるシュウランの想いに琳麗は笑顔で秀麗を見つめた。
「私ね、決めたことがあるの。なりたいものができたの」
「わかった、お医者さんね」
「ううん。私、官吏になる」
秀麗は、ゆっくりと、眼を見開いた。
「……え?」
「私、官吏になる。秀麗お姉ちゃんが助けに来てくれたみたいに、今度は私が官吏になって誰かを助けに行く。たくさんたくさん勉強する。そしていつか、私、お姉ちゃんみたいな官吏になるわ」
秀麗の睫毛がゆっくりと震えた。
「それまで待っててね」
シュウランの言葉に秀麗は涙が堪えられなかった。
「頑張るしかないわね。可愛い後輩の為にも」
琳麗がそう言って、秀麗とシュウランの頭を撫でた。
「ど、どうして泣いてるの、秀麗お姉ちゃん」
「……ううん…ありがとう、シュウラン」
シュウランが心配そうに見てきたのを琳麗は大丈夫と答えた。
「私がこの子の後見人になります。必ずや状元及第させてみせましょう。それまで朝廷で、どうかあなたらしく、頑張られませ」
「朝廷で…私らしく…」
秀麗という例外が朝廷にいる限り、女人国試の可能性は残る。不可能ではない。
「……じゃ、シュウランがくるまで、絶対頑張らなくちゃならなくなったわね」
「そうよ、絶対待っててね!」
二人が手を握り合う姿を見ていた琳麗が不意に後ろを見て、気づいた。静蘭も気づき、秀麗に声をかける。
「……秀麗お嬢様、あちらを」
琥漣城を見ると、燕青と影月をはじめとする全州官がうちそろい、それぞれ最上級の官服に身を包み、土が付くのも構わず、州牧に対する正式な跪拝の礼をとった。
見れば、克洵や春姫、柴彰たちもいた。
燕青は顔を上げると、にかっと笑った。
「な? すっげー愛されてるだろ? 自信もてたろ? じゃな、姫さん」
秀麗は笑った。
「――ありがとう。さよなら」
そして、茶州の地をあとにした。
数ヶ月後、貴陽についた琳麗たちは、ニコニコと笑顔で出迎えた邵可に笑顔で「ただいま」を告げた。
邵可によっち散らかされた室を片付ける秀麗と静蘭の姿に、邵可は笑みを浮かべ、ふともう一人の娘がいないことに気づいた。
おや、と探せば、庭院にいる事に気づき、声をかけた。
「琳麗、どうかしたのかい?」
「父様、あれを見て」
琳麗の示す方を見ると、邵可も笑みを浮かべた。
「二人を呼んだ方がいいわね」
「そうだね。――秀麗、静蘭」
呼ばれた二人は庭院へと降り、琳麗と邵可の隣へと並ぶ。
そこには主上から送られた桜の樹があり、蕾をつけていた。
「もうすぐ春だね。季節は巡るものだよ、だから――」
「大丈夫、私は元気よ」
四人で桜の樹を眺めていた。
終
あとがき
大変遅くなりました。
多少というか、文章が色々おかしいかと思います。申し訳ございません。
次で完結いたします。
2011/02/21〜2011/04/27