壱
武芸大会当日。
琳麗は、お付き女官として三師の後ろに控えていた。三師や高官たちにお茶を振る舞おうとしていると横から声をかけられた。
「琳麗、お茶はこれでいいのかい?」
「と、父様っ!? どうして?」
「いや、私はお茶係をしようと思ってね」
お茶器を持って父がにこにこ笑っていたので、琳麗はぎょっ!とした。しかし、それが自分が準備したものだと気付き胸を撫で下ろした。
…………だが、それでも不安が拭い去れないのはなんでだろう…確かめるように琳麗は父に尋ねた。
「……えーっと、父様? あそこから持って来たのよね?」
「うん、君が準備していたんだろ?」
「(じゃあ、大丈夫か)ええ、じゃあ、お願いします。父様」
琳麗はニコリと笑い、もう一つの茶器で宋太傅の碗に茶を注ぎ、他の高官方にも注いていった。
「あ!! 絳攸様! あれはちょっとまずいです!」
秀麗は、ふと巡らせた視線の先に邵可がお茶を注いでいる姿を見つけてぎょっ!としていた。
「え? ああ、そうですよね。邵可様がお茶係なんて……」
首を向け、絳攸は呟いたが、すかさず秀麗はそういう事ではない!と声を出した。
「いいえ! そうではなく父のお茶が不味いのです!(ね、姉様〜何やらせてるのよ〜〜)」
一瞬、姉がいるのだから大丈夫かしら?と思った矢先、霄太師が一口飲んで思いきり噴き出した。
誰より驚いたのは琳麗であったのは言うまでもなく、慌てて父のに聞いた。
「と、父様っ!? どうしてっ!?」
邵可が注いだ他の方はなんでもないのだか、何故霄太師のみ?と疑問に思っていると
「ん? ああ、お茶が失くなったから新しく煎れたんだよ」
それはもう褒めてくれと言わんばかりににこやかに笑った。
ふらり…と琳麗と駆け寄って来た秀麗が眩暈を起こしたのは言うまでもなく、邵可は瞬く間に府庫へと連行されていった。
まあ、犠牲者が霄太師ただ一人というのが不幸中の幸い…というべきだろうか。
(……もしかして、父様、わざと?…………まさかね)
その真意は、邵可のみが知っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「え──本日はお日柄もよろしく、春爛漫の良き日にこのようなおめでたい大会を行なう事ができ大変喜ばしく思っております」
絳攸は、汗をだらだらと流し、緊張しているのかせっかく書いた原稿を広げるがまったく違う事を言っている。
「これは婚礼の儀か?」
すかさず突っ込む主上に、秀麗は苦笑いをしていた。
「ちゃんと原稿を書かれたのに緊張で文字が見えていらっしゃらないみたいね」
その様子に列席していた高官、侍官、しまいには女官たちにまで笑われていて琳麗は苦笑していた。
イライラしていた宋太傅は、立ち上がり一喝した。
「李 絳攸! 良いから始めぃ!」
「は、はい! では第一回宮中武芸大会を開始させて頂きます!」
宋太傅の一喝により長く垂れた原稿くしゃっとして絳攸は口を開いた。
「本日は上官下官の区別無く各々の腕を競っていただきたい。優勝者には金百両を進呈する」
宋太傅が厳かに告げると、その言葉に秀麗が反応した。
「金百両!……はぁ、私も出たい…」
ため息を吐く秀麗に劉輝は、考えたように口を開いた。
「解った、余も出て秀麗に賞金を進呈する」
「本当?」
「本当なら金ならいくらでも与えてやれるのだが、そなたはそれを良しとしないからな………これで騙していた事赦してもらえるか?」
「もうとっくに赦しているけど、賞金頑張って稼いでね?」
ニコッと秀麗が笑っていたのを琳麗は眺めて、クスッと笑った。
ふわッと吹いた風に、琳麗はハッとして着替えに歩いて行った劉輝の後ろ姿を眺めた。
(…………今日、また何かが変わる)
その姿をちらりと見ていた人物がいたのを琳麗は気付いていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「まさか主上まで参加されるとは」
「しかも準決勝まで残られたぞ」
「わしが手ほどきをしたのだ。そう易々と負けはしまい」
皆が語る横で、宋太傅は誇らしげに胸を張った。そして、傍らに控える琳麗をちらりと見て呟いた。
「おぬしも出ればよかったのではないか? 琳麗」
「……そんな訳にはいきませんよ」
見れば、舞台上では藍将軍が圧倒的な強さで相手を倒していた。きゃあきゃあ、と女官たちの黄色い声援が凄くてちょっとだけ、耳が痛くなった。
倒された武官によって巻き添えを食らった絳攸に、琳麗は苦笑していた。
準決勝、もう一組の対戦が始まる。
「次の手合わせ! 紫 劉輝 対 シ 静蘭」
絳攸の声と共に二人が向かい合っていた。
皆が見守る中、宋太傅は面白そうににやりとし、楸瑛は何かを確かめるように愉しそうに笑っていた。
琳麗は不安げに、少し顔を背けている静蘭を見つめた。「はじめぇっ!!」と絳攸の言葉にジリジリと互いをみていた。
──なにか、おかしい…
互いになぜか動かない。
先に攻めた静蘭の動きに劉輝は何かに気付いたのか?
──いつもとなにか違う。
静蘭があんなやみくもにかかっていく戦いなんて……。
(──静蘭?)
しかし、劉輝がそれをかわし剣を振ると静蘭の剣が飛んだ。
宋太傅が驚いたようにそれを見ていた。
「勝者、紫 劉輝!」
歓声と共に、琳麗はハッとするが静蘭は俯いたまま礼をしてその場を辞した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大会が終わり、四阿では優勝した楸瑛が女官たちに囲まれていた。
回廊にいた秀麗はその光景を眺め、感心しながらも呟いた。
「結局、藍将軍が優勝……」
「すまぬ……」
柱に手をつき、劉輝は落ち込んでいた。秀麗は苦笑いをしながらも口を開いた。
「それより劉輝どうかしたの? 決勝戦、全然気合い入ってなかったわよ」
が、聞いていないのか劉輝は回廊を歩く静蘭を見つけ、そちらに目を向けた。
「劉輝?」
「すまない」
去っていく劉輝を眺め、秀麗は首を傾げた。
「秀麗?」
「姉様」
「…どうかしたの?」
姉の問いに訳がわからない秀麗は、うーん…首を捻った後肩を竦め「よく、分からないわ」と苦笑した。
「そう……」と琳麗は呟き、劉輝たちがいる方向を向いた。
(──今頃、本当の意味で『再会』という事かしら…)
昨日までとは違う風を感じ、琳麗は瞳を閉じた。
「静蘭も劉輝も優勝できなくて、残念だったわ……はあ〜、金百両ぉぉ〜〜…」
傍らで嘆く秀麗に琳麗は、苦笑した。
「なんなら、あそこにいる藍将軍に頂くっていうのはどう?」
「そんな、それは無理よ」
「そうでもないよ」
クスクス会話していると、いつの間にか後ろに楸瑛が立っていた。
「「ら、藍将軍っ!?」」
ニコニコと笑う姿は悔しいが麗しいと思ってしまう。
しかし、こちらを横目で見てくる女官らの姿に琳麗はなんでもない振りをして、内心引き攣っていた。
「もしよかったら、あの金百両は差し上げてもいいよ」
「えっ?」
突然の言葉に秀麗と琳麗は顔を見合わせた。さすがの秀麗も唖然としている。
「ただし、琳麗殿が私に今宵付き合って下さったらの話だけどね」
「……秀麗、あちらへ行きましょう」
秀麗の背に手を添え、琳麗はさっさと後宮に戻ろうとしたが、楸瑛はスッと手を取り指に口付けを落とした。
「せっかく優勝したのですから、琳麗殿からも祝いのお言葉を頂きたく思っているのですがね、駄目でしょうか?」
その行為に傍らの秀麗は、真っ赤になり、みていた女官たちは悲鳴をあげていた。
琳麗といえば『藍将軍の悪い癖』としか受け取らずこめかみを揉んだ。
「……はあ〜、優勝はおめでとうございます。ですが、藍将軍…そんな事は私になど申さずに他の方に申して下さい」
取られていた手をスッと抜き、ため息混じりに喋る琳麗に秀麗は心の中で絶叫していた。
(──姉様って、姉様って、なんて鈍いのおぉぉぉぉぉ〜!?)
「……あなたはつれない方ですね」
楸瑛は、残念といった風な感じだったが、その瞳はやや悲しげに揺れていた。それに気付かず琳麗は言葉を続けた。
「そんなことをあちらこちらでおっしゃる貴方の方が罪な方だと思いますわよ、さあ、行きましょう。紅貴妃様」
「えっ……ええ」
琳麗に促され、秀麗は仕方なしに歩き出した。回廊を歩いているとさっき、どこかへ行った劉輝を思い出した。
「そういえば、劉輝はどこへいったのかしら?」
「……さあ?」
しばらく歩いて行くと、そこに見覚えのある姿を発見した。二人くっついているかのような角度だった。
秀麗は傍らの姉をみて首を傾げた。
「何かあったのかしら?」
「……とりあえず、行ってみたら?」
「姉様は?」
「私はまだやる事があるから……」
琳麗は、そのまま後宮ではなく庭院の奥にある宋太傅が稽古場として使う場所へと足を向けたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そこには、待っていたのだろうか宋太傅の姿があり、振り返るとニヤリと笑った。
「あのバカ弟子は気付いたか?」
「………ええ、静蘭を見つけて追いかけていきましたけど」
「そうか、名乗ったのか?」
その問いに琳麗は首を横に振った。
「……静蘭は静蘭です。清苑という方はおりませんよ」
「──まあ、そうだな」
「──そうです」
そう呟いた声は、夕暮れの昊へ吸い込まれていった。