「……早いわねぇ」


秀麗は静蘭の枕元で桃を剥きながらため息をついた。ちなみに琳麗は同席はしていなかった。女官という身分上仕事をしているのだ。


「もうひと月もたつのね」

「そうですね……私ももうこの室にいる意味はないんですけれどね」


静蘭はため息をつきながら、答えた。ひと月、静蘭は王の命により、宮城の一室で治療を受けていた。
秀麗のほうは致死毒だったとはいえ、解毒薬を投与して、二、三日眠ったらすっかり元気になった。
琳麗も一週間眠っていたとはいえ、外傷も何もなかった為に早々と起き上がって静蘭の看病や女官の仕事をしていた。
むしろ毒に似た香を吸い、全身激しい殴打を受けて腿に小刀を突き刺した静蘭の方が回復はずっと遅かった。
琳麗が起きたと聞き、いてもたってもいられず室を飛び出して行った後、傷が酷い静蘭は琳麗に叱られた。


『──静蘭は重傷なんだから!』


そう言われ、この室に強制連行されたのだった。それでも、ひと月もすればほぼ全快に近づいていた。
あの時、あのまま可愛いらしい姿を見ていたかったのに次に発せられた言葉に力が抜けそうになった。


『もう、からかわないで! ま、前もだけど……こ、こういうのは好きな人にしなさいよ……』

『……………………は?』

『だ、だから、簡単に抱きしめたり、せ、接吻したりっていうのは……好きな人にしなきゃダメよ。いくら私を慰めるからって、は、恥ずかしいし、誤解されるでしょう?』


真っ赤な顔が可愛いなどと思いながら、言われた事に顔をしかめた。


『あの……琳麗様…? 何か勘違いを──』


まさか、気持ちが伝わっていない──?
あれほど態度で示していたにも関わらず?

そう思い、真実を告げようとして扉が叩かれた。
入ってきたのは旦那様と秀麗お嬢様に劉輝……そして、なぜか楸瑛と絳攸。
見事な邪魔が入ったのだった。


旦那様はともかく、何故藍将軍と絳攸殿までいらしたのでしょうかね。

ふっと一瞬だけ黒い笑みを浮かべたのだった。


「静蘭? どうかしたの?」

「いえ、なんでもありません」

「そう? それでね、父様には、先に家に戻ってもらったわ」


秀麗はにこっと笑った。


「明日、家に帰りましょ?」

「……よろしいんですか?」

「私が出来る事は、もう何もないわ」


かた、と秀麗は小刀を置いた。さわ、と初夏のあたたかい風が室に舞い込む。


「……もともと、帰るってのを前提にしてきたもの。今頃、姉様も霄太師たちに伝えに行ってるわ」

「……主上が淋しがりますね、どう伝えるつもりですか?」


静蘭が小さく笑った。


「もう伝えたわ」


静蘭は目を見開いた。秀麗はちょっとだけ頬を膨らませた。


「それがね、『そうか』としかいわないのよ。もうちょっと別れを惜しんでくれてもいいと思わない?」

「……ちょっと訊きますが、そのあと庭院に降りませんでしたか?」

「へ? ああ、そうね、庭院の木の剪定がどうたらとか、訳わかんない事言ってたわ」

「………………」



静蘭は吹きだしそうになった。──昔から、ひどく落ち込んだ時、よく劉輝は庭院に降りて一人で鬱々と沈む癖があった。
そのたびに自分は庭院に隠れて座り込んでいる幼い少年を拾いに行ったものだ。ちなみに訳のわからない事を口走るのは最深の落ち込み度だ。


「きっと、主上も内心ではとっても寂しがっていると思いますよ」

「うーん、そうね。実はなんとなく知ってる。……随分懐かれたと思うもの」

「寂しいですか?」


秀麗はちょっと笑った。そうね、と呟く。


「三月近くも顔を合わせてきたもの。なんだかんだ言って楽しかったしね。──あの人、きっといい王様になるわ。そうでしょう? 静蘭」


そう言って、秀麗はまた笑った。



   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


──翌日
秀麗は静蘭と行きとは違い、少数の見送りに囲まれていた。


「お世話になりました」


ぺこりと頭を下げた秀麗だが、本来いるべきの姉の姿がないのに戸惑いを隠せなかった。そして、見送りに霄太師の姿がないのを寂しく思う。


「あの、──」


そう言いかけて、琳麗がやって来るのが見えた。


「姉様! 何していたのっ!?」


なんだか、疲れきった琳麗の姿に秀麗は駆け寄った。


「……秀麗、ちょっとした戦いが繰り広げられてね…」

「……? 戦いって? それに姉様、なんで女官服のままなの?」


それには、静蘭や邵可、劉輝たちも不思議に見ていた。琳麗は、ため息をついて口を開いた。


「……宋太傅と霄太師に『通い』でいいからとお付き女官を押し切られたの」

「「「「「………はあっ!?」」」」」


琳麗はこみかみを押さえた。昨日、帰ると報告すれば宋太傅が怒り、ダメだと剣を突き付けてきた。


『通いでいいから、出仕しろ! わしの剣の相手になれ!!』


そんなことを言うものだから、話にならないと霄太師のところへ暇乞いに行けば


『琳麗殿の梅饅頭が食べたいので宋のいう通り「通い」で女官仕事なさらんか』


最後には老人二人に泣かれてしまったのだ。


「……か、通いでなんていいわけ?」


そう秀麗は、誰に聞いたらいいのか分からない問いをした。
まあ、その辺はあの老獪じじいがなんとかするのだろう。とその場にいた誰もが思った。


「というか、琳麗は秀麗の姉だったのだな」


その呟きに琳麗は、そういえば言ってなかった。と思った。楸瑛や絳攸たちは「…知らなかったのか」「今更かよ……」と呟いていた。
琳麗は苦笑し劉輝に向き合った。


「改めまして、秀麗の姉であります紅 琳麗と申します」


にこりと笑う姿に劉輝は琳麗の手を握った。


「うむ、私は紫 劉輝だ。いつぞやは大変嬉しかったぞ」


そうして、嬉しそうに笑ったので琳麗もふわりと満面の笑みを零した。
その光景になにやら面白くない人物がいた。


「いつまで握っておられるのですか?劉輝、様」

「す、すまぬ!!」


そう言って、ぎゅっと握っている琳麗の手から劉輝の指を一本また一本と離していく。
劉輝は静蘭の穏やかな笑顔に、背中に冷たい汗が伝った。琳麗は苦笑し、楸瑛と絳攸も変な汗をかいていた。



「そういえば、霄太師は? 残念だわ、ちゃんとご挨拶したかったのに、お仕事なんて」


思い出したように言う秀麗に、劉輝はやけに怖い顔をした。ずい、と秀麗に顔を近づける。


「……秀麗、あの腹黒じじいにだまされてはいかんぞっ! 琳麗もだ」

「はあ?」


琳麗は苦笑し、邵可と珠翠、絳攸たちまでなにやらうんうんと頷いている。
事情を知らない秀麗は首をひねったが「腹黒」と「だまされる」にハッと反応した。


「──もしかして霄太師、約束の謝礼金を踏み倒すつもりじゃないでしょうね!? 冗談じゃないわ。父様、姉様、ちゃんとふんだくってくるのよ! 偉い方だからって甘い顔しちゃダメよっ!!」


見当違いの憤慨だったが、今度はこの言葉に劉輝が反応した。


「……秀麗は、金目当てで余に嫁いできた上に、余を弄んで捨てるのだな……」

「ちょっと人聞きの悪い言い方しないでちょうだい! 正当報酬といいなさいよっ」

「あのクソじじいにつかまされた手切れ金はいくらだ!?」

「金 五百両よ!!」

「安い! 秀麗待つのだ、余ならその三──」

「はーいはいはいそこまで」


楸瑛は劉輝の口を塞ぎ、その耳に囁いた。


『未練がましい男は、嫌われますよ。そんなんで静蘭を超えられると思ってるんですか? 再挑戦するんでしょう』


ぴたりと劉輝は口をつぐんだ。そして、楸瑛は静蘭を見た。


「静蘭は本当に羽林軍をでるのかい?」

「はい。もともとお嬢様にあわせての特進ですから。もとの部署に戻していただくのが筋というものです。昇進に不正があってはいけません」


それには、秀麗と劉輝はいかにも納得していない不満そうな顔をした。楸瑛はその本当の理由を思い返し、首を振った。
その様子に琳麗はくすっと笑った。琳麗も説得したのだが、理由を聞いた時は声を出して笑った。そして、もうひとつの理由も聞いてからは何も言わなくなった。

秀麗は珠翠と抱擁したあと、最後に劉輝と向き直った。琳麗は、目を閉じる。


ひとつ、終わって、また始まる


──でも、秀麗は怒るわね

次に起こることに琳麗は苦笑いしていた。

劉輝にだけは「遊びにきて」とは言えない。


「さよなら」


劉輝は肚をくくったように無言で頷いた。そしてちらりと静蘭を見る。
だがすぐにその首が傾いたかと思うと、次の瞬間、秀麗の口唇が奪われていた。その場にいた琳麗以外の全員が凍りつく。


(─────っっ!?)


劉輝は口唇を離す間際、小さく囁いた。


「見ていろ。すぐに、そなたは戻ってくる」


混乱していた秀麗の耳には、その言葉は届かなかった。真っ赤になりながら、秀麗は平手を繰り出した。けれどあっさり腕を掴まれる。


「あ、ああああなたこんな公衆の面前でっ」

「余は、悪いことをしたとは思ってない」


やけに堂々と劉輝は胸を張った。その態度に琳麗はちらりと静蘭を見てしまった。


(──強引なのも兄弟ゆえんかしら?)



「そうだ、一つ言い忘れていた」


劉輝は軽々と秀麗を引き寄せると、その耳に何事か耳打ちした。その瞬間、秀麗の目がこれ以上ないくらい丸くなった。


「これはずっと黙っていたから、平手は甘んじて受ける」


その瞬間――遠慮ない平手の音が劉輝の頬で鳴った。


「しんっっっっじらんないこの節操なし男─────っっっ!!」


秀麗の怒鳴り声が、蒼穹に高く高く吸い込まれていった。琳麗は、とうとうバラしたのかと苦笑していた。




そして、空を見上げ、ざぁっ──と風が吹いた。今頃、禁苑の一角にある塔にいるであろうと彼らを想った。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように