弐
「ようこそ、いらっしゃいました。藍将軍、絳攸様。お帰りなさい。姉様、静蘭」
出迎えた秀麗は、頂いた食材を琳麗と二人で持ち回廊を歩いていた。その後ろを楸瑛、絳攸そして一歩下がって静蘭がついてきていた。
絳攸は殺風景な庭院を眺め呟いた。
「屋敷も庭も相変わらずだな…」
「霄太師から頂いたお金は全部使いきっちゃいましたから」
「金五百両もあったのにか?」
秀麗の言葉に驚く絳攸だったが、隣にいた楸瑛が耳打ちして教えた。
「寺子屋を整備したり、町医者にどーんと寄附したりしたそうだよ」
「…はぁ」
前を歩く二人を見て、絳攸は目を見張ってしまった。
その後、帰宅した邵可に二人の接待を任せて、琳麗と秀麗は頂いた食材を吟味して料理を始めた。
支度が調った頃、どこに行っていたのか燕青が戻ってきて食卓は賑やかだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「へぇ〜、その若さで主上付きって凄いな。今の王様ってどんな人?」
燕青は前髪に隠れがちな目を輝かせて、しげしげと若い二人を見遣った。
「世間知らずでお子様で天然ボケの十九歳だ」
「あ?」
鶏を突きながらどきっぱりと断言する絳攸の言葉に燕青は目を瞬いた。聞いていた秀麗は、苦笑しながら頷いている。
「そうですね、天然ボケですね」
「姫さん、知ってるのか?」
「あ、ま、まあ…」
燕青は秀麗を見ながら少し驚いていたようだ。まさか、彼女が貴妃だったとは思いもよらないだろう。
少し戸惑っているのを見て琳麗は助けた。
「私がたまに話をしたりするからよ」
「そういや、琳麗姫さんが女官とはびっくりしたぜ! 通い女官なんてありなのか?」
「……異例なんだけどね」
苦笑する琳麗にまたしても燕青は首を傾げた。
「確かに琳麗殿は特別な措置だね。なんたって朝廷三師付き女官だからね。それに主上とも顔見知り。まあ、でも、主上に関しては案外大物になるかもしれないよ。少なくとも見込みはあると思うけど」
先程の説明ではあんまりなので、一応楸瑛が補足をした。あまりたいして変わらない物言いに聞いていた邵可は苦笑する。
これが彼らなりの褒め言葉だとわかっていても、とんでもない暴言である。
「ほう…」
だが、燕青は考えるようにやや目を細めた。琳麗はその様子を見て小さく笑い、箸を口へ運んだ。
「ところで燕青殿、茶州からきたとおっしゃっていたが、道中はいかがでした?」
楸瑛の丁寧な口調に、燕青はこそばゆいとでもいうように笑った。
「いかがというと、山賊盗賊の事か? めちゃめちゃ活発になってたぜ」
「……やっぱり、そうか」
楸瑛はため息をつくと、ちらりと琳麗を見てから静蘭を見た。ご飯をよそっていた秀麗は不思議そうに目を瞬いた。
「あの話、受けてもらいたいんだけどな、静蘭」
「なんの話?」
「ああ、茶州から賊が大量に流入してるって話さ。市中の警護及び賊退治に羽林軍からも人員をさくことになったんで、それで静蘭にも参加してもらおうと思ってね」
秀麗は目を丸くした。
「賊退治に静蘭を!? 静蘭はもうただの米倉門番なんですよ!」
「宋太傅やうちの大将たちが是非にって利かないんだよ。静蘭の腕にすっかり惚れ込んじゃってるからね。それに宋太傅は琳麗殿まで駆り出そうとしているからね」
「姉様をっ!?」
「なに考えてるんだっ? 宋太傅はっ!」
琳麗の武芸の腕を知らない秀麗と絳攸はぎょっとしていたが、静蘭と邵可はやや納得していた。
琳麗は、ばれては困ると口許に人差し指をあて慌てていた。それをみた楸瑛は、苦笑して
「ま、それは静蘭を出す為の冗談だと思うけどね。どうだい? 静蘭。臨時だから、そうかからずに元の部署へは戻れると思うんだが……」
「でも…」
食い下がろうとした秀麗の傍らで、静蘭がふと思いついたように言った。
「藍将軍、私じゃなくて、この男はどうです」
指をさされ、せっせとご飯を食べていた燕青は手をとめた。
「え」
「この男なら腕は立ちますし、体力も底無しですし、暑さでへばるようなかわいげもありませんし、お買い得ですよ。ばんばん使ってやって下さい」
「ええー、ちょっとちょっと俺にも用事がさー」
突然話を振られ、燕青は困ったようだった。ちらりと楸瑛が彼を見て面白そうにしていた。
「ほぉ〜、静蘭が言うなら燕青殿の腕は確かなんだろうけど」
「確かです」
静蘭が自信ありげにきっぱりと言うのを聞き、秀麗は目を丸くしていた。そして、隣に座る琳麗にこそっと耳打ちをした。
「ずいぶん、信頼出来るお友達みたいね」
「そうみたいね、いいじゃない」
二人は顔を見合わせ、にっこりと笑いあった。その燕青は、頬を掻きながらため息をついていた。
「うーん、でも大将たちは君にっていってるから、彼が入ってくれても君への勧誘はやまないと思うよ」
「……そうですか。分かりました」
「静蘭…」
静蘭の決断は早かった。心配そうに見てくる秀麗ににっこり笑った。
「大丈夫ですよ。なるべく夕飯までに帰ってくるようにします。適当に手を抜いてやってきますし、危なくなったら近くの人を楯にしてでも逃げます」
「……」
尚も浮かぬ顔の秀麗に、静蘭はちらりと楸瑛を見た後
「それに日当金五両でかなりの臨時収入になりますよ」
さらりと言われた言葉に、楸瑛は茶を吹きそうになり、琳麗もぎょっとしていた。さっき彼が提示した額からいきなり二十倍にも跳ね上がっている。
「金五両!?」
「でなければやりませんよ」
「……わ、わかった。無理をいっているのはこちらのほうだし。上の者にかけあってみよう」
にっこりと笑う静蘭に楸瑛、絳攸そして当初の金額を聞いていた琳麗までもが顔を引き攣らせた。
しかし、お金のためなら多少の理性を吹っ飛ばす秀麗であるが、この日は違った。琳麗は心配そうに、静蘭は曇り顔のままの秀麗に笑ってみせた。
「私の代わりは燕青が務めてくれます」
「へ?」
「文句あるか、居候」
「うっ……ない」
いきなりのご指名に、頬に飯粒をくっつけた燕青は『居候』という言葉に反論出来ず、撃沈したのだった。
「しっかりお嬢様の役に立つんだぞ! なにかあったらその首かっ飛ばしてやるからな!」
「あー、分かった分かった」
手をパタパタさせて燕青は返事をしていた。だが、まだ秀麗の様子がおかしかった。琳麗は秀麗の内情がわかる為、何も言えずにいた。
(……よりにもよってこの時期じゃ、ね)
「……」
「そんなに静蘭が心配かい」
無言でいる秀麗の様子に楸瑛は声を掛けた。
「いえ、ただ夏は……」
「夏?」
「はっ! なんでもありませんよ、アハハ」
空笑いをする秀麗に琳麗、邵可、静蘭は少しだけ眉をよせていた。慰めようにも慰める事が出来なくて、むず痒かった。
そんな中、絳攸はじっと秀麗を見ていた。その視線に気付き秀麗は、はっとした。
「あ、絳攸様。おかわりですか?」
「……あ、ああ。じゃあ、もう一膳頼む。それと、頼みたいことがあるんだが……」
ご飯をよそいながら、秀麗は笑いながら答えた。
「なんでしょう? 私も賊退治ですか?」
「ひとつきほど朝廷で働く気はないか。後宮じゃない──外朝で」
その言葉に秀麗は目を丸くしたのだった。琳麗は瞑目し、考えた。
(……こういう事、だったのね)
なにか変化する予感はあった。それは燕青が来たからだと思っていたのだが、それだけではなかったようだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「こ、戸部尚書の雑用係!? いくら人手不足だからって、そんな重要なお仕事」
仕事内容を告げられた秀麗は飛び上がった。傍らで聞いていた琳麗は『戸部尚書』という言葉に、思案した。
(戸部尚書って……鳳珠様よね…)
ふと、ひと月前出会った“仮面”をつけた美貌の持ち主を思い出した。そしてクスッと笑ってしまった。
「本当に雑用だ。重要な仕事ではない」
「……はあ」
「気乗りしないか? 馬鹿殿のいる朝廷に戻るのはいやか」
「そういう訳じゃないんです。結構楽しかったし、あの人だって藍将軍の言う通り大物になるかもしれないし……」
それでも戸惑う秀麗に琳麗は、苦笑してしまう。
きっと朝廷に行ってしまったら秀麗は、叶わない夢を見てしまう。だけど、それは無駄ではないような予感がしていた。
「しゅ……」
「いいじゃねぇか。なかなか朝廷で働く機会なんかねぇぜ。姫さんが何を躊躇っているかは知らねぇが、同じ人生、やらずに後悔するよりやって後悔の方がいいと思わねぇか?」
口に出そうとした言葉を見ていた燕青が全て言ってしまい、琳麗は微笑した。
「……燕青…」
「面白くはありませんが、こいつの言う通りですよ、お嬢様」
「秀麗がいいなら私も構わないよ」
「そうね、私も燕青さんと同じ意見だわ。やって後悔の方がいいわよ、――もしかしたらいいことあるかもしれないし」
「静蘭、父様、姉様……よろしくお願いします」
秀麗は、絳攸を見ると立ち上がって礼をした。一瞬、絳攸は琳麗を見ていたが秀麗を向き頷いた。
「ただし女は外朝では働けないから、男の恰好をしてもらう」
「うっ! ばれるんじゃないですか?」
「心配するな。その体格では女とは絶対気付かれない!」
秀麗を上から下まで眺め、自信満々に言う絳攸に琳麗は頭を抱えたくなった。
「…うっ……くっ…」
秀麗は顔を引き攣らせて、自分の胸元を触りがっくりしていた。
(――絳攸様、酷いわ。秀麗も認めないで……)
琳麗は、はあっとため息をつくしかなかった。