秀麗が侍僮の振りをして、十日が過ぎようとしていた頃──城では、ある噂が急速に広まっていた。
曰く。
『霄太師が、東方諸島の特産で夏バテのさい食欲増進にいいという“梅干し”そのなかでも最高の効能をもつという“超梅干し”をひそかに所有しているらしい。それを口に含むと、猛暑にやられた死者までもがたちどころに大復活するとかしないとか』

あまりにも怪し過ぎる噂である。しかし、噂の出所が珍しく高官のほうからということと、所有者が朝廷百官の長、霄太師ということ。
そして実際、それらしき壷を小脇に抱えてる霄太師本人の姿が見かけられていたことで、その噂は妙な真実味を帯びてしまった。しかも今年の猛暑は見事に朝廷中枢を直撃していた。
運動不足で体力のない文官から次々と暑さに倒れていき、すでに冗談ではすまない域に入ってしまっていた。そこで藁にもすがる思いで噂に飛びつく者が急増した。
“超梅干し”などという名称からして得体の知れないものも、暑さで頭の中身が飛びかけていた官吏たちには素晴らしい特効薬に思えたのである。
結果、倒れた家族や友人を抱える官吏たちが、目の色を変えて“超梅干し”に殺到した。
仰天したのは霄太師とお付き女官である琳麗だった。
宋太傅が賊退治で市中に下りていて、あまり仕事がないと思った矢先、霄太師の居場所を聞き出そうとする官吏や霄太師から貰って来て欲しいという懇願する彼らに琳麗は顔を引き攣らせていた。


「……わ、私にはどうする事も」

「「では、霄太師はどちらにっ!!」」


そう問われ、琳麗はあちらの方へ行かれました。と指差していたのだった。そうすれば、血走った目の官吏たちはすごい勢いで走っていった。


「すまんのう、琳麗殿」


ガサガサと茂みから顔を覗かせ、霄太師は立っている琳麗に謝った。琳麗は苦笑し、壷を眺めた。


「噂になってしまった以上仕方ありませんわ。でも、一体こんな噂が出回ったのでしょうか?」

「全くじゃわい」


やれやれと言いながらも壷を手放さない姿を見れば、仕方がないだろう。


「壷だけでもお見せしたらどうですか?」

「この暑さじゃ、噂通りの物ではないと分かったら官吏どもに叩き割られてしまうかもしれんじゃろう」

「それもそうですね」


ならなんでそんな物を後生大事に持っているのか。そう尋ねないのは、霄太師の大事な“モノ”だからと琳麗は知っていた。
さわっと暑い風が吹いた。琳麗は昊を仰ぎ、照り付ける太陽を見上げた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


昼餉の時間、琳麗は府庫へと足を運んだ。昼はここで邵可、秀麗、燕青と食事をとっていたのだった。


「あら? 秀麗たちは別としても父様がいない……?」


いつも父がいる個室も覗いたが姿が見えなかった。
とりあえず、じきに戻ってくるだろうと思い持っていたお弁当を卓子に載せた。秀麗たちも来るだろうと思い、お茶の準備をしていると声をかけられた。


「琳麗……」

「絳攸様、どうなされたのですか?」

「いや、邵可様は?」

「父様なら、私が来た時からおりませんでしたが」

「そ、そうか。そういえば今日は夕食会だったな」


琳麗が首をやや傾げると、絳攸は少し横を向いて話した。


「あ、今日は夕食会でしたか……」

「……どうかしたのか?」

「いえ、ちょっと暫く邸に戻れなくなりまして」

「戻れない?」


琳麗は少し肩を竦めて、後宮での事を話した。元々人出不足の後宮だったが、この暑さの為倒れる女官が増えていたのだ。


「そんなに人出が足りなかったか? 後宮には妃嬪もいないし」

「いえ、実は──」


琳麗は苦笑しながら、後宮の内情を語ると絳攸は顔を引き攣らせて大声を上げたのだった。


「〜〜〜〜あんの常春頭が──っ!!」


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


夜、邵可邸において恒例の夕食会が行われていた。


「いや〜、姫さんは女の子らしいな〜 こんなに菜が上手いんだからさ〜」


ガツガツとご飯を掻き込む燕青に秀麗は「あのね〜〜」と呟いた。邵可はにこにこと笑みを浮かべ楸瑛たちを見た。


「いつもすいませんね。藍将軍、絳攸殿。食材をたくさんお持ち頂いて」

「いえいえ」

「姫さんも腕の振るい甲斐があるな〜」


燕青は、嬉しそうにガツガツと菜を食べていた。その様子に静蘭は諌めようと声を上げた。


「お前な〜」

「ほら、静蘭も賊退治に駆り出されてるんだから、ちゃんと食べて」

「あっ、はい」


静蘭は、秀麗に促され箸を手に持った。絳攸はちらっと秀麗を見ると声をかけた。


「ところで秀麗、仕事はどうだ?」

「はい、毎日とっても楽しいです」

「楽しい……か」


元気に答える秀麗に絳攸は笑みを浮かべた。


「あ、絳攸様。今日も食事の後、勉強見てくださいね」

「ああ」


そんな会話を見ながら、楸瑛はいつもいる琳麗の姿がないのに疑問を抱いた。


「そういえば、琳麗殿は今夜は戻らないのかい?」

「え、そうですね。父様、そうなんでしょ?」


問い掛けると、秀麗は頷きながら邵可の方を向いた。一緒に帰ろうと思っていたのだが、府庫で父・邵可に琳麗は一緒には帰れないと聞かされていたのだ。
邵可は、菜を口に運びながら笑顔で答えた。


「うん、琳麗は暫く後宮にいると言っていたから、みんなと一緒に食事が出来ないと残念がっていたよ」

「えっ? 暫くって!?」

「この暑さで後宮の女官たちも倒れてしまっているらしくてね」


暫くという言葉に秀麗はぎょっとしていた。さすがに静蘭もそれには驚いていたのだった。


「それは淋しいねぇ〜 ね、絳攸」

「誰のせいだと思っているんだ」


もぐもぐ食べながら話す絳攸の言葉に楸瑛は、キョトンとした。


「おやおや、私のせいだとでも言いたいのかい?」

「確かに暑さで倒れる女官はお前のせいではない……しかしなっ、聞けば後宮の人出不足は楸瑛、お前のせいだぞっ!」

「な、なんで私のせいなんだい」


誰もが二人を見ていた中で絳攸は、昼間、琳麗から聞いた話をした。


「お前が女官たちに手を出しては、冷たくされただのと下らない理由で辞めていく女官が多すぎて人出が足りないからと頼まれたらしいのだっ!」

「…………うっ…」


さすがにその理由には楸瑛は顔を引き攣らせた。
みんなから刺さる視線が痛く、中には物凄い黒い気を漂わせている人物がいるのを感じていた。
予想をつけていたので、右側からくる視線にはどうしても合わせる事が出来ない。しかし――


「そうなんですか、琳麗様は藍将軍のせいで当分会えないのですか……とても残念です」

「そっか、静蘭は賊退治だもんね。毎日会ってただけに淋しいわよね」


隣でしみじみと話す秀麗の言葉に頷きながらも、静蘭の視線は楸瑛に冷たく突き刺さっていたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


サラサラと霄太師を探して、琳麗は回廊を歩いていた。すると、上機嫌で歩いて来る高官が目に入った。
琳麗は、首を傾げているとこちらに気付いたのかその高官はあっという間に目の前にやって来た。


「ああ、琳麗」

「……どうかなされたのですか? とても嬉しいお顔をなさってますが」

「そうなんだよ! 琳麗!! 秀麗が私の事を“いい人”だと言ってくれたのだよ〜」


満面の笑みを浮かべる彼――黎深叔父上に琳麗は驚いた。


「えっ!? 秀麗に会ったのですか?」

「ああ、沢山書翰を抱えていてね、手伝ったのだよ」


誇らしげに言う黎深に琳麗は顔を綻ばせた。


「よかったですね、叔父様。名乗れたのですよね?」

「…………」


その質問に黎深は黙ってしまった。返答がない事に琳麗は不思議そうにしていると横から声が掛かった。


「黎深様っ! それに琳麗…殿」

「絳攸様」


振り向くとそこには地図を片手に疲れた表情の絳攸が立っていた。


「こんなところにいたんですか! 書翰が溜まっているんですよ!!」

「えっ!? 叔父様、仕事を放ったらかしなんですかっ!?」


驚く琳麗に黎深は、恨めしげに絳攸を見た。その形相に絳攸はうっと顔を引き攣らせた。


「叔父様……」

「な、なななんだいっ、琳麗……」


嫌われてしまうかも……と恐れている様子の黎深に絳攸は気の毒に思った。


「もしかして、具合でも悪いのですか? こんなに暑いのですし体調がよろしくないとか……?」


心配そうに見上げてくる琳麗の姿に黎深と絳攸は、呆気に取られた。が、次の瞬間、黎深は思いきり顔を緩めた。


「琳麗〜、そんなに私の事を心配してくれるなんて……」


破顔して悦に入っている黎深に絳攸は少し後ずさった。絳攸は、ゴホンっと咳ばらいをすると琳麗に耳打ちをした。


「琳麗……頼みがある。その、黎深様に仕事をしてくれと言ってくれないか……」

「え、はぁ……?」

「吏部の官吏たちがもう限界なんだ」

「そういう事でしたら……黎深叔父様? あの……お仕事終わりましたら一緒にお茶を致しませんか?」

「えぇっ!? お茶? 琳麗と私でかい!?」

「はい、もちろんです。ですからお仕事頑張って下さい」


その微笑みに黎深は、絳攸を掴むと引きずるように連れて行ってしまった。琳麗は、それを見てクスクスと笑っていたのだった。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように