壱
本日も琳麗は、高官たちに泣きつかれて霄太師を探していた。
探すといっても本来ならすぐに見つけられるが、霄太師が持っていると言われる“超梅干し”が実在しないと分かっているだけに探しているふりをしていた。
「いっそのこと、葉医師に特効薬でも煎じて頂こうかしら……」
始めは陶老師に夏バテに効く薬を煎じて頂こうと思えば、彼もまた夏バテで寝込んでしまっているのだ。
朝廷、後宮の機能を考え、そんなことを考えていると、前から秀麗が歩いて来たのが見えた。
「秀麗……」
「あ、姉様……っとと」
キョロっと周りを見る秀麗に琳麗は笑った。
「大丈夫、誰もいないわ。それにしても凄い書翰の山ね、手伝うわよ」
「ありがとう、姉様。でも、今は紅 秀よ!」
秀麗の両手にある大量の書翰の半分を受け取った。
「分かったわ、秀くん。本当に凄い量ね。燕青さんは?」
「それが今日また二人倒れちゃって……それで燕青が臨時の施政官になったの……燕青に任せて大丈夫なのかしら……いくら州文官になりたかったって言っても……黄尚書って無茶苦茶な事すると思わない?」
能力がどうこう以前に、外見からして燕青は文官より武官に思えてしまうのである。いつも棍を携えているし、机案に真面目に向かっているのが非常に奇妙な感じなのだ。
ぶつぶつ言う秀麗の姿に琳麗は苦笑した。
「そうねぇ、でも燕青さんなら大丈夫じゃないかしら? 黄尚書だってきちんと能力をみて使うって秀くん言ってたじゃない。絶対に出来ないこともいわないんでしょう? なんとかなるわ」
「そうだけど……姉様も意外とあれよね……そういえば、次の休みは帰って来るのよね?」
「もちろん。もうすぐ邸に戻れるわ。久しぶりにゆっくりみんなと会えると思うわ……でも、よかった」
秀麗はその言葉に「なにが?」と首を傾げた。笑みを浮かべ琳麗は、秀麗の顔を見た。
「秀麗が元気そうで、今年はあまり一緒にいられなかったから心配してたの」
「──それ、父様や静蘭にも言われたわ。でも、大丈夫」
「そう? ならいいんだけど。この仕事を紹介して下さった絳攸様と燕青さんがいるおかげかしら? 不思議な人よね、あの静蘭の友達ってだけあるかも」
二人で顔を見合わせなんとなく笑ってしまった。
ふと、回廊を曲がってくる人物の気配を感じて、琳麗は秀麗に書翰を渡すと慌てて太い円柱の影に押した。
「姉様っ?」
「しっ!!」
口許に指を立てられ、秀麗が押し黙ったとき、久しぶりに聞く声が回廊に響いた。
「──秀麗っ!?」
キョロキョロを辺りを見渡すと劉輝は、琳麗の姿を目をした。
「……琳麗、か」
「どうなさいました? 劉輝様」
「いや、なんか、秀麗がいる……ような気がしたんだけどな……いるわけないか……この頃多いのだ、こんな感じが……」
「…………」
琳麗は目の端で円柱の方を見た。どうやら姿を見られた訳ではないらしい。
子供が拗ねたような声を出し、しょんぼりする姿に苦笑してしまう。
「秀麗がいるはずがないではありませんか。それに劉輝様、供も付けずにあまりほっつき歩いては絳攸様が怒りますよ、お仕事はよろしいのですか?」
「うっ……気分転換なのだ……」
「そろそろ、お戻り下さいませ」
劉輝の背を押して、琳麗は仕方なしにその場を後にした。一旦振り返り、円柱から少し顔を出していた秀麗に苦笑してそのまま執務室へと送ったのであった。
その後、劉輝を室へ送ると疲れを取るお茶を出し、琳麗は仕事に戻ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、琳麗は早朝から籠を持ち王の執務室へと足を運んだ。扉を叩こうとして聞こえて来た言葉に首を傾げた。
『この御免状があれば邵可も快く受け入れてくれるに違いない!』
──御免状?
不思議に思いながら、声を掛けて扉を開いた。
「おはようございます、劉輝様。また徹夜なさったようですね」
「うっ……すまない、その…」
いいよどむ劉輝の姿に琳麗は、こちらがいじめたかのような感じになってしまった。
「お身体にあまり無理をさせないで下さいね、朝食をお持ちいたしました」
「ありがとうなのだ……琳麗も一緒に食べぬか? 余一人ではなんだか淋しいのだ」
「……お茶だけでしたら、お付き合いいたしますわ」
籠から劉輝の朝餉を出し、茶器を出して二人分のお茶を湯呑みに注いだ。ぱくぱくと食す姿を眺めながら、琳麗はお茶を啜った。
「そういえば、琳麗」
「なんでございますか?」
「後でこれを邵可に届けてくれぬか?」
差し出された高価な料紙の表に書かれている文字に琳麗は、目を見開いた。
『夜這い御免状』
「あ、の…これを父様にですか?」
「うむ、琳麗は四日後は邸に戻るのか?」
「ええまあ……」
「そうか! では琳麗とも会えるのだな」
にこにこと笑う劉輝に琳麗は、手にある書状を眺め首を傾げたのだった。
回廊を渡り、府庫へ顔を出すと邵可がいつもと同じように書物を手にしていた。
「おはよう、父様」
「やあ、おはよう。今日は随分と早いね、どうかしたのかい?」
「うん、ちょっと……これを劉輝様に頼まれて……」
ほんの少し父の反応が怖いような気がして、琳麗はおずおずと劉輝から渡された書状を邵可の前に差し出した。
邵可は、無言で受け取るとそのまま料紙を広げた。目を通した後、にっこり笑って文を差し出した。
「見てごらん、面白いよ」
首を傾げ、琳麗は料紙を受け取ると目を通して、クスッと笑った。
「琳麗、返事を書くから持っていってくれるかい?」
「ええ、分かったわ。楽しみね、父様」
「うん、そうだね」
二人はにこにことのんびりした雰囲気で笑いあったのだった。その後、邵可の返事を携えて琳麗は府庫を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
まだ日が昇る前の薄暗い頃、琳麗は一人龍山に来ていた。
山の中腹の奥の方へ分け入りちょっと見には分からない場所に建つ墓の前に立つ。
王宮内にかろうじて咲いていた薔薇を墓石の前に置き、手を合わせ瞳を閉じた。
──母様、私は、何者なのですか?
佇む墓石に問い掛けるも答えなど返ってくるはずもない。しかし、問わずにはいられなかった。
この春先に見たあの曖昧な夢のせいだろうか……
今までも気にしなかったと言えば嘘になる。
だけど、それを忘れるくらい自分が母様、父様、秀麗、静蘭、叔父様たちに愛されていたことが身に染みて分かっていたからこそ訊くことをしなかった。
でも、少しだけでも自分の“過去”らしきを垣間見た今、知ろうとしなくてもいいのだろうか?
誰に問いかけたらいいのか……
目星はついている。でも──怖い
知ってしまったら“琳麗”という存在はどうなるのだろう──
眼下に広がる夜明け前の彩雲国、貴陽を一望し、再び瞳を伏せた。
小さい頃、貴陽に移り住んでからずっと母様に言われ続けられた言葉
『よいか、貴陽から出てはならぬぞ』
それはあの一族に私の存在が知られてはならないからだと、言っていたが他にも理由があるのではないだろうか?
『──そなたはここにいた方がいい。貴陽は彩八仙の加護があるのは確かだが、ここはそなたを護るには一番適している』
『──ただ、闇には近づかない方がいい』
藍 龍蓮の発した言葉の意味は?
『私を護る』とはいったい──。
私はなぜ、護られるのだろう?
頬に涼しい風を受け、琳麗は瞳を開いた。白々とした昊が朱く染まっていく。夜明けだ。
琳麗は、もう一度墓石の前で手を合わせると、「また明日…」と呟いて王宮へと戻ることにした。