弐
今日も暑い中、霄太師は高官たちに追い掛けられていた。
三師付き女官の琳麗としては、霄太師は高官たちと追い掛けっこをし、宋太傅は城下に下りて賊退治をしている為、手持ち無沙汰だった。
だったらと、空いている時は府庫へ行って父様の手伝いや主上のお茶を用意していたりした。
「なんか、妙にゴキゲンだねぇ」
「気味が悪いな」
楸瑛と絳攸が呟いたのも道理、彼らの主はその日、妙にへらへらした顔で執務室にいた。琳麗はその様子を見てクスっと微笑した。
「琳麗殿は知ってるかい? 秀麗殿のこと、バレたかな?」
「いいえ、でもバレてはいないですよ。と言いますか、藍将軍重いです」
楸瑛は、琳麗を後ろから抱きしめるような体勢でいたので琳麗は困惑していた。
「お前は琳麗から離れろっ! しかし、まあ、バレたなら真っ先に俺達にくってかかるだろう。なんで教えてくれなかった! とかなんとか」
「それもそうか。ところで痛いよ、絳攸」
「うるさい! 大丈夫か、琳麗」
「はい、ありがとうございます」
会話をしながらも絳攸は琳麗から楸瑛を離すべく、持っていた書物で叩いたのであった。
「──絳攸、こっちの書翰はもう処理し終えたぞ。さあ、次はどれだ!?」
実に晴れ晴れとしている劉輝は、いつもの二倍の処理速度と、五倍のやる気がみなぎっている。
その様に琳麗はクスクスと微笑み、楸瑛と絳攸は不審に思っていた。
「主上、なんかヘンなもんでも拾い食いしたんじゃないでしょうね。そこらに生えてたキノコとか、アヤしげな草とか、虫とか、生ゴミとか」
「……余をなんだと思っている、琳麗の用意してくれた物しか食べていないぞ!」
しかし、上機嫌の劉輝はそんな無礼な臣下の発言にも、異様なまでに鷹揚だった。
「ふ。余は今宵『夜這い』を決行することにしたのだ」
絳攸と楸瑛の目が点になった。
「……夜這いだと?」
「ああ、ちゃんとその旨も文にしたためて琳麗に邵可へ渡してもらった。そしたら構わないと返事がきた。な、琳麗」
「はい」
室の隅でお茶を注いでいた琳麗は笑顔で答えた。楸瑛は、気になったのか劉輝に問いただした。
「ちなみにその文、なんて書いて送ったんです?」
「夜に訪ねる。出来れば秀麗のご飯が食べたい。二胡も聴きたい。邵可と静蘭、琳麗たちと一緒に一晩過ごせればありがたい。空いているのは四日後なのであるがどうだろう、と。あ、すまない琳麗」
机案に茶を置かれ、劉輝は嬉しそうに手を伸ばした。ぐびっと飲んでほけほけしている劉輝を見て、楸瑛と絳攸は呟いていた。
「……どこが夜這いだ」
「それではただのお宅訪問です……主上? 言っときますが私は一応近衛の将軍なんですがね。そんなことバカ正直にいって、私に邪魔されるとは考えなかったんですか?」
「ちゃんと朝議には間に合うように戻ってくるぞ? 後宮の方は琳麗や珠翠に協力を頼んであるし、それにたまの息抜きは必要だとよく楸瑛もいってるじゃないか」
「……あなたのその素直さにはほとほと敬服しますよ」
「まいったな。そう褒めるな」
「褒めてません。……まあ行き先が邵可様のところで、単なる一泊みたいですし、後宮の方も大丈夫なら、一日くらいならいいでしょう。絳攸?」
「駄目といったって行くだろうが。大体お前が止めないものを俺に止められるか。まあ出かけるならそのぶんの仕事を早回しで終わらせておいてもらいましょうか」
このやる気、無駄に発散消費させておくのは勿体ない。せいぜい利用して政務処理に役立ててもらおう。──素早く算段を立てた彼らは有能かつ非情なる配下であった。
「じゃ、次はこっちの書翰をお願いします。終わったら向こうの書翰。合間に乱雑な机案まわり、自分でちゃんと整理整頓しておくように。琳麗、手伝うなよ!」
散らばっていた紙くずを拾う琳麗に絳攸は注意をしたのだった。
「しかし、主上が秀麗殿にお会いになるということは草案が?」
「ああ、仕上がった」
せっせと政務に取り組む劉輝に、楸瑛は面白半分に訊いてみた。
「そうですか、それにしても秀麗殿をそばに置きたいのなら、正式に下命して後宮に召し上げてはどうですか?」
書きものの手を止め、劉輝は呟いた。
「秀麗は自ら後宮を出ていったのだ。それを無理矢理召し上げたりしたらきっとアレは怒るだろう」
「今までだって散々怒られてるでしょう」
「それとは違う気がするのだ。それをやってしまうと何かが壊れる気がする」
自分でもよくわかっていないようで首をひねる劉輝とは逆に、楸瑛は目を丸くした。
(──よく、分かっている)
そして、にっこり笑うと劉輝の頭をおもむろにくしゃくしゃと撫でた。
「まあ、お頑張りなさい。あなたはなかなか見込みがありますよ」
その様子を眺め琳麗は苦笑する。そして、先程の劉輝の言葉に感謝に近い感情を持っていた。
決して秀麗の事を縛り付けないで考えてくれる王に。
手前の籠を片付け、琳麗は室を辞した。執務室から出て庭院先に出ていた琳麗は、微力ながらも風を遣い秀麗の気配を感じていた。
どうやら泣いたようだが、安定している様子が微かに感じ取れて安堵していた。
(……よかった、燕青さんのおかげだわ。後でお礼しなくちゃ)
そんな事を思い、今日から邸に帰れる事が嬉しかった。いつもはずっとそばにいた夏。でもそれも終わりが来たようだった。
回廊を歩いているとなんだか庭院が騒がしくて、琳麗はそちらに目をやった。
てっきり、また“超梅干し”を求める高官たちが霄太師を追い掛けているのかと思えばまったく別な者が目に入った。
全身黒ずくめの衣装を纏った少年二人が庭院を突っ切っていた。が、琳麗を見つけるなりこちらに走って来た。
「おお、そこの綺麗なお姉さん! 出口はどちらでござるか?」
面白い言葉遣いに琳麗はクスッと笑い、丁寧に城から出る方を教えてあげて、しまいには霄太師から要請を受けて作った梅饅頭を渡したのだった。
「お頭ー! お饅頭貰っちゃいましたー!!」
「うむ、親切な上に食糧までかたじけない。曜春、礼を言ったか?」
「あ、ありがとうございましたー! お姉さん」
「暑いから気をつけてね」
にこにこと手を振ると少年二人も笑って教えられた方へと走っていったのだった。
「元気な子たち…」
クスッと笑えばポンと肩を叩かれた。振り向けば、仮面を被った高官が立っていた。
「……鳳珠様…どうなされたのですか? お仕事は?」
「いや、そんなことより黒ずくめの少年たちを見なかったか?」
「彼らでしたら出口を教えましたのでそちらへ走っていかれましたよ。迷っていたのですって」
ふふっと笑う少女に、奇人はため息混じりに琳麗の頭を撫でた。不思議そうに見上げてくる仕種が可愛いらしく思えた。
「……そうか、城を出てしまったか」
ならば仕方ない、城から出て探し出すしかあるまいと奇人は、踵を返した。
「あ、あの……なにかあったのですか?」
「気にするな」
「しかし……」
次の瞬間、ぶわっと風が吹き琳麗は目をつぶった。
「大丈夫か?」
「……あ、はい…」
ふと顔を上げれば、風から守ってくれたのか抱きしめるような状態で腕の中にいた。
「ひゃっ! も、申し訳ございません!」
パッと腕の中から消える温もりが寂しく思えたのは彼だけが知ることだった。
「あ、あの! 急いでおられるのでしたら行って下さい」
「悪いな」
くぐもった声で呟いて去っていく後ろ姿を眺めながら、琳麗は苦笑した。それはこちらの台詞といってもいいくらいだったからである。
その後、賊退治に行ったはずの早々の帰還に苛立つ宋太傅を宥めたり、与えられた室を片付けたりして邸に戻った時は、すでに劉輝や絳攸たちが到着していた。
いち早く琳麗を見つけた静蘭は、久々に会う主人の娘に極上の笑みを向けた。
「琳麗様、お帰りなさいませ」
「静蘭、ただい――」
「な、な、なんという事だ!!」
答えようとしたら、劉輝が声をあげていた。宮城を抜けてお忍びでやって来た劉輝はなにやら文を持ち、プルプルと震えていた。
「申し訳ありません、主上。秀麗が帰ってきたら伝えようと思っていたものですから……」
邵可は困ったように文面を見下ろした。琳麗は、久々に会う静蘭に近寄り訊いたのだった。
「いったい、どうしたの?」
「それが秀麗お嬢様が今夜は帰って来ないという文が届きまして」
「え――っ!? 秀麗にゆっくり会えると思ってたのに……」
しょんぼりする琳麗に静蘭は苦笑してしまった。いくら城内で会っていたとはいえ、しばらく帰って来れなかったのでいないのは淋しかったらしい。
まあ、自分は居候の燕青より全くといっていいほど会えなかったのだからもっと恋しかったのだが。
「なぜよりにもよって今日なのだ…っ」
「つくづく間が悪いですねぇ」
「諦めて城へ帰るか」
「うるさーい! 大体、なんでお前らまでここにいるっ!!」
護衛と称してくっついてきた二人はぼそっと呟いていた。
「そりゃあ……」
「……面白そうだからに決まってるだろ」
ひどいことを言う二人に琳麗はクスッと笑ってしまった。
「ええーい、余はこの邸へ行くぞ! だいたい燕青って誰だ」
「私の旧い友人ですよ。今居候してまして」
さらりと応じた静蘭に、劉輝は驚いて訊き返した。
「……静蘭の?」
静蘭はそれ以上口を開かなかった。無言で腰に剣を佩く。
「さて、私は行きます。皆さんも、いらっしゃるなら必ず剣を持っていって下さいね。多分夜通し駆け回ることになると思いますけど、それでもよろしければ」
さっとその場の空気が冷えた。楸瑛の顔つきが険しくなる。
「……どういうことだい? そこで何かあるのか?」
「じゃなければアレが泊まるなんていい出しませんよ。よりによってこの邸に」
「よりによってって……黄東区の変わった邸に泊まるとしか」
絳攸はいいかけ、ぎょっとして楸瑛と顔を見合わせた。琳麗も「……まあ」と呟いて邵可を見ればこくんと頷いていた。
「燕青みたいな厄介種をこき使ったばっかりに、ちょっとくらい面倒かけてもいいと思われてしまったんでしょうね。
それに今日は結構早くに白大将軍から解放されましてね。今日に限ってちっとも賊が動きまわってる気配がなくて。
どこかのバカな正義の味方面した人が夜ごと徘徊して茶州から流入した賊退治をしてくれましたけど、それでも手配書からするとまだ結構残ってるはずなんですが」
静蘭の言葉に、怒りながら戻って来た宋太傅を思い出し、琳麗は苦笑した。
(……だから戻りが早かったのね)
傍らの静蘭は、はあ、とため息をついた。
「彼らが追っかけてきたという男と、うちの居候が非常によく似た特徴を持っていたものですから、きっと本人と思われてしまったんでしょうねぇ」
「あ、やっぱり燕青さんだったの?」
「ええ、たぶん。というか、琳麗様も気付いてたのですか?」
「うーん……宋太傅から話を聞いていて、もしかして──って、怒る宋太傅を宥めるのが大変だったわ!」