壱
琳麗は絳攸に頼まれた書翰を携えて、紅家別邸へとやって来た。門番に黎深の所在を問うとまだ帰宅していないと聞かされた。
「……そうですか…」
どうしようと考え、とりあえず絳攸から頼まれた書翰を黎深が帰宅したら渡すように門番へと託すことにした。
「では、これを。絳攸様から頼まれましたので黎深様にお渡し下さいませ」
「はい、分かりました」
門番に書翰を渡し、琳麗は少し考えた後、黄東区へと足を向けたのであった。
(──やっぱり、心配だもの)
そう思い宵の住宅街へと走り出していった。
しばらく歩いていると後ろからガラガラと物凄い音が聞こえて来た。このまま歩いていたら間違いなく轢かれてしまう。と思い軒が通り越すのを待とうと脇に避けた。
しかし、その軒は琳麗が止まるとその横に並び止まったのだった。琳麗は、不思議そうに首を傾げると窓がパシンっ!と開くと耳慣れた声が自分を呼んだのだった。
「琳麗っ!」
「叔父様? どうなさったのです? 先ほど絳攸様に頼まれて書翰を──」
「ついさっき受け取った! なんで、私が帰って来るまで待っていなかったんだねっ!!」
すごい勢いで軒から下りてくると黎深は琳麗に詰め寄った。
「こんな時刻に一人で出歩いてなにかあったらどうするんだっ!!」
「やだ、叔父様! 大丈夫ですよ、何もないわ」
クスクスと笑う琳麗に黎深は額を覆った。
「しかも、こっちに行くということはもしかしてアイツの邸に行くつもりなのか?」
「アイツ? ああ、鳳珠様の事ですか? はい、心配ですから行こうと」
「っ鳳珠!? な、なんでアイツの名前をっ!?」
うろたえる黎深に琳麗は首を傾げた。
「以前お会いした時に、名前で呼んで欲しいと言われましたので」
「〜〜〜〜鳳珠めっ! 赦さんっ!! アイツの邸に行くぞ! このままでは秀麗も危険だっ!!」
黎深は琳麗の腕を掴むと軒に乗り込み、凄い早さで黄 奇人邸へと軒を走らせたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
奇人邸についた琳麗は手入れが行き届いた邸を見て感心していた。
「邸とは大違い…」
「何を言う! 兄上の邸とは格が違う!!」
「……ところで叔父様? どうして正面からではないのですか?」
裏口から入ろうとする黎深に琳麗は首を傾げた。黎深は扇をハラリと広げると
「ふん、あいつは正面から訪ねても迎えようとしないからな」
呟く叔父に琳麗は「……お友達なのよね?」と不思議そうに頭を捻ったのだった。
そして、黎深が家人を丸め込み邸に入ると気配で静蘭たちが庭院に入ったのを感じた。
「叔父様、どうなさいます? 鳳珠様に……」
「鳳珠が室に入る前に私を案内しろ」
琳麗が問い掛けると、黎深は黄家の家人に命令していた。家人は邸の主より先に黎深を室の中に入れたのだった。
「ほら、琳麗も早く来なさい」
「叔父様、私、絳攸様と一緒に鳳珠様にお会いいたします。さすがに叔父様は隠れていた方がいいですわ」
にっこり笑うと家人に言って鳳珠に面会したい旨を伝えたのだった。そして、邸に入って来た絳攸を廊下で待っていた。
顔を合わせた瞬間、絳攸は驚愕した。
「ななななんで、ここにいるっ!? 黎深様に書翰は?」
「もちろんお届け致しました。でも叔父様はまだ帰宅しておりませんでしたし……そのやっぱり心配で……」
琳麗は嘘は言ってはいなかった。届けた時は確かに黎深は帰宅していなかったのだから。絳攸は、ため息をつくとポンッと琳麗の頭を撫でた。
(……彼らが聞いたら喜ぶだろうな…)
「……絳攸様?」
「いや、なんでもない」
「李 絳攸様、紅 琳麗様。こちらの室へどうぞ。お館様が直、参られます」
もはや黎深が潜んでいる事を知らない絳攸は、言われたまま案内された室に入ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
入って来た仮面の主に、絳攸と琳麗は上官に対する正式な礼をとった。
「……このたびは知人が庭院をお騒がせしているようで、代わってお詫び申し上げに参りました。黄尚書」
奇人は仕草で座るように言うと、自分もふわりと椅子に着いた。だが、琳麗はそのまま立ち外の様子を伺っていた。
「琳麗、座らないか」
「いえ、私の事はお気になさらないで下さいませ。私は秀麗の迎えに来たのですから」
ふわりと笑みを浮かべ答える少女に、奇人はため息をついて絳攸を見た。二人の会話を聞いていた絳攸は、唖然としてしまった。
(親しい……のか?)
だが、奇人の言葉にはっとしたのだった。
「お前が来るとはな。で、お前の他に誰が来た」
「……正直に申し上げた方がよろしいでしょうか」
「勝手に人の庭院に入り込んで、あげくに嘘までつくつもりか?」
「失礼致しました。紅 邵可様家人のシ 静蘭、左羽林軍将軍 藍 楸瑛、あと主上です」
たっぷり三拍の沈黙があった。
「……最後、何と言った?」
その様子に琳麗はついつい笑いを堪えてしまった。
まだ数えるしか会ったことのない奇人であったが、秀麗の話を聞く限りでは唖然というかなんというかそういう反応は似合わないような気がしていたからだ。
「主上がおいでになってます」
「あの騒ぎのなかで駆けずり回ってるのか? 王が?」
「はあ、まあ、いろいろと不幸な偶然が重なりまして」
「──バカ王め」
「確かにバカですが、……王の器です」
「あれがか」
促されて耳をすますと、庭院の大騒ぎがかすかに聞こえてきた。
剣戟や野太い悲鳴に時折混じる「夜這いー!」の奇声が、絳攸の言葉を喉に詰まらせた。──確かにバカである。
それには琳麗はクスクスと笑っていた。
「……愚者と才子は紙一重といいますし」
「それで庇ってるつもりか? あのバカ王に付き従って、まさかお前までバカが伝染っんじゃあるまいな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二人が真面目な話をしている最中、半蔀を開き琳麗は外へ出ようとして前屈みになっていた。そして礫を拾っていたのだった。
さすがにそれを見た二人はびっくりして、琳麗を中に引き入れた。
「り、琳麗っ!? 何をして……」
「何って、加勢をしようと思いまして。はい、絳攸様の分」
にっこりと笑い、琳麗は絳攸の手に数個の小石を乗せたのだった。
「……琳麗、あのな…」
「だって、応援なさるのでしょう?」
琳麗はそう言うと開いている半蔀から礫を投げたのだった。その正確さに奇人は目を見張った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
どこからか飛んで来た礫に静蘭は、眉を潜めた。正確に相手に投げ付けてくる方をちらりと見て、瞠目したのだった。
背中を合わせ棍で賊を薙ぎ倒していた燕青は、呟いた。
「おいおい、あの姫さんどういう腕してんだよ」
「──というか、なぜここにいるのかが問題だな」
剣を振り静蘭はため息をついた。
(───後で説教だな)
そんなことを考え、また賊を一撃したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
絳攸は額を覆ったのは言うまでもなかった。
「いいから半蔀を閉めろっ!」
ぐいっと腕を掴まれ、後ろに引っ張られると絳攸は半蔀を閉めたのだった。そして呆れたような顔で琳麗を眺め、琳麗は少しだけ困ったように絳攸を見ていた。
その様子を奇人のくぐもった声がそれを止めたのだった。
「この一つ向こうの室に邵可殿の娘がいる。行ってやるといい」
「黄尚書、あの娘は――」
「行け。そのことを話し合うのはお前とではない。お前では役者が不足だ」
絳攸は口をつぐんだ。──事実、その通りだったからだ。だから何も言わず、頭を下げた。
琳麗を促し、室を出ようとした時後ろから声をかけられた。
「──李侍郎」
「はい?」
「あの二人はなかなか役に立った」
そのひと言で、充分だった。
「それは、ようございました」
にっこりと絳攸は笑った。その笑みに琳麗も微笑んでから奇人を見て室を出ていった。
秀麗がいるという室の扉を叩いて、琳麗はひょこっと顔を出した。
「姉様っ!? それに絳攸様まで……」
「あら、葉医師に……その子…」
琳麗は、室にいた葉医師と寝台に横になっている少年を見遣った。
「おや、琳麗嬢ちゃんじゃないか。知り合いかのう?」
葉医師は白い髭をしごきながら琳麗を見た。
「んー…知り合いってほどじゃないけど、どうかしたの?」
「ほっほっほっ…軽い熱中症じゃ、もう大丈夫じゃよ」
「そぉ……よかった…」
琳麗はそういって横になっている曜春の額に手をあてた。その様子に絳攸と秀麗は目を見開いた。
まるで子を心配する母のように見えたからだった。
くるりと振り返った琳麗はいつもの琳麗に戻っていた。
「葉医師がいらっしゃるのならちょうどよかったわ」
「なんじゃ?」
「薬箱を貸して頂けたらと思いまして……と、ちょっと席を外しますね」
カタンと椅子から立ち上がると、琳麗は室から出ていこうとした。絳攸はまさか外に行くのではないかと、慌てて腕を取った。
「お、おい! どこに行くんだ? まさか……」
「違いますよ、ちょっと……ここの主人にお話が……」
「姉様、あの人とお知り合いなのっ!?」
驚愕する秀麗を見て、琳麗は嘘をついた。
「いいえ、ちょっと頼みたい事があるから」
にこっと笑って琳麗はそのまま出ていってしまった。