弐
さっき絳攸といた室の扉を叩くと室内から声がかかった。
「誰だ」
「紅 琳麗です。入っても──」
よろしいですか?と訊く前に扉が開かれたのだった。
「琳麗っ!」
「叔父様……再びお邪魔いたします、鳳珠様」
室の中を見れば麗しい美貌をさらけ出している奇人が座っていた。
「……どうかしたのか?」
「薬箱をお借りしようと思ったのですが、葉医師がいらっしゃったのでそちらは別として、庖厨を貸して頂けたらと思いまして…」
「なぜだ」
琳麗は半蔀の方を眺め、微笑してから口を開いた。
「夕飯もなにも口にしないで暴れているから、きっとお腹が空くだろうって思って」
「あんなやつらに琳麗がご飯を作ってやることない! むしろ私に作ってはくれ!!」
「叔父様も召し上がるなら作りますよ?」
「ほ、ほほ本当かいっ! ああ〜、いいよ、庖厨を貸すよ」
嬉しさのあまりに勝手に返事をする黎深に琳麗は苦笑した。ちらっと奇人をみると
「鳳珠様、よろしいですか?」
「別にかまわんが、私の分も頼む」
「もちろん、鳳珠様のも作りますわ」
にっこり笑う琳麗に奇人の絶世なる美貌は笑みを浮かべ、まさに絵にも描けない美しさだったようだ。
さすがにその微笑には琳麗も顔を赤くしたのだった。そして、一礼をして室から出ていったのだった。
「ありがとうございます。では作りましたら持って来ますね」
出て行った琳麗を見て、奇人は何かを考えるように顎に手をやった。
「しかし、秀麗も琳麗もお前の姪というのを抜きにすればなかなか出来がいいな。どちらかを嫁にもらうのもいいかもしれん」
黎深はぎょっとして目を剥いた。
「なにっ!? それは絶対許さんぞっ!」
「秀麗に関しては、本当の叔父だと名乗れないお前に反対される覚えはないな」
「君なんかに秀麗も琳麗もやるつもりはないぞ! あの二人にはまっとうな男をだな」
「なんだと。私がまっとうでないとでもいうつもりか」
女に振られて以後十年以上も仮面をかぶり続けるような男が、果たしてまっとうな男だろうか……という問題はさておき、二人は今後のことを話し始めたのだった。
室に戻った琳麗は、秀麗の手を借りて庖厨で色々な物を作ったのだった。
「姉様……こんなに作って大丈夫なの?」
「大丈夫よ、外で暴れてる人が食べるから。それに秀麗や葉医師だって食べてないんでしょう?」
「そ、それはそうだけど……」
琳麗は二人分の菜を盆に載せると、「御礼に持って行くわ」と言って奇人と黎深がいる室へと運んだのだった。
感激した黎深に抱きしめられたりして少し大変だったのは言うまでもなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
室に入ると秀麗が運んだ何人分か分からない菜を卓子に並べられていた。
だんだんおさまってきた庭院の騒音に室に戻っていた琳麗は、静かに立ち上がった。
「絳攸様、そろそろ……」
「ああ、静かになって来たな。よし、秀麗も行くぞ」
「え? 姉様、絳攸様?」
秀麗は訳が分からず二人に言われるがまま、曜春を葉医師に頼み庭院へと出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……なんっでお前はよわっちいくせに、ちょろちょろ邪魔しやがったんだこのバカ!」
東の昊がぼんやりと薄藍に染まりはじめたころ、燕青は翔琳少年の首根っこを猫のようにつまみあげた。
「なに!? 俺様が手伝ってやったから完全制覇できたのだぞ」
「バカタレ! 味方への被害のほうが多いじゃねーか」
翔琳の見当違いの「援護」であちこち余計な傷を負った他の三人は、無言で頷き倒れた賊を縛り上げていた。
「しかもお前だけキレーに無傷でよ」
「あんな攻撃よけられないほうがマヌケなんだ」
「お前みてーにガキの頃から山飛びまわって、サル顔負けの足腰と危機察知本能だけ異常発達してたりとかしてねーんだよ。だいたいお前一人もつかまえてねーじゃねぇか」
翔琳の首根っこを持ったまま燕青は髭を剃ろうとその場から離れながらいうと
「親父殿は人相手の喧嘩は教えてくれなかった」
真顔でいう翔琳に、燕青は目を見開いた。
「……ふーん、なるほどな。そりゃいい親父さんだ」
「当たり前だ。親父殿は国一番の親父殿だぞ」
誇らしげに翔琳が胸を張る。と、途端にその腹の虫が鳴った。
それに燕青の姿を見て付いてきていた琳麗がクスッと笑った。
「本当、素敵なお父様ね」
「って!? 琳麗姫さん!?」
「おお、昨日お会いした綺麗なお姉さんではないか」
「翔琳くん…だっけ? 曜春くんがいるところにご飯作っておいたから食べるといいわ。ただし、みんなの分残しておいてね」
「かたじけないでござる!」
そう言うと燕青から離れ、曜春がいる室へと走っていった。
それを見送って琳麗はクスクス笑っていると、後ろから声をかけられた。
「……あー、琳麗姫さん? なんでここに?」
「文が届いた時、ちょうど私もいたのよ。まあ、みんなの事心配だったし、来ちゃったの」
「それは悪かったな、心配かけて。それと、礫にはビビったけどありがとな」
燕青はにかっと笑って琳麗の頭を撫でたのだった。
「ううん、お礼を言わなくちゃいけないのは私の方よ、ずっと秀麗のそばにいてくれたでしょう? 今年は一緒にいてあげられなかったから心配してたの。でも燕青さんのおかげで大丈夫みたいね。……話聞いてくれたのでしょう? だから本当にありがとう」
にっこり笑う琳麗に燕青は照れ臭そうに頬をかいたのだった。
「……あのさ、悪いんだけど前髪少し切ってくんねぇかな?」
「いいわよ、もちろん髭も剃るのよね?」
「ああ、もう隠す必要ねーからな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
賊を縛り上げ終わったところへ絳攸は秀麗とやってきたのだった。
「終わったようだな」
「ああ」
「な、なにこれ」
絳攸が声をかけると楸瑛は振り向いて答えたのだった。
秀麗はこの状況をみて驚愕していたが、横からかかる声の主にはもっとぎょっとしていた。
「しゅーれー」
「ええ? なんであんたまでいるわけ?」
「なんでって?」
「一体、何がどうなってるのよ! あ、燕青は? あれ、姉様もいない」
首を傾げ、ここにいるはずがない彩雲国国王の姿に秀麗は、ここに一緒に来た人物を探した。
劉輝もキョロキョロと辺りを見渡すと、さっきまでいた髭男がいないのに気付いた。
「あれ〜 そういえば、こんなことに巻き込んだ張本人が逃げ出すとはけしからん!」
「逃げちゃいねーよ」
現れた男に秀麗と劉輝は、まったく見覚えがないのか首を傾げた。
「「……だれ?」」
「お、俺だよ! ちょっと髭剃って前髪切っただけだろ」
髭を綺麗に剃り、前髪を切った燕青はついさっきまでとはまるで別人だった。
「燕青〜!?」
驚く秀麗に琳麗は、笑いながら燕青の後ろから顔を出した。
琳麗の存在に気付いていなかった劉輝と楸瑛は驚いたが、燕青が劉輝の前に跪ついたのだった。