壱
後宮へ上がってから、五日経とうとしていた。
琳麗は、貴妃となった妹・秀麗の室へと廊下を歩いていた。近くまで来ると室から女官が二人出てきたのが目に留まる。
一人は自分たちの事情を知る、筆頭女官の珠翠と、少し幼げな少女が泣いているのが見えた。琳麗は、内心首を傾げながら二人に近づいた。
「どうかなさいましたの?」
「琳麗様、いえちょっと……」
さめざめと泣いている少女を見て、珠翠をみると珠翠は困った顔をしていた。きっとなにかあったのだろうと思うと、ふわりと笑って少女──香鈴の肩に手を置いた。
「香鈴、少し落ち着きましたらやるべきことをなさい」
「は、はい…」
そっと手巾を渡し、その返事に琳麗は穏やかに笑うと珠翠を見て瞳で合図をした。
「珠翠様、貴妃様は?」
「室にいらっしゃいます」
「そうですか、わかりました」
珠翠が香鈴を連れて行くのを見て、琳麗は室へと入った。
室へ入ると、貴妃であるはずの妹は長椅子に倒れこんでいた。
「……秀麗」
急に掛かった声に秀麗は、びくっとするも声の主が姉、琳麗であるのを見てふぅ〜と息をついた。
「姉様!! 脅かさないでよ! びっくりしたじゃない!!」
「あら、ごめんなさい。でもびっくりしたのはこっちよ、なにかあったの?」
「ん〜〜ちょっと……」
いい淀む秀麗をみると肩が濡れているのに気付いた。
茶がかかった肩が冷たくなりはじめ、何か拭うもの…と首を巡らせている秀麗に手巾を取り出して、肩へと押しやる。
「あ、ありがとう。姉様」
「ちょっとかかったみたいね」
火傷していない?と問うと、秀麗は大丈夫と答えた。ちょうど珠翠が手巾を持って戻った。
「香鈴、どう?」
「落ち着いてきましたよ。あなたに一生ついていくって泣いてました。それに琳麗様にも感謝しておりました」
秀麗は額を押さえ、琳麗は珠翠の言葉に首を傾げた。その姿に珠翠は苦笑しながら秀麗に新たに布を差し出した。
「ねぇ、珠翠さん。秀麗はともかく私に感謝ってどうしてなのかしら?」
「先ほどの琳麗様のお言葉は、慰めのお言葉を頂くよりも香鈴にとって背中を押すようなお言葉でしたからだと思われます」
「……私、そんな事言ったかしら?」
「おっしゃいましたよ。それに後宮での秀麗様の人気は鰻のぼりですが――お疲れのようですね?」
「……お疲れですわよ……」
秀麗は盛大にため息をつきながら、珠翠から受け取った手巾を眺めた。
ああ、なんて見事な刺繍。この布一枚で一ヶ月は食べていけそうなのに…と零していた。
「まったく、私が貴妃なんて今でも冗談みたいだわ。なんで姉様じゃなくて、私が貴妃なのよ!それに香鈴のほうがずーっとお嬢様で、うちよりずーっとお金持ちでしょうに。人のなかに案山子が混じってるようなもんよね。霄太師、絶対人選間違えているわっ!!」
「なにをおっしゃいます。家柄と血筋では香鈴など足下にも及びませんよ。国でも一、二を争う名門中の名門、紅家直系の姫であらせられるのですから」
「それでもやっぱり、姉様の方が……」
「……秀麗、私は間違ってなんかいないと思うわよ。霄太師だっておっしゃっていたじゃない調べた結果、あなたしかいなかったって、それに秀麗の方が私よりきっと向いているわ」
なにが──とは言わないが、それでも納得いかないのか、秀麗がむぅと口を尖らせているのを見て、琳麗は苦笑した。
秀麗は、うーんと唸った後グッと握りこぶしを作った。
「でも、私は仕事で後宮に来たんだもの。引き受けたからにはきっちりやるわ!」
「そうね、私も引き受けたからには頑張らなくてはね。じゃあ、霄太師に呼ばれているから行くわね」
琳麗は、賃仕事の条件を指折り数えると「教育係兼根性叩き直し係って事よねっ!」と叫ぶ秀麗に苦笑いする珠翠に目配せすると室から出ていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──五日じゃ」
琳麗が霄太師を始めとする朝廷三師がいる室へと入ると、霄太師が皺くちゃの手の平をずいと同僚の二人に向けてた。
「やはり、主上は秀麗殿のもとへ通ってはおらんらしい」
「会えねば話にならんな」
「まぁ……それも無理もないが……」
実務に携わらない名誉職とはいえ、かつての先王のもとでそれぞれ辣腕をふるった重臣中の重臣の三人が会話をしていた。
琳麗は、背筋を伸ばしそのお三方にお茶とお茶請けにと桃饅頭をすっと差し出した。
「おぉ、琳麗殿。すまぬのう」
好々爺の茶太保は礼を述べ、宋太傅は出された茶をぐいっと煽った。琳麗はその飲みっぷりにくすっと笑い、空になった湯呑みに追加を注いだ。
霄太師も一口飲み、口を出した。
「うむ、琳麗殿の茶は美味いのぅ。──さて、先ほどの話だか、どうじゃ、ここはひとつ、わしら老骨が骨を折ろうではないか!」
霄太師の言葉に、琳麗や他の二人は眉を寄せた。
──老骨が骨を折るとは、何ともイヤな表現だ。
だが、霄太師は気にもせずいそいそと紙と筆を取り出した。
「とりあえず一度会えば、あとは秀麗殿がなんとかしてくれるはずじゃ。のう? 琳麗殿」
その問いに琳麗は、是と微笑んだ。琳麗は分かっているのだ。この役は秀麗ではなくてはいけないと。
それに秀麗は王に対して色々と思うこともあったからこそ、無茶苦茶な頼みを引き受けた事を。
だからこそ、琳麗は貴妃ではなく女官としてだったのだ。そうでなくてはならないのだ。
「しかしあのふらふらしておる王をつかまえるのは秀麗殿とて一苦労じゃろう」
「まあ、確かにな」
「主上から会いに行くというのも……あまり見込めそうにないし……」
ちらりと三人が琳麗を見ると、琳麗は苦笑せざるおえなかった。確かに会おうにも後宮へのお渡りがないのだから。
その代わりというのか、某ボウフラ将軍という方が通っているとあの珠翠が苛々しげに語っていたのを思い出す。
(…全く、主上でない者が後宮に通うなんて……)
なんとなく頭痛がしてしまう。が、重臣三人は話を続けていた。
「ならばわしらでなんとか、『運命の出会い』を用意するのじゃ」
またまた琳麗たちは眉を寄せた。
──『運命の出会い』?
どこがいいかのう、と首を傾げ、霄太師は紙の上に筆をすべらせる。
「──よし、ここはひとつ、梅林の下で梅茶と梅饅頭で茶会というのはどうじゃ!?」
琳麗は眩暈がした。
(──なぜ、梅っ!?)
と考えていると、霄太師の手から宋太傅は素早く筆をもぎ取って、梅林、梅茶、梅饅頭の文字に大きくバツを書いた。
「馬鹿か! それのどこが運命の出会いだ。そこらの老人会と変わらんだろうが!」
──老人会…って。確かに老人会っぽいわ。
すると茶太保も呆れたように首を振った。
「まったくだ。おまえはその歳まで独り身だから、若い男女の求める運命の雰囲気というのがわからんのだよ、霄。まったくだめだめだ。ここはやはり劇的な感じで」
(──げ、劇的…。ねぇ〜〜…)
「そうじゃ! ここは琳麗殿の意見も聞こうじゃないかっ!!」
「そうだな、やはりここは若い者の意見が必要だ」
「ふむ、琳麗殿ならよい案があるかもしれぬな」
「……………はっ?」
じっと見つめてくる朝廷三師に琳麗は、うっ!と引き攣ったのは言うまでもなく、しかもこの論議は明け方まで展開されたのだった。
なんとか、琳麗は早々に三人の室から脱出するとすっかり暗くなった後宮へと足を向けていた。
ふと走り去る影を見つけぴくりと身体が反応した。が、それはこっそりと貴妃の室を抜け出す秀麗と案内役かと思われる珠翠の姿だった。
琳麗は、秀麗の考えを理解すると自分も厨房へと足を向けた。
「秀麗」
「ねっ、姉様っ!!」
入口からひょこっと顔を出して、声をかけると、色々思案していたのか秀麗はビクっとして琳麗をみた。
琳麗は、その慌てぶりに「驚かせてしまってごめんね」と穏やかな笑みをしながら謝った。
その琳麗の雰囲気になんだか脱力してしまうのは、のんびりとした気質のせいだろうか…と秀麗は笑う姉を見て溜息をついた。
「お饅頭作ってるの?」
「うん……姉様も作る?」
「……そうね、たまには作ろうかしら」
黙々と作る秀麗を見て、#琳麗#はふと思った。
『運命の出会い』──ね。そう先ではないはず。風がそう云っていると感じ、瞑目し秀麗を眺めた。