弐
しばらくすると、バタバタと足音が響いた。
「──秀麗が病気になっただって!?」
飛び込んできた邵可に静蘭も琳麗も驚愕した。
「父様! 仕事は?」
「だ、旦那様……今日は府庫で泊まり込みのはずじゃ、それに」
静蘭と琳麗は邵可が抱えている大量の掛布などを見た。
「ん? ああっ! なんでこんなものを? でも布団で暖かくしなきゃ。ああっ、それから精のつくご飯と──おお、氷嚢! あれ? なんで暖かくするのに冷やすんだっけ?」
「お、落ち着いて下さい。旦那様」
「そうよ、落ち着いて! 父様」
「あ、そう、そう、落ち着いて」
ふらふらと卓子に掛布やその他諸々を置いた。そしてその場にしゃがみ込み、はぁ、と大きなため息を一つついた。
「……病人なんて、ずいぶん久しぶりだから、びっくりしちゃってね」
呟くように紡がれた言葉に邵可が誰の事を思っているのか、琳麗にも静蘭にもわかりすぎていた。
病気一つしたことがなかったのに、ある日突然逝ってしまった大切な人──。
何も言えず、何も言わず、琳麗は温かい汁ものを、静蘭は氷を砕いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
氷嚢と水差しを用意して邵可と静蘭が秀麗の室へと行ったあと、琳麗は秀麗の汗を拭うための手巾を持ち室へと向かった。
「ああ! 静蘭、私がやろう。おおっ…とっと……」
「だ、旦那様! 大丈夫ですか? ここは私が──」
室内ではなにやら父様と静蘭がわたわたと騒いでいた。
「父様、静蘭何して「……何の騒ぎなの」」
琳麗が声をかけた時、騒がしさから秀麗が目を覚ましたらしい。
「おお、秀麗、大丈夫かい!?」
「え、ええ……」
返事をする秀麗の寝台の脇に琳麗はいくと、額に手を当てた。
「秀麗、まだ寝てなさい。まだ熱が上がったわよ」
「姉様……はい」
琳麗は布を桶へ入れ、かたく絞ると秀麗の額にのせた。熱が上がったと聞いた邵可は、驚きとんでもない決意をした。
「えっ、まだ上がるのかい!? 秀麗、ちょっと待ってなさい。いま特製生姜湯を作ってくるからね」
さすがにそれには秀麗と琳麗、静蘭はぎょっとした。
「え!? い、いいわよ父様。平気だから」
「そ、そうよ、父様。それなら私が」
「いいから寝てなさい。琳麗にばかり頼ってはいけないし。飲めばあっという間に風邪なんて吹き飛ぶからね」
その前に庖厨が吹き飛ぶ──と三人は同時に思った。しかし、邵可は意気揚々と室を出て行ってしまった。
「静蘭、父様を……これ以上家がボロボロになったら、路頭に迷う……」
「わかりました。琳麗様は秀麗お嬢様を」
「お願いね、静蘭──」
そう言った時、庖厨の方から盛大に食器の割れる音が響いたのだった。静蘭はすぐさま身をひるがえした。
秀麗と琳麗はどったんばったん聞こえてくる物音や、「だ、旦那様それはちょっと!」などという声を遠くに聞いて、当初はハラハラしていたが、だんだん昔を思い出していた。
「なんだか、昔を思い出すわね」
「あ、やっぱり? 病気してた頃、こういう物音って日常茶飯事だったような気がしたの…」
二人は顔を見合わせてクスっと笑った。
「ほら、もう少し寝て」
琳麗はゆっくりと寝台に秀麗と横にさせると椅子を引いて座った。
「姉様……少し話してもい?」
掛布を顎までかけて見上げてくる秀麗に琳麗は、笑みを零した。
「ええ、いいわよ」
「……なんかこんな風に寝込むのって、不謹慎かもしれないけど、大切にされてるんだなーって思う……」
「秀麗は誰からも大事にされてるわよ。昔から寝込んだりすると母様と父様が秀麗の為に薬湯や……生姜湯を作るでしょ?まあ、母様は薬湯作りが得意だったけど、父様と二人して庖厨で爆発させて、その度に静蘭に怒られても、毎回同じ事してたわ。秀麗の為にいてもたってもいられなかったのよあと、ほら! 秀麗が薬湯を苦いって言ったから母様甘いのを作ってくれたじゃない」
「……なんか……すごいの飲んだよーな……」
「…………甘すぎたのよ。静蘭が怒ってたわ」
思い出を語る琳麗の言葉に、秀麗も断片的に記憶が甦る。なんとなく微笑する琳麗の意図が分かり、秀麗も微笑した。
そして、頭を撫でてくる手に安心して秀麗はウトウトとまどろむ。
「さ、寝なさい。後で葉先生から風邪のお薬頂いてくるわ」
「………ぅん……」
しばらくするとスースーと規則正しい寝息が聞こえてきた。
琳麗はもう一度秀麗の頭を撫でて、立ち上がった。自室に戻り、防寒套を身に纏うとやや騒がしい庖厨に顔を出した。
「父様、静蘭……っ!……。」
どうしたらいいのかと静蘭が散らかされた食器を片付けつつ、それが見えないのか戸棚を漁り散らかしている邵可の姿が目に入った。
「おや、琳麗。どこか行くのかい?」
「琳麗様、どちらへ?」
「葉医師のところへ。薬を煎じて貰おうかと……」
「でしたら、私が」
「ううん、いいわ。私が行くから、静蘭は父様をお願いね」
苦笑する琳麗に静蘭は周りをみて「……はい」と答えた。見送ることないよ。と言っても静蘭は、いいえ。と門前まで見送った。
歩いていく琳麗の後ろ姿を見送った後、ドーンと聞こえた爆発音に静蘭は慌てて邸へと走り戻った。
さっきより酷い惨状に静蘭はこめかみを押さえた。
やがてやって来た絳攸と楸瑛は、静蘭によって邵可の尻拭いをさせられた上、元公子様の完璧主義による徹底した指導のもと夕飯作りをさせられたのだった。