伍
琳麗が庖厨へ入るとそこはまたすごく荒らされていた。床に落ちて割れている皿や椀。
なぜかそのまま出しっぱなしにされた調理具、汚れたままの皿。
「ああ、琳麗。お茶っ葉はどこだい?」
「父様……お茶なら私がやるから!」
「でも……」
「いいから! これ以上なにかされたら足の踏み場が無くなるわ! 秀麗たちのところへ戻って」
琳麗は邵可の背を押しながら、庖厨から追い払った。とりあえず、落ちている物を拾いお茶の支度をしていると静蘭が劉輝、絳攸、楸瑛を連れてやってきた。
「あら? 今お茶を出そうとしたのに揃ってどうしたの?」
「雪も積もって参りましたし、今晩はお泊りになるそうで、後片付けも手伝って下さるそうですので、助かります。旦那様はお休みになられるようで室に戻りました」
にこにこと笑顔で話す静蘭を見て、後ろの三人……いや二人を見ればなんだか疲れている様子だった。
「…………そ、そう。申し訳ございません。劉輝様、絳攸様、藍将軍」
「余は頑張るのだ!」
はりきる劉輝に静蘭はにっこりと笑みを浮かべた。
「では、主上。こちらの鍋を洗って下さいね」
「うむ、任せるのだ」
静蘭は劉輝に鍋を渡し、絳攸、藍将軍に床に落ちている物や洗い物を頼んでいた。琳麗も落ちていた皿などを拾っていたが、それを見た静蘭が止めた。
「ああ、琳麗様も今日はお休みになって下さい」
「え、どうして? お客様の劉輝様たちにばかりさせる訳いかないでしょう」
その言葉に絳攸と楸瑛は、秀麗に続いて心の泉にまたまたほろりとしたのは言うまでもなかった。
「琳麗様は今日どこへ行ったのかもうお忘れになったのですか? 雪山に行ったのですよ!」
「……静蘭たちも行ったでしょ」
「ええ、馬に乗ってです。琳麗様はあの雪原は歩いていたのです。柳晋同様凍傷を起こしていても不思議はないのですし、風邪を引いてもおかしくないのですよ」
それには絳攸や楸瑛も渋い顔をしていた。特に楸瑛は琳麗と相乗りした為にどんなに彼女の身体が冷えていたのかを知っていた。
「確かに静蘭の言う通りだよ、琳麗殿。貴方も風邪を引いてもおかしくない。ここは私たちがやるから。ね、絳攸? 主上?」
「ああ、琳麗にも世話になっているからな。今日は休め」
「そうだ! 琳麗が風邪を引いたと知ったら宋太傅たちが大変だからな。琳麗の分まで余が頑張るぞ」
次々と言われる言葉に苦笑して、静蘭を見ると休んで下さい。と見ていた為、仕方なしに頷いた。
「……では、お言葉に甘えさせて頂きます。よろしくお願いいたします」
琳麗は頭を下げて、庖厨から出た。途中、秀麗の室を覗けば静蘭が作ったお粥を食べていたので邪魔しないようにと室に戻った。
湯浴みの支度をして、冷え切った室を暖めようと火鉢に炭を入れて湯殿へ向かった。戻って来る頃には温まるだろう。
途中、客間により絳攸たちの室の準備をしておいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
湯殿で身体を温めて来た琳麗は、室に入った。夜着の上に肩掛けを乗せ、ほかほかとした温かみを逃さないようにしていた。
「……今日は、疲れた…かも」
寝台に座り、いつもとは違う疲れにふぅ……と天井を仰いだ。
「……無事でよかった…」
誰がとは言わない。どちらも大事に至らないで済んでよかったと今更になって安堵する。
目をつぶり、そのまま寝台に寝転ぼうかと思った時、扉が叩かれた。
「……琳麗様、起きていらっしゃいますか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうしたの? 静蘭」
室に招き入れるが、静蘭はやや俯き加減だった。何も言わない彼に琳麗は首を傾げた。
「…………」
「静蘭?」
「……………んでした」
「え?」
静蘭らしくない小さな声に、近付いて聞き返すとぐいっと腕を引き寄せられた。気付けば、ぽすっと静蘭の腕の中にいたのだった。
「せ、せせせ静蘭っ!?」
「……叩いたりして申し訳ございませんでした…」
「……あ、……ううん。あれは私が悪いんだから、気にしないで? ごめんね、心配かけて……」
謝ってくる静蘭に琳麗は抱きしめられたまま首を横に振った。
「…………すごく心配したんです。琳麗様が山に行ったかもしれないと聞いた時。もし、遭難していたらどうしようなどと……」
「……本当にごめんなさい。もうこんなことしないから」
不安げに話す静蘭の顔を覗き込み、頬に手を添えて琳麗はまっすぐ告げた。静蘭は、その手を握るとおもむろに口へと持っていった。
「……約束、ですよ? 危険な事はしないで下さいね」
そして、琳麗の指先に口付けをした。さすがにその行為が恥ずかしかったのか、琳麗は慌てて手を離したのだった。
「そ、そういえば! 片付けの方はどう? 私もやるわよ?」
「いえ、大丈夫です。主上や藍将軍たちがやって下さいますから。お気になさらずに」
静蘭はいつものようににっこり笑うと、厚布を琳麗の頭に被せた。
「よく乾かしてから寝て下さいね」
うっすらとまだ湿っている髪を一房手に滑らせた。そっと髪先に口唇を寄せて
「では、ゆっくりおやすみになって下さい」
そう告げて室から出ていった。その所作にはまたしても琳麗は頬を朱く染めたのだった。
「……び、びっくりした…」
なんだか去年の後宮に入ってから静蘭の態度には赤面させられているかのように思える。
今までなかった訳ではない。だが、今までとは何かが違う。そう──まるで恋人にするかのような態度。
「……え? いや、まさか……ね」
自分の思考に琳麗は首を振った。自分たちは家族!家族だ!!
そうして、思いながらも抱きしめられた事や口付けされた事を否応なしに思い出して、ますます熱くなる頬を押さえた。
窓を開けるとしんしんとまだ雪が降っていた。
雪雲に覆われて昊にある月や星は見えない。いや、今夜は新月だったはずだ。
そう思い、目を閉じた。聞こえてくるのは、暗闇からの甘い言葉。
愛してる。
愛してる。
私はここにいる。
お前を待っている。
待っている────。
「…………どこにいるのですか?」
目を閉じ、聞こえた囁きに問いかけた小さな呟きは、降りてくる雪によって吸収されていった。
逢いたいと願い、怖いと感じる。
この言葉はどこまで真実なのだろうか?
あの時、手をとっていたら自分は“此処”にいたのだろうか?
判らない、判らないことが多すぎる。
一体、自分は“誰”なのだろうか?
つと、自分の手をみてギュッと握った。
「……私、私は“琳麗”ですよね? 母様……」
そう呟いて手で顔を覆った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、劉輝たちを見送って琳麗は秀麗の室へと様子を見た。どうやら熱も下がったようで顔色も良くなってきていた。
しかしまだ眠っているようだったので、琳麗は少なくなった火鉢に炭を足して室を出た。
色々と秀麗にとお粥を作ったりしているとぞくぞくと秀麗に贈り物が届いた。
宋太傅からは大量の手ぬぐい、霄太師からは巻物が届いたので秀麗の室へと運べは、秀麗が目を覚ましていた。
「あら、起きたの?」
「姉様、もうすっかりいいみたい」
自分の額に手を当てて話す秀麗に琳麗は近づいた。そっと額に手を伸ばし、自分の額にも手を当てて計り比べる。
「そうみたいね。でもまだ寝ていなさい。振り返したら大変だから」
「……はい。そういえば劉輝たちは?」
「劉輝様たちはもうお城に戻られたわ。もうびっくりするくらい庖厨が綺麗になってて驚いたわ」
琳麗の言葉を素直に聞き、問いてみれば姉がクスクス笑っていた。秀麗は惨状を覚悟していたのだが、姉が大丈夫というのだから気にするまでもないと考えていた。
起きて庖厨を見れば驚くほどピカピカで、ずいぶん大変だったろうと思ったのは後ほどだった。
「そうそう、宋太傅と霄太師からお見舞いの品が届いているわ」
「ええっ!? 霄太師と宋太傅から!?」
「ええ……まあ、なんというか……お二人らしいものが…」
琳麗がみせてくれたは宋太傅からの大量の手ぬぐいと文だった。
『乾布摩擦がいいのだ』
そして霄太師からは絵に描いた金塊の特大絵巻物である。文には
『コレで秀麗殿は元気一発じゃ!』
それには琳麗は額を覆いたくなった。さすが劉輝に変な贈り物の助言をしている彼だとつくづく思った。
しかし秀麗は御利益があるかもしれないと飾り、拝んでいるのを見て琳麗は微苦笑した。
その後も贈り物やお見舞いの人が絶えなかったのだった。
「なんだか、風邪をひいて得した感じ」
あまり甘えない秀麗はみんなに甘やかされ、心配してもらえたのが少し嬉しかったようで琳麗は笑った。
「秀麗は頑張りすぎなのよ。さ、まだまだ休みなさい」
「秀麗お嬢様、まだお薬湯は飲まないといけません。火鉢の炭もケチってはいけません」
「そうだよ秀麗。あったかくしてちゃんと眠るんだよ。窓あけちゃダメだよ」
お粥と薬湯を持ち、静蘭と邵可が入ってきたのだった。琳麗はクスッと笑って秀麗を見れば嬉しそうにはにかんでいたのだった。
窓の外をみればまたしんしんと静かに雪が舞い降りていた。
お見舞い戦線異状あり?/終
あとがき
ようやく上がりました。
変な終わり方をしてしまいました〜。もう何を書きたかったのやら……。
色んな意味で申し訳ございません
読んで下さりありがとうございました!
2007/04/13