『そういや今年の会試の噂、聞いてるか? なんでも、ガキがやったら多いんだってよ。おまけに今回は、女までいるって噂だ』


途端、秀麗と影月の箸が、ぴたりと止まった。


『知ってるぜ。まだ十六、七で、状元及第間違いなしとか。俺は全財産の三割を、やつの状元にツッコんだ!』

『お前、何年か前もそんなことやって全部スッたじゃねぇか』

『……あんときはすげー大穴の十代のガキが二人して首席と次席かっさらって大番狂わせだったからな!』


酒を飲みつつ話す男三人の会話に琳麗たちは耳を傾けていた。ちらりと邵可を見れば頷かれた。どうやら絳攸と楸瑛の事らしい。


『でもあれはよ、どっちもすげー偉いさんのガキだったんだろ』

『いいよなー親の金で勉強だけしてりゃ将来安泰か』

『でもよ、女が国試受けられるなんて聞いたことねーぞ』


ぎゅっと、秀麗が手にしていた箸ごと、きつく手の平を握りしめているのが目に入った。


『評判の偉い先生だって全然駄目だったのに、女なんかが最終試験までこれるわけねーっつの』

『そうそ。つか女が国試受けてどうするんだぁ?』


ぎゃははと下品な大笑いが起こり、静蘭が彼らを睨みつけた。
琳麗も腹が立ち、疾風を起こそうかと思った時、どういうわけか男たちが座っていた椅子の脚がそろって折れた。
それどころか卓子の脚もことごとく折れ、頭から床に激突した男たちは、ついでに辺りに撒き散らされた皿やら菜やらの手厚い歓迎を受けることになったのだった。
突然の事に秀麗は呆気にとられ、静蘭と影月も驚いていた。琳麗は邵可の方を見ると、微笑を返された。


「……な、何あれ?」

「さあ何だろうね」

「本当どうしたのかしら」

「いい気味ですよ」


すっとぼけながら銅糸を素早く手の平に手操ると、邵可は箸をとった。


「さて、冷めないうちに食べようか。影月くんも、おつゆでも飲んで温まりなさい」

「あ、は、はい……」


黙って俯いていた影月は、言われるままに鴨肉の汁物を飲んで──ホッと息をついた。


「誰も、何の努力もしないで大切なものをその手に掴むことなんて、出来ないんだよ」


邵可は誰にともなく言った。傍らの琳麗は微笑しながらその話を聞いていた。


「藍将軍と絳攸殿をごらん。若すぎた彼らも、最初は散々にけなされてたけど、最後は努力という名の力で相手を黙らせてしまった。……必要なのは、きっと努力だけなんだろうね」

「……ありがと、父様」


秀麗も影月もその言葉をかみしめて笑ったのだった。
その時、荘おじさんが琵琶を用意したからと席にやってきた。琳麗は、立ち上がると秀麗と──そして影月を見てにこりと笑った。


「聞いててね」


用意された琵琶を片手に琳麗は前方の席へと移動した。琵琶を軽やかに爪弾くながら、涼やかな声が酒楼に響き渡る。
食事をしていた人々は食べる事を忘れ、みなその流れる歌声に耳を傾けた。琳麗は、秀麗、影月その他会試に挑むたちの為に琵琶を奏で、紡がれる歌声は未来への詩だった。

静寂の中、最後の音が鳴り響くとわっと歓声が鳴った。
琳麗は微笑みを浮かべ一礼をすると荘おじさんに琵琶を渡し、秀麗たちが座る席へと足を向けた。
あちこちから拍手が湧き、しまいに会試を受けるらしい書生たちに握手をせがまれた。席に辿りつけずに苦笑していると


「琳麗様、素晴らしかったですよ」


静蘭が席を立ち椅子をひいて待っていた。


「ありがとう、静蘭」

「いいえ、これくらい当たり前です」


笑みを交わす二人を見て、握手を求めていた書生たちはおずおずと自分たちの席へと戻っていった。
それには邵可は苦笑した。(なるほど、害虫駆除か…)我が家の姫たちを守る家人の優秀さに邵可は改めて感心したのだった。


「姉様の歌声って素敵ねぇ…」

「私は秀麗の二胡の方がよっぽど素敵に聞こえるわよ、あ、父様どうぞ」

「ああ、ありがとう。歌素晴らしかったよ」

「ふふ、ありがとう」


席につき、秀麗の賞賛に琳麗は苦笑した。そして徳利を持つと邵可の盃へお酒を注いだ。


「あら、お酒まであったのね。影月くんちょっと飲んでみる?」


琳麗が邵可にお酌しているのをみて秀麗が冗談半分で言ってみると、影月の反応は意外にも激しかった。


「い、いいえっ! けけけ結構ですっ!」

「あら珍しい。興味ないの?」

「いえあの、僕お酒にものすごく弱くて! 出来れば匂いも嗅ぎたくないっていうか……」


激しく拒否をする影月の態度に秀麗は少し眉を潜めた。


「ね、もしかして失くなったお金って、破落戸に盗られちゃったんじゃないの? 無理矢理お酒飲まされて、潰されちゃったとか」

「いや、そんなことはたぶん……いや、でも王都なら、そんなことも出来てしまうスゴい人の一人や二人ー……いや、でもー…」


影月は何やらぶつぶつと、わけのわからないことを呟いている。静蘭が思い出すようにちょっと首を傾けた。


「──もしそうなら青巾党ですね」

「静蘭、知ってるの?」

「ええ、近頃、城下に台頭してきた破落戸の集団です。身体のどこかに青い布をつけているのが目印なんです」


なにそれ? 青い布が目印?などと琳麗が静蘭の方をみた。


「何それ。組連の親分衆は目こぼししてるわけ?」

「今までは。ただ、近頃青巾党は目に余る行動が多いんですよ」

「それじゃあ親分衆もそろそろ動くんじゃないかな」

「会試の時期だしね」


秀麗は難しそうに眉根を寄せた。


「青巾党の頭目は、貴陽の人間じゃないわね」

「おそらく。自殺行為ですから」


四人の会話を聞いても話の見えない影月は、どうしたらいいのか困ったようにしていた。


「……あの─…」

「あ、影月くんも知らないのよね。この街のこと」

「はい」

「この貴陽は州政府側と下街で明確な線引きがされているんです」

「線引き……ですか?」

「ええ。貴陽では、いわゆる裏社会の親分衆が下街の破落戸を統制しています。他州からも多くの人が入り込む会試のこの時期、下街の治安を守り、無事やりすごせるかどうかが、親分衆の力の見せ所というわけです」


静蘭が説明すると秀麗は呟いた。


「でも親分衆は何をしているのかしら。実際、影月くんはお金を盗られちゃったわけだし」

「あ、や、まだそう決まったわけでは……金子は故郷の皆が少しずつ出してくれたものなので、無くしちゃって凄く申し訳ないんですけど……」

「ええ!? そういうお金だったの!?」

「で、でもいいんです。これさえ無事な……あ?」


影月はそう言いながら、傍らに置いてあった粗末な袋から巾着をさぐり出そうとして──みるみるうちに蒼白になった。


「──なっ!?」

「ど、どうしたの?」

「なななない!!」

「なななにが!?」


手に握られた小ぶりの巾着の中身は空っぽだった。今までののんびり具合とは一転、影月の焦りようは尋常ではなかった。


「すみません! 僕戻ります!!」

「ど、どこに?」


影月は返事も待たずに酒楼を飛び出していった。


「影月くんっ!」


そういうと秀麗も慌てて後を追った。その事態に邵可、琳麗、静蘭は立ち上がり、静蘭は二人の後を追ったのだった。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように