弐
翌朝、琳麗は秀麗と一緒に府庫へと向かっていた。手には昨夜作りすぎた饅頭があった。
「ちょっと作りすぎたかしら?」
「大丈夫よ、父様は甘い物には目がないし、たまに多めに頼まれていたでしょう?」
その言葉に秀麗は頷いた。
娘にも甘い物にも目がない父・邵可だか、特に秀麗の手作り饅頭はいつも喜んで職場へ持っていっていく。
知り合いの役人に菓子好きがいるかもしれない。と考えたら、別にいっか。という気分になった。
「でも姉様が作るなんて珍しいわね。それも考えるとやはり多くないかしら?」
「大丈夫よ、こちらは霄太師方に食べて頂くから…」
「そういえば姉様、朝廷三師付きでもあったわね」
「ええ、色々と面白いわ」
にこりと笑う姉に秀麗は(…面白いって何!? 姉様っ!!)と顔を引き攣らせていた。
府庫に着き、父がいるだろうと覗いてみたが…姿が見えない。
「あら、今日は珍しく誰もいないのね」
「本当。父様は…どこか個室に篭っているのかしら」
父は、朝廷の高官といっても府庫の管理であり、禄を忘れる程の本好きである。
「そうかもしれないわね。愛しの本がこーんなにあるんだものね、そりゃ私だって喜んで現世を捨てるわ」
「秀麗も父様と同じで本が好きだものね、とりあえずお茶の用意しましょうか」
くすくすと琳麗は笑いながら、茶器を用意し、湯を沸かした。
すると、ふと琳麗は風が運んで来る気配を感じた。顔を上げて外を見ると早咲きの桜が咲いている。
秀麗が茶筒をあけようとしているのを手で止めた。
「姉様?」
「ねぇ、秀麗? せっかくだから外で飲みましょう。早咲きの桜があるようだし」
秀麗は外から漂ってくる桜の香りに気付いた。
「そうね、それはいい考えかも」
嬉々として、手にした茶筒を茶器と一緒に手頃な籠へ入れ、秀麗は出ようとしていた。
「秀麗、先に行ってて。父様にお茶とお饅頭渡して来るわ」
「じゃあ、先に行ってるわ。姉様」
「ええ、なるべく早く行くわ……あっ、でも、もしかしたら呼ばれるかもしれないから、しばらくしても行かなかったらお茶にしていて」
府庫から出ていった秀麗を見送り、琳麗は違う籠に茶器と饅頭を持ち府庫の中にいる父の元へと歩き始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
府庫にある個室で本を読み耽っている父の姿を認め、琳麗はそっと近づいた。するとくるりと父が振り向いて、にこやかに笑っていた。
「やあ、今日は一人なのかい?」
「いえ、さっきまで秀麗もいたけれど……」
父に茶を入れ、お饅頭を盛った器を邪魔のならないところへ置いた。
「………どうだい、二人は会えそうかい?」
「ええ…邪魔が入らなければ…」
琳麗はしなやかに手を窓へと向け、フッと息を吐いた。途端に、強風が起きたのか窓がガタガタと揺れた。その所作に、邵可は眉を寄せ溜息をついた。
「それは故意だね」
「ええ。でも私がしたのはほんのきっかけ……そこから先は、王が政事をするかしないかは秀麗の手腕にかかっているだけだわ」
「そうかい……君も無理しちゃいけないよ」
「大丈夫よ、父様。私は感じるだけだから」
「ならいいが……アイツらに見つかりでもしたら」
「……父様、大丈夫。私は彼等とは違う属性だわ。母様が言っていたように彼等は私をどうこう出来ないと思う……微力だしね」
「……そうかい」
「ええ」
お互いふんわりと笑うと、邵可は饅頭を口にして「秀麗にお礼言っておいてくれるかい」と笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は、府庫から出ようと歩いているといくつもある個室の扉の前に見覚えのある青年の姿に気付き、不思議に思い声を掛けた。
「静蘭?」
その声に静蘭は素早く振り向いた。
「琳麗様」
「やっぱり、静蘭じゃない。どうしたの? こんなところで」
静蘭を見ると彼の肩越しに一人の青年がひょっこり顔を出した。
「おや、静蘭。こんな美しい女官と知り合いだなんて、君もなかなか隅におけないねぇ。初めまして、お嬢さん。私は藍 楸瑛と言います」
「ら、藍左将軍っ!? こ、この方は……」
静蘭は、突然の事にぎょっとして焦っていた。
そんな静蘭が珍しかったのか、楸瑛はからかうように静蘭の肩に手を置いた。
「もしかして、静蘭の恋人かい?」
「ち、違いますっ!!」
普段そんな静蘭をあまり見ない(ひた隠しな為)琳麗はなんだか可笑しくてクスクスと笑っていた。静蘭は、そんな琳麗の姿をちらりと見た。
すったもんだしていると、中から怒鳴り声が響いた。
「煩いっ!! この常春頭が──っ!!」
びゅんっ!と飛んで来た厚さ指四本分の本を楸瑛は難無くかわして片手で受け止めた。
「絳攸、いくらなんでも女性がいるのにこんなのを投げるなんて頂けないよ」
見れば、静蘭は琳麗を庇うように抱きしめていた。
少し、びっくりしたのか目を見開いている女官を見て、さすがの絳攸と呼ばれた青年も「うっ…」と口をつぐんだ。
「大丈夫ですか? 琳麗様」
「大丈夫です、ありがとうね。静蘭」
ふわっと穏やかに笑う顔に静蘭は、ホッとしたように微笑した。
脇で見ていた楸瑛とこちらを見ていた絳攸は、その美しい笑みにやや目を見開いた。
(こんな美しい女官がいたとは…知らなかったな)
顎に手を添え、マジマジと見ていると視線を感じたのか琳麗は、慌てて礼をした。
「お初にお目にかかります。私、琳麗と申します」
「君、いつから後宮にいるんだい? 君のような美しい人を見逃していたとはね」
片目を閉じ、軽口を叩きながら笑う男に琳麗は心の中で溜息をついた。
(…なるほど、この方が珠翠さんが言っていたボウフラ将軍…)
「先日、上がらせて頂きました。ご存知ないのも致し方ございますまい」
「ふむ、ではお近づきに君をもう少し知りたいな」
頬に手を伸ばし軽口を叩く楸瑛の手を叩くと、琳麗はおほほと笑い口を開いた。
「ご冗談ばかり。私のような者でなくても藍将軍であればより取り見取りではございませんか。私は辞退させていただきますわ」
その言いようにさすがの楸瑛も目を点にした。聞いていた絳攸も女官があの楸瑛相手にそんな態度を取るとは思わなかったようで唖然としている。
静蘭は、びっくりしつつも街でもこんな感じでかわしていた事を思い出した。が、彼女は相変わらず自分がどれだけ他人を魅了するかをわかっていないのは確かだ。
琳麗は、あくまで藍将軍は挨拶代わりの冗談で言っているのだと思い、自分も簡単に返しているのだ。
だからこそ、街の男たちはいくら本気で云ってこようが相手にされない──琳麗にその気がないのだから。
「あ、そうだわ。よろしかったらお饅頭如何ですか? ちょっと作り過ぎたので、どう静蘭?」
「えっ、あ、しかし…」
思いがけず話題を変えられ、静蘭は勤務中である為に戸惑った。が、変わった話題に楸瑛はフム…としばし考えて、にこやかに笑った。
「せっかくだから、戴こうじゃないか。それにまだ紹介していなかったね」
そういえば…と静蘭は室にいる青年をみて目を見開いた。文官の──それもかなり高位の珮玉を身につけている。
「彼は私の旧友で李 絳攸というんだ。吏部に在籍してる」
「誰が旧友だっ! 貴様なんぞ腐れ縁で充分だ!」
静蘭は、驚きの眼差しで見た。琳麗もお茶を用意しつつ絳攸を見ていた。
「もしや──李侍朗ですか!?」
「おや、さすが絳攸、有名人だねぇ。ああ、琳麗殿、ありがとう」
差し出された茶を受け取り、楸瑛は礼を述べた。琳麗は、絳攸と静蘭の前にも茶を差し出し、饅頭を懐紙にのせた。
「しかし、午前中は吏部で公務があるのでは……? なぜ府庫にいらっしゃるんですか?」
何気なしにきいた静蘭だったが、その途端絳攸のこめかみに青筋が浮いた。楸瑛は思わず吹きだし、理由を知っていた琳麗は苦笑せざるおえなかった。
「──その公務のためにだな、聞きたいことがある。 君は、紅貴妃の家人だそうだな?」
その言葉に静蘭は一瞬、琳麗を見て返事をした。
「え? あ──は、はい……」
そして、傍らの極秘事項をあっさり漏らした上官を恨めしげに見遣った。しかし、楸瑛は素知らぬ顔をして琳麗の饅頭を口にしていた。
「──彼女が邵可様の娘というのは本当か?」
「はい。旦那様をご存知なんですか?」
もう一度、ちらりと琳麗をみながら尋ねると、茶を煽りやや言い淀みながら口を開いた。
「邵可様には府庫や……そのほか色々お世話になっているからな。……で、だ。その新しく来た貴妃のことだか」
「おや──ちょっと絳攸、見てごらん。君が一月以上会えなかった人がいるよ」
庭院を見ていた楸瑛が声をかけると、絳攸は勢いよく振り返った。
「あれかっ! 朝議にも出ず、こんなところにいやがったのかあのバカ王はっ」
激昂する絳攸の隣で、やや意外そうに楸瑛の眉があがる。
「どういう風の吹き回しかな。男色家と名高い王が女性連れで──って、あれ、あの娘は」
「お、……お嬢様っ!?」
静蘭の言葉に、絳攸はぴしっと固まり、琳麗は穏やかに笑った。そして、外を見ている三人に声を掛けた。
「あの、私そろそろ仕事に戻りますので失礼致します」
「えっ…琳麗様……」
静蘭がこちらを向き、何か言いたげだったがふふっと笑い茶器と籠を持ち、サラサラと室から出ていった。
それを楸瑛は、目を細めて見ているのを知らずにいた。