静蘭が秀麗と影月を追い掛けていった後、邵可と琳麗は余った食べ物を包んで貰う事にした。


「すみませんね、荘さん」

「いえいえ。せっかく作った菜を持ち帰ってくれるなんて有り難いですよ。紅師。それに琳麗ちゃんに無理言って唄って貰ったし。あ、これ給金だよ」


手をつけていなかった菜を籠に詰めてもらっていると荘おじさんは小さな巾着を差し出した。琳麗は微笑みながら口を開いた。


「いえ、荘おじさんにはこちらこそお世話になりましたから、ありがとうございます」


礼を述べながら、琳麗はそれを受け取った。菜を入れてもらった籠を持ち、邵可と琳麗は邸へと向かって帰ろうとしていた。


「……そういえば、秀麗たち大丈夫かしら?」

「静蘭がいるから大丈夫だと思うよ。なんなら様子を見てくるかい?」

「うーん、そうね。多分胡蝶妓さんのところだと思うし、ちょっと見てくるわ」

「うん、大丈夫だとは思うけど、気をつけるんだよ」


外套を羽織り、琳麗は頷くと邵可に手を振りながら夜の街へと駆けて行ったのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「──妓楼だと!?」


絳攸はすっかり陽が落ちた往来をカッカしながら歩いていた。


「お前というやつは──なんだってそんなところに預けたんだ!」

「だってそこが一番安全だったから」

「花街自体が危ないだろうが!」


こんな会話の間も、残る一人の同行者である劉輝は、物珍しそうに辺りを見回している。噛み付かれた楸瑛は、やれやれと肩を竦めた。


「それは偏見だよ絳攸。治安はかなりいいんだ。裏の連中も統率とれてるしね。ま、君は全然花街にこないから、わからないのも無理ないが」

「お前は来過ぎだ! なんだあの女どもはっ!!」


楸瑛の姿を認めた妓楼の女たちが、飾り窓から盛んに秋波や嬌声を投げて誘ってくる。


『あらァ藍様。今日はずいぶんお早いお越しね。ステキな殿方二人もお連れになって。ぜひうちにいらしてちょうだい』

『いいえ、どうぞこちらへ。このごろいらっしゃらなくて寂しゅうございます』

『お連れのかたは慣れてなさそうね。私ならたっぷり優しくして、忘れない夜にしてさしあげてよ。ぜひいらして』


はっきりいって、楸瑛に声をかけない妓楼は一つもないといってよかった。鈴なりの女たちに甘い言葉と笑顔を振り撒きつつ、楸瑛は絳攸をみた。


「──だってさ、絳攸。モテるねぇ。なんなら楽しんできても構わないよ」

「頭腐ってんのか貴様は────っっ!! いっぺん死んでこいッッッ!!」

「この街は、もしかして楸瑛の後宮か?」


物珍しげに周りを見回していた劉輝が楸瑛に問うが、大胆な解釈にも彼は動じなかった。


「そうですねぇ。あなたのものとは目的は違いますが、この街は、すべての男たちにとっての後宮と考えて頂ければよろしいのではないかと。これから行く妓楼には、主上の後宮にも負けず劣らずの才色兼備の美女たちがそろっていますよ。楽しみにしていてください」


涼しい顔で説明する楸瑛に劉輝はうんうんと頷いていた。


「お、お前は目的を見失───りりり琳麗っっ!?」


絳攸が文句を言おうとして楸瑛の方へ顔を向けた時、前方にこんなところにいるはずのない人物の姿を見つけた。
それにはすぐに劉輝も楸瑛も反応し、目線を辿れば確かに琳麗がいた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ちょっ……離して下さいっ!」

「そんなこと言わねぇで、どこの妓楼にいるんだい? この俺の相手をしてくれよぉ」

「ですから、私は妓女ではないんです! 用事があって──」

「んなこと言わねぇで相手をしろや、優しくしてやるぜぇ」


酒が入っているのかしつこく付きまとう男に琳麗は嫌気がさしていた。


(……こんな事なら裏路通ればよかった…)


そんなことを思っていると


「────りりり琳麗っ!?」


名前を呼ばれ、そちらの方を向けばこの往来にいるはずのない二人が立っていた。(一人は有名だからいても全くおかしくはない)


「り、劉輝様っ!? 絳攸様っ!?」


未だ手首を掴まれたままで琳麗は声を上げた。が他の男の登場で持って行かれると思ったのか、男は琳麗の手首を強引に引っ張った。


「どこ見てやがるんだ!」

「……いっ…」


ギリギリと掴まれた手首に痛みが走り、眉を潜めた直後──冷めた声が響いた。


「その手を離して貰おうか」

「藍将軍……」

「……ひっ…」


楸瑛に琳麗を掴んでいた手首を取られ、冷徹というような眼で睨まれた男は、悲鳴をあげそそくさとその場から逃げていった。


「「琳麗っ!! 大丈夫かっ?」」

「大丈夫かい?」


駆け寄ってくる劉輝、絳攸と目の前で助けてくれた楸瑛に訊かれ、琳麗は頷いた。


「はい、大丈夫です。藍将軍助けて下さってありがとうございました」


頭を下げながら琳麗は礼を述べた。


「ところで琳麗殿はこんなところでどうしたんだい?」

「えっと、ですね。胡蝶妓さんのところへ。多分秀麗たちも行ってると思って……」

「胡蝶のところへ? まあ、とりあえずは一緒に行こうか。私たちも行くところだったんだよ」

「そうなんですか……」


琳麗は、ふと劉輝たちを眺めてから頷いたのだった。
四人で妓楼へと歩いて行くと、門前できゅっと眉を寄せて立っている胡蝶を見つけた。


「……胡蝶」

「ああ藍様。ちょっと気になることがあってね。って琳麗ちゃんじゃないかい! 秀麗ちゃんたちはどうしたんだい?」

「え? まだ来てないの? 影月くんを追い掛けて行ったから……」

「……そうかい。今、下の者に連れて来るよう頼んだから今に来るだろう。……で、そちらのお二方は?」


とりあえず話は後でというようにして、胡蝶は楸瑛の後ろにいる劉輝と絳攸を見た。


「私の連れだよ。『彼』に会いにこられたんだ」


劉輝は、髪の先からも色香がこぼれおちるような胡蝶を一目見て、素直に感嘆した。


「確かに美人だ。珠翠や琳麗と張り合える」

「劉輝様っ!?」

「おや最後の一言はいただけないねぇ若様。褒めるつもりなら他の女を引き合いに出しちゃいけないよ。覚えといで」

「む、そういうものなのか」


女嫌いの絳攸は、苦虫を噛み潰したような顔をしてそっぽを向いて、琳麗は姉や母のように慕っている胡蝶になんて事を!と慌てていた。


「まあまあ、琳麗ちゃん。構わないよ、琳麗ちゃんは確かに綺麗だからね」

「こ、胡蝶妓さん……」


頬に手を延ばされ、甘く囁く声に琳麗はほんの少し頬を赤らめたのだった。
そのとき、角を曲がって走ってくる一群があった。胡蝶と琳麗はすぐに気付いて門を開ける。


「姐さん、紅師のお嬢さんをお連れしました」

「よくやった。お前は裏口へまわりな。……秀麗ちゃん、お入り!」

「秀麗!?」


思いがけぬ名前に劉輝が振り返ると、まさしく見知った少女が、妓楼の門を目指して猛然と駆け込んでくるところだった。


「ほら、藍様たちもお入りになって!」

「なんなら、片付ける方も手伝うけど?」

「そりゃ、藍様が将軍様じゃなかったら喜んで受けるけどね。──花街の落とし前は花街でつける。それにまだ、時期じゃない。琳麗ちゃん、悪いけど行っておくれ」


胡蝶はそう言うと、楸瑛たちを押しながら琳麗をみた。琳麗は、彼らを建物のなかへ押し込んだ。次いで秀麗、影月、静蘭の三人が駆け込んできたのを確かめて、豪奢な門を閉じた。
肩で息をしながら、秀麗は顔を上げた。灯籠のお陰で日暮れでも互いの顔はよく見えた。


「琳麗様っ!!」

「ね、姉様っ!? なんでここにっ!? それに…………へー……藍将軍と絳攸様をお供に、お忍びで妓楼にきたってわけ」


静蘭も秀麗も、そして影月も琳麗の姿を見て驚いていた。
さっき別れたはずの姉がなぜここにいるの?とぎょっとして、次いで見た顔に、秀麗は呆れたような冷たい視線を送った。
秀麗の言葉に、劉輝は妓楼=後宮というさっき教えてもらったばかりの図式をハッと思い出し、青くなった。


「──ご、誤解だ秀麗!」


彼は必死で言い繕った。


「余ならこんなところにこなくても、自分のところでいくらでもできる!」


秀麗以外のその場にいた人々は、瞑目したり、片手で額を覆ったりした。


──それは言い訳にしても、あまりにもまずかった。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように