肆
胡蝶に案内された妓楼の一室に通されひとまず一同は落ち着いた。静蘭と秀麗は、琳麗がいることに驚き理由を質せば
「父様と一緒に歩いていたのだけど、逸れちゃったら人込みに流されて……そうしたら劉輝様たちに会ったのよ」
苦笑混じりのその理由に秀麗は呆れ、静蘭は何かいいたげだったが何も言わずにいた。そして、秀麗は劉輝とはやや離れた椅子に座り、ちらりと軽視を流し、秀麗が劉輝訊いた。
「で? 何で貴方がここにいるの?」
「彼に会いに来たんだ」
「影月君?」
「楸瑛が昨日彼を保護し、彼をここに連れて来たと聞いたから」
ちらりと影月を見ながら答えた。影月は楸瑛の話を聞いて腰を浮かした。
「あ、あなたが昨日、僕を連れてきてくれたって人だったんですかぁ!」
「そうだけど……うーん、君、ほんとに昨日の少年と同一人物?」
随分印象の違う少年を、楸瑛はまじまじと見た。
「ちょっと理由があって追いかけたんだけど、見つけたときには半分眠った状態でね。どうしても『貴陽一の妓楼に行く』って言うから、ここに。ちょうど私も泊まってたし」
それを聞いて秀麗はハッと気付いた。
「ま、まさか昨日胡蝶妓さんのお座敷を途中ですっぽかした人って」
「そう、藍様だよ。途中で呼び出されて、帰ってきたと思ったら、ぼうやと金子置いてそのまま帰っちまうんだからね。この胡蝶相手にいい度胸してるだろう?」
確かに、破産してでも胡蝶との一夜を望む男があとを絶たないのに、あっさり帰ってしまうとは、凡人には到底真似のできない偉業だ。
それには琳麗もはぁ…と感心していた。胡蝶といえば室にいる男性を見た後にやりと笑った。
「それにしても藍様よりイイ男にこれだけいっぺんに会えるとはねぇ」
聞き捨てならない言葉に、楸瑛は眉根を寄せて抗議した。
「胡蝶……せめて同じくらいイイ男とか」
「よく言えたもんだね藍様。だいたいこの胡蝶を、下街の情報源か、親分連とのつなぎ役くらいにしか思ってないんだからね。戯れの繋がりだからって、心をこめた相手にただの一夜も本気にならない男なんて、こっちから願い下げさ。イイのは口と顔とカラダと金回りだけだね」
胡蝶からばっさり切られ、一斉に周囲から突き刺さったつららのような視線に、墓穴を掘ったと、楸瑛は珍しくも深く後悔した。
「……そういえば、邵可はここで有名なのか」
さっきの『紅師』を思い出したのか劉輝が首を傾げた。
「ああ。もともと風変わりな紅師のお噂は、お客からちょくちょく聞いてたんだけどね」
その風変わりの娘である琳麗と秀麗を見つめ、小さく苦笑した。
「……最初は秀麗ちゃんがここで働きはじめて、それから琳麗ちゃんが大旦那に頼まれて楽師をするようになってから、お一人でいらしてねぇ」
「父様がっ!?」
これには秀麗だけが目を剥いた。
「あたしらはてっきり怒鳴り込みかと思ったんだけどねぇ、ばかっ丁寧に頭を下げて『娘をよろしく頼みます』っていうんだよ」
「え? は!?」
「『娘は母を亡くしたばかりで、これから先、男の私ではわからないこともたくさん出てくるでしょう。どうかよろしくお願いします』って」
「「…………」」
琳麗は、挨拶してきたよ。と言われていたがまさかそんな事を言っていたとは知らなかったので驚いてしまった。
「そしたら次に静蘭がやってきて、紅師とまったく同じこと言って去ってくし、琳麗ちゃんも歌いに初めて来た時は『秀麗をお願いします』って言うしねぇ。あたしゃ笑っちまってねぇ。あっという間に『紅師一家』は有名人さ」
「せ、静蘭も知ってたの!? しかも姉様が楽師っ!? たまに夜歌いに行ってたのは酒楼だけじゃなかったの?」
秀麗は、驚愕して静蘭を見れば額を覆って視線を外した姿が無言の答えだった。琳麗に視線を移せば頬をかきながら、えへへ…と笑っていた。
「琳麗ちゃんは大旦那が無理に言って頼んだからね。心配かけないようにと酒楼で仕事といってたんだろう。これは静蘭も知らなかったみたいだね。まあ、だけどこりゃあ、大事な娘さんを預かっちまったねぇって苦笑したもんさ。時々お二人とも様子見に、ここいらにきてたんだよ」
秀麗は、あらゆる意味で開いた口が塞がらなかったし、静蘭にしてみれば琳麗が妓楼で楽師とはいえ働いていたことに驚いていた。
「ちょっと待ってくれ、胡蝶。私は琳麗殿が歌っていたなんて知らなかったよ」
妓楼に通いつめていながら、歌姫の噂は耳にしていたが、まさか琳麗の事だとは聞いたことなかった楸瑛は胡蝶に訊いた。
「そりゃあ、藍様の前に歌うってだけで出したとしても何が起こるか分からないし、琳麗ちゃんがいる時は藍様はいらっしゃっらなかったからね。それに妓楼ではほんの時たまだけさ。酒楼辺りの方では評判だったはずだよ」
「……それはないんじゃないか、胡蝶。しかし、噂の歌姫は琳麗殿だった訳か……」
感心した風に楸瑛たちは琳麗を見ると、苦笑したのだった。胡蝶は意味ありげに静蘭を見ると妖笑を浮かべた。
「それにねぇ、様子見に来ていたお二人は夜の名花が手管駆使して誘っても、一向に乗ってこなくッてねぇ。しまいにゃ『お代はいらない』って突撃した妓女にまでけんもほろろで。そっちの意味でもかなり有名になったもんさ」
琳麗と秀麗の視線に、静蘭はぎょっと腰を浮かせた。
「こ、胡蝶さんっ」
「なんだい静蘭。誘いを無下に断ったこたぁ一生忘れないよ。この胡蝶相手に、にっこり笑って『あとで泣きを見ても知りませんよ』なんて、ものすごい台詞吐いてくれたっけねぇ」
琳麗のポカンとした表情と秀麗の愕然とした表情に、静蘭のほうが凍りつく。
今この場で最強なのは、間違いなく胡蝶であった。彼女は猫のように目を細めて笑い、話題を転じた。
「ま、それより、秀麗ちゃんも小さいぼうやも、しばらくここに泊まっておいき。ああいう手合いはしつっこいからねぇ」
「でも胡蝶妓さん、影月くんはともかく、私はいつまでもここにいるわけには」
「大丈夫さ。あと数日の辛抱だよ。邵可様には文を出しておきな」
「数日? どうしてですか?」
「ま、いずれわかるさ」
自信ありげに、胡蝶が笑った。けれど影月の顔は晴れなかったぎゅっと拳を握りしめながら呟いた。
「……僕も、ずっとここにいるわけにはいきません。どうしても取り返さなくちゃならないものがあるんです。だから──」
楸瑛は昨夜の出来事を思い返して、心底不思議に思った。
「……おかしいね。私が見たときは君、逆に破落戸からむしり取ってたけどね。何も取られた様子は無かったけど」
「でも…」
「無くなったものとは何だ?」
「え、と、木簡…です」
劉輝が訊くと、なぜか言いにくいそうで、影月はそれ以上詳しいことを言わなかった。
(……木簡…?)
琳麗はふと眉を潜め、彼に会いに来たという劉輝たちを眺めた。が、彼らが顔色を変えていた事に予感は的中らしいと確信した。
「……大事な木簡、ね」
楸瑛がゆっくりと繰り返す。影月は神妙に頷いた。
「は、はい。それ目当てに僕を襲ってきた…らしくて。たくさん集めてるっていってましたから、……もしかしたら他の人も盗られてたりしてるのかも……」
「集めてるだと?」
「本当か!?」
影月の言葉に絳攸は血相を変え、劉輝も声を上げた。ただならない様子に秀麗が不安そうに眺めていた。
「はい。さっきの人達がそう言って──」
その時、カタリと音がして、静蘭、劉輝、楸瑛が一斉に扉に顔を向けた。ただ琳麗は、気付かれないように目線だけ扉に向けていた。
「藍様、大丈夫。うちの者だよ。──用はなんだい」
胡蝶の厳しい声に、秀麗は首を傾げ傍らの琳麗にボソッと耳打ちした。
「……姉様、なんか胡蝶妓さん、いつもと違うような気がするんだけど、姉様といるときはこんな風なの」
「……そう、ね。何か違う雰囲気よね」
胡蝶妓さんの裏の顔を知らないふりをした琳麗は、秀麗の言葉に頷いたのだった。扉ごしの会話で不意に秀麗は顔を上げた。
「それが──よく秀麗お嬢さんを訪ねてくるガキで。午も姐さんに追い払われた小僧です」
「……秀麗を訪ねる小僧…?」
琳麗は不思議そうに呟き、秀麗と胡蝶は顔を見合わせた。
「……まさか、三太……?」
三太といえば、秀麗と琳麗の幼なじみの王商家の三男坊の王 慶張である。胡蝶は深くため息をついた。
「──連れてきな。とりあえず今んとこは、丁重にね」