倒れている青巾党の奴らの懐をごそごそと探っても、木簡はなかった。


「……全く、どこにあるのかしら…」


そう呟いた時、隣室から声が上がった。


『きゃあ!?』

「「──秀麗っ?」」


隣にいた絳攸と顔を見合わせ、慌てて声がする方へと急げば、バシャン──という音が聞こえ、『影月くん! 影月くん!!』と秀麗の声がした。
絳攸は、廊下に飾られていた花瓶を持つと、背後からその男の頭に叩きつけた。


「ぎゃっ」


その衝撃で秀麗を手放し、絳攸と琳麗は秀麗に駆け寄った。


「絳攸様、姉様!」

「大丈夫かっ?」

「はい…」


そう言っているつかの間、背後では花瓶の花を頭に被った青巾党の男がよろよろと立ち上がった。一番近くにいた琳麗を掴み、首筋に剣をあてた。


「この野郎っ! 動いたらコイツがどうなるか分かっているな」

「姉様っ!」「琳麗っ!」


驚く二人は声を荒げた。琳麗が懐に忍ばせておいた短刀を出そうとした時、バシャンと水音がした。みれば、酒樽に突っ込んでいた影月が立っていた。


「……てんめぇ…」


しかし、影月はさっきまでとは違う雰囲気で口の端を上げたのだった。その不敵な様に青巾党の男は、琳麗を突き飛ばし、剣を振り下ろした。


「こんの──」

「きゃっ……」

「姉様っ! 影月くん!!」

「ガキがあぁぁぁ!!」


次の瞬間、影月は片手で琳麗を抱きとめると横からくる白刄を指で止めた。


「……影月じゃない」

「「「……えっ?」」」

「俺は──陽月だ!」


その言葉と共に青巾党の男をのしたのだった。


「よ、陽月っ?」


ガンっと柱に顔をぶつけ、男はそのまま動かなくなった。


「──楸瑛が見たのはこっちか」


さすがの絳攸も唖然とした。そしてちらりと倒れた酒樽を見る。


「酒か!」

「酒癖が悪いというより、全くの別人だわ!」


呆然としながら、琳麗を守りながら男をのした影月──いや陽月を見た。ふと、床を見れば目的の木簡がバラバラと落ちていて、絳攸が叫んだ。


「あった──これだ! 拾え、秀麗!」

「は、はい!」


絳攸に言われしゃがんで木簡を拾おうとして、秀麗は血相を変えた。


「え──こ、これって──! ちょっと冗談じゃないわよ青巾党!」


すぐに這いつくばり、ばらまかれた木簡集めにかかる。そんな秀麗たちを手伝おうとしたが、琳麗は陽月に掴まれた。


「え、影月くん? 私たちも「お前、いつ戻った!?」

「──え?」


言ってる意味がわからず、琳麗は首を傾げた。が、ハッとして秀麗の背後を見た。手を伸ばそうとして、チッと影月が舌打ちをした。


「女……もう少し周りに気をつけろ」

「「へ?」」


秀麗が木簡をまた一つ拾った瞬間、彼女の身体はふわりと浮いていた。いや、投げられたというべきだろうか。
そして秀麗の背後から襲いかかろうとしていた破落戸を陽月が蹴散らしていた。宙に放られた秀麗は、陽月が軽々と跳び上がり、気付いた時には彼の両腕におさまっていた。


「特別だ。二度は期待するな。それと、影月の木簡はここにはないぜ」


やや乱暴に秀麗を下ろすと、だるそうにこめかみを揉みほぐす。


「上物とはいえ、飲んだのがあれっぽっちじゃな。……くそ、酒が切れた……やっと見つけたのに…蒼華……」


呆然とする一同をしりめに、ひとり毒づいた影月は、チッと舌打ちをして琳麗を眺めながらそのまま倒れた。


「え、影月くん!?」


皆が駆け寄り、慌てて覗き込むと、すこやかな寝息が聞こえてきた。ただ眠っているだけの彼に誰もがホッと息をついた。しかし、一人──琳麗だけは不思議そうに影月を見ていた。


(…………蒼、華……?)


懐かしいような……知っているような……そう、呼ばれていたような名に、琳麗は彼を見つめたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


すっかり片がつき、影月は椅子に座らされていた。隣に腰を下ろした胡蝶は、しみじみと呟いたのだった。


「……見事な腕だったねぇ」


それらを取り囲む壮年の男たちは胡蝶の声に応じた。


「おうよ、まったくだ」

「なかなかどうしてやるじゃねぇか」

「おお。あの小僧は、俺の組がもらう」

「ふざけんな。こっちが先に目をつけたんだ」


そんなことを言っている親分衆に琳麗は苦笑した。

(──それは無理ね)

ふと顔を上げて見れば、気色ばむ親分たちの間を縫って、劉輝が眠りこける影月の許へ近づいた。


「……残念だが、彼はこちらに先約がある」


きっぱりとした言葉に、親分たちが一斉に振り向いた。
どれも向かい合うだけで根こそぎ気力を使い果たしそうな威圧感の持ち主ばかりだったが、劉輝はまったく動じなかった。


「誰だてめぇは。名は」

「劉輝。紫 劉輝だ」


一瞬のぽかんとした間をおいて、大爆笑が起こった。


「王様とおんなじ名だってか!」

「そりゃあ従わなきゃなんねぇはなあ。けどよ、こいつに目をつけたのは俺達が先だぜ」


劉輝は微笑むと木簡を差し出した。


「いいや。影月は、これを受け取ったときから余が『目をつけて』いたのだ」


劉輝の手にある木簡を見て、親分衆はどよめいた。彼の手にあるのは会試の受験札である。


「こんなガキが会試受験者!? いやそれより──ちくしょう青巾党の奴ら!」

「……今度はもう少し早く、重い腰をあげて欲しいな」


楸瑛の言葉に、親分衆が一様に声を失う。その沈黙に乗じて劉輝が言葉を継いだ。


「おかげでこちらはとんだとばっちりをくうところだった。まさか受験者にとって命より大切な受験札を奪って恐喝していたとは──よく灸を据えるのだぞ」


その眼差しを見て、琳麗は(……凄みがあるわね)などと思っていた。
それまでじっと黙っていた白髪の親分が前に出た。横にいた胡蝶がすっくと立ち上がったのを見て、琳麗はその人を見遣る。


「──我々に、落とし前をつけさせて頂けるのですかな」

「それが筋だろう?」

「あなたの座る椅子のために、下げる頭はありませんぞ」


総白髪の親分が、試すように言う。劉輝はごく自然に頬を緩めた。


「──余自身か」


ふ、と白髭をしごいて、親分は笑った。


「さよう。我々の失態が生んだ穴を、取り返しのつかなくなる前に埋めてくださったあなたに対して。そして取り決めを守れなかったことへの心からの詫びを」


白髪の親分の言葉をしおに、胡蝶を含めた親分たちが、一斉に膝をつき、頭を垂れた。それはまったく威風堂々とした謝罪だった。
その光景に絳攸が呟いた。


「……下街を、掌握したか…」


頷いて、楸瑛はようやく剣の柄から手を離した。


「今日のところは組連へ貸しひとつということかな。とりあえずは、契りを交わすに足る相手を認められたんだろう。瓢箪から駒だな」


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蒼天の華 / 恋する蝶のように