壱
今夜は後宮に泊まろうか邸に帰ろうかと考え、回廊を歩いていると前方から騒いでいる聞き覚えのある声が聞こえた。
『煩いっ! 俺はまだ帰りたくなんかなーい!!』
『お、落ち着くんだ、絳攸。ほらしっかり掴まれ』
絳攸の肩を支え、歩いてくる楸瑛の姿に琳麗は目を丸くした。
「藍将軍……、絳攸様?」
「……琳麗殿」
楸瑛が顔を向けるとそこには、見覚えのある女性が立っていた。その表情は驚いているとしか表現出来ず、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「ど、どうなさったのですか? 藍将軍、絳攸様は?」
「いや、ちょっとね……琳麗殿こそ、これから帰るのかい?」
「え、えっ「──琳麗だと…」
返事をしようとした時、下を向いていた絳攸が顔を上げたのだった。琳麗はいつもと大分様子の違う絳攸に首を傾げ、楸瑛に尋ねようと顔を近づいた時
「琳麗、こんな奴に近寄るなーっ!」
ぐいっ!と腕を引っぱられ、抱き寄せられた。
「えっ? こ、絳攸様? どうなさったのです?」
腕を解こうにも、がっちり掴まれていて、琳麗は腕の中で身動きが取れなかった。
本気で抜けようと思えば出来なくはないが、絳攸が怪我をしてしまう可能性もなくはないので無理に抜け出そうとは思わなかった。
「絳攸、どうしたんだ!」
「煩い! 琳麗に近寄るな!!」
琳麗を助けようと手を伸ばした楸瑛を叩くと、絳攸は彼女を見た。
「……琳麗、」
「は、はい?」
「…………んで…れ…しん様は……」
掠れたような声は、悲しさを醸しだし絳攸は琳麗を抱きしめたまま意識を手放した。
ガクンっと体重をかけられ、支えきれず倒れそうになるところを楸瑛は慌てて二人ごと支えた。
「…っと」
「……ありがとうございます。藍将軍」
「いやいや、大丈夫だったかい?」
「ええ、なんとか……えっ?」
「ん?」
絳攸から離れようとしたが、絳攸は琳麗の袖をしっかり掴んでいたのだった。楸瑛と琳麗は、なんとなく顔を見合わせて笑った後二人で絳攸を送っていくことにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「絳攸様、ずいぶんと悩んでらっしゃるようですね」
カラカラと軒は貴陽別邸である紅家へと向かっていた。袖を掴まれたままの琳麗は眠る絳攸に肩を貸し、呟くように楸瑛の方をみた。
「──そうだね。たぶん、今回は黎深殿絡みだから、これは邵可様にしか話せないかもね」
「ここまで酔われるなんて……ご一緒に呑まれていたのですか?」
琳麗は楸瑛の言葉に微苦笑を浮かべた。多分、夕刻の点心修業云々もそれだろう。そんなことを思い口に出した。
「ああ、主上と静蘭と四人でね。絳攸は静蘭に絡んでしまうし」
「静蘭に、絡んだのですか?」
「珍しいだろう?────」
そう言ってさっきの出来事、絳攸が拾われたいきさつを琳麗は聞かされたのだった。そして、ため息をひとつ零した。
「……身代わりだなんて、そんな訳ないのに……」
肩では揺れて、ずり落ちるので琳麗は絳攸の頭を膝の上にのせていた。
すっと目にかかっていた前髪を横へ流してやる。楸瑛はそれを見て思わず口を開いた。
「なんだか、妬けてしまうな」
「まあ、藍将軍ったら」
クスクスと笑う琳麗に、楸瑛は微苦笑をした。
(本気なんだけどね……)
「なぜ、黎深殿は絳攸に紅姓を与えなかったんだろう?」
「それは、叔父様が絳攸様を大切になさっているからですよ」
「…………」
それは些か疑ってしまいそうだった。何も言えないまま軒はギシッと音を立てて止まったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
家人に酔い潰れた絳攸を頼もうと軒を降りた琳麗だが、離れない絳攸に微苦笑して家人たちと一緒に私室へと入ることにした。
「私が看てますから、一応白湯とお水を持って来て下さいますか?」
結局、寝台に横たわらせても琳麗の袖を掴んだままの絳攸に苦笑し、一晩泊まる事にしたのだった。
家人は礼をし、室を退室した。
送って下さるという楸瑛に「大丈夫ですよ」と言って帰ってもらった。楸瑛は、違う事を心配していたが絳攸だから平気だろうと思い「またね」と帰っていった。
琳麗は絳攸の髪を梳き、握られている袖をみて微苦笑した。
「……ねぇ、絳攸様? 叔父様は絳攸様のことをちゃんと思って下さってますよ。大切に思っていますよ」
眠っている絳攸の手を取り、琳麗は言葉を続けた。
「叔父様は、表現がちょっと他人より下手なんですよ。さらけ出して、それで嫌われてしまったら怖いじゃないですか……でも、絳攸様の気持ち……少し分かります。──大好きな、大切な人に突き放されたら不安ですよね、辛いですよね……あの時、私も怖かった……っ…」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
思い出すのは、十四年前。
あまり鮮明とは覚えてはいないが、小さな秀麗とお庭院で遊んでいたら、母上と父上、それに叔父様たちに呼び出された。
「よいか、琳麗。よく聞くのじゃぞ。──そなたは妾たちの本当の娘ではない」
「……えっ…」
「そなたは秀麗が生まれる前日に拾った子なのじゃ……だが」
母である薔君が言葉を繋げようとした時、辺りは旋風が起きた。
邵可は慌てて秀麗を庇うように抱き、黎深や玖琅は袖で顔を覆った。薔君も突然の旋風に驚いたが、それは琳麗を中心に起きていた。
ガクガクと震え、顔を蒼白にし、胸の前で組んでいた手は強く握りしめているのか真っ白だった。
「──琳麗っ!落ち着くのじゃ、そなたは妾と邵可の娘じゃっ!なにも心配することなどない!そなたを愛しておるぞ」
薔君は旋風を起こしている琳麗を抱きしめ、落ち着くようにと何度も何度も言い聞かせた。
やがて、風は微風へと変わり邵可たちは琳麗をみた。ポロポロとぷっくりした白い頬に零れる滴。
「……ほ、んと……? 要らなくない……?」
邵可たちは、琳麗の言わんとしている事を瞬時に察した。娘ではない。と言われた事に、家族という絆を断ち切られると思ったのだろう。
拾われたのであれば、捨てられるかもしれないと。大人たちは顔をしかめた。──聡明な娘であるが、まだ早過ぎた。
「要らないなんてそんな訳なかろう。そなたはもう妾と邵可の娘であり、秀麗の姉なのだぞ!」
「そうだよ、琳麗。もう君は私たちの娘なんだよ」
琳麗をギュッと抱きしめる薔君と頬の涙を拭ってくれる邵可。
「りりり琳麗っ!わわわ私も君の叔父さんなんだっ!!」
「私は君を姪だと思っている」
泣いてる琳麗にあわてふためく黎深に、そっと頭に手をのせ撫でる玖琅がいた。もっとも黎深はそれを見て嫉妬し、とんでもない言葉を発していたが。
「……わ、たし…ここにいてもいいの……? 父様や母様や秀麗たちの傍にいていいの?」
不安でそっと呟いたが、それは秀麗の笑顔で拭い去った。邵可たちを見ればもちろんだよ。と微笑まれて、今度は嬉しくて泣いた。
でも、それがその時が初めて“力”を発動した時だった。その後のことはあまり覚えていない。泣いて、笑って……目が覚めた時は傍に母様と父様がいた。少し、眉根を寄せていた。
そして、この異能と呼ばれる“力”を聞かされた。あまり使ってはならないと、二人に約束させられた。自身怖かったから使わないよう生きてきた。故意で使ったのはほんの数回。
それは偶然だったりもしたが、その時々で母様に戒められた。
「……よいか、琳麗。あまり力を使ってはならぬ。いくら微力とはいえ奴らはそなたを欲するだろう。それでは見つかってしまう。もうそなたを奪われる訳にはいかぬのだ。幸いこの貴陽であれば妾以外の者の守護があるだろう──」
ふと琳麗は母──薔君の言葉を思い出し、何かが引っ掛かった。
『──妾以外の者の守護がある――』
……母様、以外の?
それは一体……と思った時ギュッと握っていた手に力が入った事に気がついた。