回廊を歩いていると、池の辺に立っている絳攸を見かけた。琳麗は声を掛けた。


「絳攸様?」

「ああ……琳麗、か」


琳麗は庭院に降り、絳攸の傍へと近寄った。


「どうかしたのか?」

「どうかなされたのは絳攸様ではないのですか? そのような顔をなされて」

「……いや、別に…なんでもない」


ふいっとそっぽ向き、絳攸は池を眺めていた。なぜだか、琳麗の顔がみれない。──今朝みた夢のせいだろうか?


「昨日の……叔父様の言った事気になさっているのですか?」


不意に、昨日、回廊で黎深に言われた言葉を思い出した。それに顔を俯かせた。


「叔父様は、絳攸様がどうでもよくてあのような事を言ったのではないですよ」


それに絳攸は琳麗を見つめた。紺碧の瞳にぶつかり、目が離せなくなった。


「…………」

「でも、あの言い方はないですね。──絳攸様の気持ち分かります」


琳麗の言った事に絳攸は目を見張った。


「な、何を言っている。気持ちが分かるなんて……」


琳麗に分かる訳がない。黎深様の姪として、愛され、誰に憚る事なく正統な紅家直系の姫であるのに!だが、次に持たされた言葉は絳攸は絶句した。


「だって、私も絳攸様と同じですもの……」

「……っなに?」

「──私も絳攸様と同じ、『養い子』なんですよ」

「……っ!?」

「私が紅姓を賜ったのは秀麗が生まれる前でもありましたし、そうじゃなきゃ色々大変みたいだったので……」


驚く絳攸をよそに琳麗はたんたんと語った。琳麗を養い子にするには色々とあったようだ。
それは母である薔君が『娘』にしなければ、身重であるにも関わらず出でいってやる!と言ったとかどうとかいう騒動があったらしい。
無論、当時の紅家当主は怒ったがそれを無視して紅姓を与えた。のちに玖琅の計らいにより黙認という形にもなったらしい。
その話を思い出し、琳麗は微苦笑した。が、傍らの絳攸は茫然としていた。


「り、琳麗…」

『琳麗殿。霄太師が至急いらして欲しいとのご要望です』


絳攸が声をかけようとして取り次ぎの侍官が遮った。


「はい、解りました。すぐ参ります。すみません、李侍郎様。失礼致します」


外朝用の呼び方をして、琳麗は礼をしてその場から辞したのだった。侍官を先導に琳麗は回廊を渡っていってしまった。
その凛とした佇まいに絳攸はしばらく眺めていた。琳麗の発した言葉に動揺を隠せないまま。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


夕刻、女官仕事を終え、邸に戻ろうとすると後ろから声を掛けられた。


「琳麗様」

「静蘭。静蘭も終わり?」


振り返るとそこに静蘭がいた。琳麗は笑みを浮かべ聞くと彼もまた笑いながら頷いた。


「じゃあ、一緒に帰りましょう? 秀麗は今夜も泊まりのようだし……」


昼間、見た書翰の山や次々持たされる仕事を前に必死に整理していた秀麗と影月の姿を思い出し、肩をすくめた。
それに静蘭も微苦笑した。互いに少しだけ瞳が曇る。が、それを晴らすようにパン!と琳麗が手を叩いた。


「さ、邸に帰りましょう。昨夜はごめんね。邸に帰らなくて、大丈夫だった?」

「……大丈夫ですよ。そういえば今夜はお客様がいらっしゃる予定です」

「お客様? 誰?」

「絳攸殿がいらっしゃるので、旦那様はお茶だけでいいと……」


絳攸という名を聞き、琳麗は静蘭を見た。


「静蘭が頼んだの? 父様に」

「──琳麗様には適いませんね」


昨夜、楸瑛から聞いた話で黎深が絳攸を拾ったのは邵可が静蘭を拾ったからその擬似体験をする為だと言っていたことや自分は身代わりだった。
と話したのを静蘭は聞き、彼なりになんとかしたいと思ったのだろう。


「色々聞いていたからね。でも、やっぱり静蘭は優しいわね」

「……そんなこと、ありませんよ」


今朝、主である邵可に言われた同じ言葉に静蘭は、ほんの少し照れくさそうに顔を背けたのだった。

 本当にこの方々には適わない…

そう思ったのだった。
その姿を見て、琳麗は微苦笑したあと静蘭の手をとった。


「じゃあ、帰りましょうか? このままじゃ、父様がお茶の準備しちゃうわ」

「それは…大変ですね。行きましょう、琳麗様」


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


邸に戻り夕食を食べた後、琳麗はお茶の準備をして、盆を邵可に渡した。


「いい、父様。お茶は注ぐだけだからね」

「うん、分かったよ。ありがとう、琳麗」

「……絳攸様、吹っ切れるといいな…。どうして叔父様ってあんなに極端なのかしら」

「なんでだろうね」


邵可は苦笑せざるおえなかった。琳麗は、ポンっ!と手を合わせると


「分かった! 好きな子いじめみたいなものかしら?」


それには邵可も一瞬、目を開き、そして笑った。


「っはは、そうだね。当たらずとも遠からずってとこだね」


邵可は琳麗を撫でると「絳攸殿が来たみたいだよ」と言って、彼を出迎えにいったのだった。
その後ろ姿をみてから琳麗は、室に戻った。その瞳はほんの少しだけ陰りを帯びていたのだった。
ついっと吹いてくる風に、自分以外には聞こえない声を聞いた。


  もうすぐ……

  逢えるよ……

  愛しき我が姫……



ぎゅっと胸元を押さえ、静かに繰り返される言の葉に琳麗は目を伏せる。
曖昧だった記憶が少しだけ蘇る。

なぜ、あの時、私はあの場所にいたのだろう?

あの時、遠い意識のなか、彼はなんと呼んだ?

そして、あの姿はいったい……


彼なら知っているかもしれない。私が誰なのかを――…。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように