壱
琳麗は、主上に渡すべく書翰を持ち吏部へと回廊を歩いていた。理由は言わずともなく、劉輝が秀麗と影月の護衛をしている為、代わりに仕事をする絳攸に渡す為である。
吏部に着くと仕事をしている吏部官吏に声をかけた。
「失礼いたします。霄太師より吏部侍郎に書翰をお届けに参りました」
本来、外朝に女官は訪ねては来ないのだが、何度か訪れている琳麗はもう吏部官吏もお馴染みになっていた。
一人の官吏が忙しい中、手を止め「どうぞ、お入り下さい」と促した為、琳麗は頭を下げ絳攸の執務室へと入っていった。
トントンと扉を叩き、失礼いたします。と述べ扉を開けると琳麗は目を見開いた。
「絳攸様、霄太師から追加を……まあ、すごい」
入って来た琳麗に話をしていた絳攸と楸瑛はこちらをみた。
「琳麗、追加か?」
「あ、はい。お忙しいのに申し訳ございません……」
琳麗の腕にあるいくつかの書翰を眺め、絳攸はやれやれとそれを受け取った。
「やあ、琳麗殿」
「藍将軍、こんにちは」
にこりと笑みを向け、琳麗は室の一角を占領している物品に目をやった。
「すごいと思わないかい? 琳麗殿」
「ええ、本当に。秀麗が見たら羨ましがりますわ。これってもしかして除目のですか?」
「勘がいいね、琳麗殿は。除目の最終的な昇降格を決定するのは絳攸と吏部尚書だと思われているしね。それに、面白いのはこっちだよ」
そう琳麗の肩を抱き、巻物がある場所へと促した。
「なんです? これ?」
琳麗は不思議そうに豪華な巻物をひとつ手に取った。
「っ! 琳麗、見なくてもっ……」
絳攸が止める間もなく楸瑛が面白がり、はらりと巻物を解いた。そこには女性の絵姿があり、琳麗は絳攸を見て、楸瑛を見た。
「すごいだろう? 絳攸の縁談にと贈られて来た女性の絵姿だよ」
「まあ、絳攸様。ご結婚なさるのですか?」
「だ、誰がするかっ! 勝手に送ってくるんだ! 俺は女が嫌いだと言っている!!」
だん!と手で机案を叩き、絳攸はそっぽ向いたのだった。やれやれと楸瑛は額を覆い、親友を見ると口を開いた。
「絳攸、そういうのは女性がいる場で言う事ではないだろう。ね、琳麗殿」
「別に俺はっ……」
琳麗がいた事に焦った絳攸だったが、琳麗は手を振りながら
「いえ、気にしてませんので」
そう言ってふふっと笑ったのだった。その笑顔に意識されていないのかと、絳攸は自分でも気付かずに少しだけがっかりしたのだった。
「じゃあ、私が琳麗殿に結婚でも申し込もうかな」
琳麗の頬に手を滑らせ、楸瑛が顔を近づけようとして、絳攸が怒鳴るのを先にどこからか扇子が飛んで来た。楸瑛は琳麗を抱き寄せ、それを避けたがすぐに彼女から離れた。
これ以上触れていたら、命が惜しい……。壁に当たって落ちた扇子を琳麗は拾うと微苦笑した。
「返して来ますね。あ、絳攸様、書翰の方お願いいたします」
「……あ、ああ…」
琳麗は、礼をして室を辞すると尚書室へと入っていったのだった。絳攸は楸瑛を睨みつけると、彼は肩を竦めた。
「……琳麗には手を出すなよ」
「確かに、黎深殿は厄介だけど琳麗殿は魅力的だからね。さて、私は行くよ。別口で色々と忙しいんでね」
「別口?」
「ああ、じゃ」
にっこり笑うと楸瑛は退室した。先程の答えをきちんと述べぬまま、絳攸は頭をかき、今は尚書室にいる琳麗を思い浮かべた。
そして、なにかを吹っ切るように頭を振った後、再び机案に座り仕事を始めたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「叔父様、急にどうなさったのです?」
机案に黎深の扇子をコトンと置き、琳麗は小首を傾げた。黎深はそれを手にとるとふんっ!とそっぽ向いた。
「あの藍家の若造が琳麗に馴れ馴れしくするからだ! 兄弟揃って図々しい」
今は藍州に隠居した藍家当主たちを思い出し、黎深は苦々しく呟いた。琳麗はそれには微苦笑するしかなかった。
父、邵可いわく、同じ年なんだから仲良くすればいいのに。という紅藍両家当主たちは仲が悪い。琳麗は何度か、お会いした事があったが、大変可愛がわれた記憶しかない。
「……悪い方ではありませんよ?」
「なにを言う! 琳麗を抱きしめたりしておいて、悪くないというのかい!」
「そ、それは……きっと藍将軍なりの挨拶みたいなものでは?」
(だって後宮や花街ではそうらしいし……)
琳麗がそんな事を考えていると、黎深はギリギリと扇子を握っていた。
「尚更悪い! 琳麗や秀麗をそこいらの女と一緒にするなど失礼極まりないっ!」
「……そう、ですね…」
琳麗はやれやれといった風に答えた。そして、吏部に入った時の官吏たちを思い出した。
「そういえば、叔父様。お仕事なさってますか?」
「……な、なんだね。急に……もちろんしているとも(絳攸が)」
黎深は、パラっと扇子を開き、顔を隠した。それを嘘だと見抜いた琳麗はすかさず
「叔父様! 秀麗もあんなに頑張っているのですから……絳攸様だって大変ですし……お仕事きちんとして下さいましたら、府庫でお茶に致しましょう?」
「ほ、ほほほ本当かいっ?」
「はい。父様も一緒に。陰ながら秀麗を応援しましょう」
ニコッと笑う琳麗に黎深は素早く筆をとった。そして、山積みになっている書翰を皮切りに仕事を始めた。
琳麗は、落ちていたゴミと必要な書翰を別けてから、絳攸を呼びに室から出たのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕刻、邵可から「今夜は仕事が溜まっているから」と邸に帰れない事を謝られた。琳麗はクスッと笑うと邵可を見た。
「父様、秀麗と影月くんの邪魔しちゃ駄目ですよ」
「……やっぱり琳麗には敵わないね。邸の事は……静蘭がいるから大丈夫だと思うけど、気をつけるんだよ」
ぽんっと肩に手をやり、邵可は琳麗を見た。
「大丈夫、ちゃんと邸は守るから。じゃあ、秀麗たちをお願いね、父様」
「ああ」
手を振ると琳麗は、邸に帰るべく府庫を後にした。回廊を歩いていると、楸瑛に声をかけられた。
「琳麗殿」
「藍将軍。お帰りですか?」
「ええ、琳麗殿も?」
「はい。静蘭と待ち合わせして……あ、静蘭」
見ればこちらに歩いてくる家人を見つけ、琳麗は手を振った。
「琳麗様、藍将軍」
「やあ、静蘭。お疲れ様」
声をかけてきた楸瑛に一礼をすると、静蘭は琳麗の方を向いた。
「お疲れ様、静蘭。今夜は父様も仕事があるんですって」
「……そうなんですか、分かりました」
「じゃあ、行きましょう。では、藍将軍、お仕事頑張って下さいね」
琳麗は意味ありげに笑うと、楸瑛はにこりと笑い「ありがとう」と手を振ったのだった。連れだって歩いていく二人の後ろ姿を眺め、ポツリと呟いた。
「……本当に面白いね、琳麗殿は」
そして、今夜二人きりだというのを思い出し、心の中で呟いた。
(君が羨ましいな、静蘭……)