深更――琳麗は回廊を急ぎ歩き、執務室へと向かっていた。
女官の仕事の後、一旦邸に帰り、邵可と静蘭の為に夕餉の支度をしてから再度王宮に戻ろうとしていたのだが、思いの外時間がかかってしまった。
こんこんと執務室の扉を叩くと、楸瑛が開けてくれた。


「申し訳ございません。遅くなりました」

「いや、こちらも少し立て込んでしまったからよい」

「そうですか。それでお話という訳ですが……」


琳麗は劉輝に視線を向けたのち、机案の上にある小箱を視界に入れた。


「実はだな、琳麗には詳しく聞いてはいなかったのだが、昨年の茶太保の事件のことを聞きたいのだ」

「……茶太保の事件ですか?」

「うむ。一応、静蘭から話は聞いてはいる。あの時、琳麗もあの場にいたらしいな」


劉輝の言葉に、楸瑛と絳攸はぎょっとした。
その事を知っていたのは、静蘭、黒狼としていた邵可、茶太保、そしてその部下たちでしかない。もっとも茶太保の部下たちは邵可の手によって断絶させられている。


「ちょっ、ちょっと待って下さい! あの時、私たちが乗り込んだ時、琳麗殿の姿なんてありませんでしたよ」

「静蘭が言っていたのだ。静蘭を呼び寄せる為に琳麗を掠ったのだと……しかし、静蘭は気を失い、目覚めた時は琳麗は眠っていたと言っていた」


琳麗は目を伏せた。──黒狼の事を言う訳にはいかない。劉輝の方を向き、口を開いた。


「あの時、確かに私はあの場におりました。茶太保が静蘭を捕らえようとして、私は茶太保に捕まりました。そして──気がついたら王宮の寝台の上にいました」

「じゃあ、私が駆け付けた時琳麗殿はどちらに?」

「さあ、私も静蘭が気を失った後の記憶がありませんので……よく分からないのです」


本当は茶太保の後を追っていたのだが、黒狼の存在を表に出す訳にはいかず、悪いと思いながら真実は伏せた。


「では、琳麗はどうやって後宮に戻ったんだ?」

「うーん、茶太保の部下が連れて来たとか?」

「静蘭を置いておいてか?」

「そこがよくわからんところだな。琳麗なら、もしかしたらと思ったのだが……すまない。いやな事を思い出させたかもしれんな」


劉輝は琳麗を見ながら済まなそうな顔をして詫びたのだった。


「いえ、お役に立ちませんで……申し訳ございません。ですが、なぜ今頃なのです?」


琳麗は手を振りながら、不思議に思いながら小首を傾げた。


「いや、ずっと捜していた『茶家当主の指輪』が見つかったらしいのだが……本物かどうか分からなくてな。もし茶太保が亡くなる前を知っていたらと思ったのだ」

「…………」


琳麗は、一年前を、茶太保の最期を思い出す。――あの時、彼は指輪を嵌めていただろうか?いや、なかったような気がする……。考え込む琳麗に劉輝たちはじっと待った。


「……確か…」

「確か?」

「…嵌めていなかったかと、思います……」

「本当かっ?」

「自信はありませんが、静蘭が気を失う前、私は茶太保に腕を掴まれてましたから……他の、茶家本邸にはないのですか?」



机案から身を乗り出してくる劉輝に琳麗は頷いた。
あの時、最期の時も嵌めてはいなかった。──持っているとすればあの老臣たちしかいないような気がする。


「燕青からの情報では茶家本邸にはないらしい。茶太保の奥方、縹 英姫も持っていないようだしね」

「……そうなのですか」


楸瑛が答えると、琳麗は頷いたのだった。そして、さっき目に入った小箱に視線を向けた。


「それは?」

「これは“贋物”だ。とある者が“本物”に似せて作らせたらしいのだ」


劉輝が小箱を差し出し、琳麗は手に持った。


「……贋物ですね」


呟いたそれに劉輝たちは頷いた。


「分かるのか、琳麗」

「はい。昨年の春に茶太保が嵌めていたのを見ておりましたから」


かつて茶太保が嵌めていた物とは全く違う物に琳麗は、はっきりと言い切った。では、本物は一体どこへ──?と疑問が走る。
遺体となった茶太保の指から忽然と消えた指輪は、以後、茶本家はもちろん劉輝たちも血眼になって消えた当主印を捜していたのだが──。
ふと、琳麗はなにかを感じとったような気がした。久々に「茶太保」という名を聞き、頭を巡らせた。が、絳攸の発言で思考は遮られたのだった。


「しかし、あの馬鹿が見つけてあっさり無くしたという茶家当主印の指輪は本当に“本物”だったのか?」

「うん?」

「茶太保の死後、一年捜し続けても見つからなかったのに、今更なんで見つかるんだ。あまりにも時機が良すぎる」


絳攸は目を細め、楸瑛もひとつ頷いた。劉輝も手を組み、小箱に目線をやり呟いた。


「確かに、気味が悪いな。なにか別の力が働いているような」


お茶を淹れようと室の隅へ移動していた琳麗は、劉輝の言葉にハッとした。

──力……。

そうだ、あの、梅干し壷から感じたのは……。だが、まだ確信が持てなかった為琳麗は表情を出さずにその場で彼らの話を耳にしていた。


「で、どうします? 本物の指輪、捜しますか?」

「ああ、そうだな。念のため捜してくれ」


劉輝はちらりと琳麗を見た。三師付きの琳麗ならば、あのくそじじいのやった事を知っているかもしれないと考えていたのだが……
賽を投げたのが霄太師ならば、本物が出回る筈もないのだが、万が一ということがある。


「礼部のほうの──捕縛の時期は? 証拠はそろってますが」

「もう少し待つ。今は大切な時だ」


誰にとって大切な時なのか──その場にいた三人は微笑した。


「わかりました。まあ、あの手の男はほっとけばほっとくほど自分から墓穴掘ってくれそうですからね」


それには絳攸も劉輝も頷いたのだった。琳麗は苦笑し、淹れた湯呑みを三人の前に差し出した。


「お疲れ様です」


微笑む琳麗に、彼等は頷いて湯呑みを受け取ったのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


帰る途中、琳麗は、劉輝たちに尋ねられた事──否、茶太保の最期の時を思い出していた。
あの時、茶太保は確かに指輪はしていなかった。が、琳麗にとってはそれは重要ではない。
むしろ、あの場にいたあの人が、あの時見た夢のような幻──が気にかかることだった。
そして、遠い意識の中で彼に呼ばれた『蒼華』という名。影月――陽月も自分の事をそう呼んだ。
問い質したい気持ちが逸るが今はそれどころではない。

琳麗は、胸の奥にそれを押し込めた。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように