壱
琳麗は劉輝を見送った後、くるりと後ろを向いた。
「忙しくなりそうですわね」
くすっと笑う琳麗に絳攸たちは微苦笑した。
「あー…、琳麗、悪いのだが黎深様の様子を見て来てくれないか? 俺が行くよりもあの人が喜ぶだろうからな」
「あら、絳攸様が行かれても喜ぶと思いますが……でも、絳攸様は大変でしょうから私が。あ、あとこちらを各省に回せば宜しいのですよね?」
先ほど、劉輝から渡された書状を見るとそれは楸瑛が手に取った。
「これは私がやっておくよ。あーでも吏部尚書の拘束解除の件は私が行くより琳麗殿がいいでしょうね。絳攸を出て行かせる訳にもいかないしね」
甘く笑う楸瑛に、琳麗は絳攸をちらりと見た。そこには怒りでわなわなと震える絳攸がいる。
「うるさいっ! やることが山ほどあるんだっ! 貴様もさっさとそれを高官たちに回して来いっ!!」
「おっと! 危ないじゃないか、絳攸。まあ、いいや。途中まで一緒に行こうか、琳麗殿」
絳攸からの攻撃をさらりとかわし、琳麗の手を引き二人は室から出た。
「それで十六衞にこちらを渡せばよろしいのですね?」
劉輝が先程一緒に書いた書翰の中に、吏部尚書の拘束解除の文があった。
「ええ、でも一人で十六衛には行かない方がいいでしょう。例え、主上の勅書があってもね。一度羽林軍の方へ顔を出して下さい。琳麗殿なら皆顔を知ってますし、私からの託けで護衛が必要と言えば、皆競って一緒に行ってくれますよ」
「分かりました。申し訳ございません、藍将軍」
頭を下げる琳麗に楸瑛は頭を撫でてから、ふと今まで言えなかったことを口にした。
「──そういえば、どうして琳麗殿は私の事だけ名前で呼んでくれないのです?」
「え?……なにか今更ですね」
くすっと微笑すると琳麗は考えるように小首を傾げた。
「そう、ですね……父様や、静蘭がそう呼んでいらっしゃるので私もつられて、という気がしますが……名前で呼んだ方が宜しいですか?」
「是非とも琳麗殿の可愛い口唇で名前を呼ばれたいな」
「お上手ですね、いいですよ。楸瑛様」
「ありがとう、琳麗殿」
楸瑛はにっこりと笑うと名残惜しそうに琳麗から手を離した。
「では、とにかく十六衛には一人では行かないで下さいね」
そう言って、書状を持ち回廊を歩いていくのを見てから琳麗は羽林軍へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宋太傅のお供で何度か来たことのある武官宿舎へと歩いていった。どうしようかと悩んでいると右羽林軍の将軍である皇将軍と出会った。
「どうかしましたか? っと、琳麗殿ではないですか」
「皇将軍。ちょうどよかったですわ」
女官姿が見え、なにやら窺っている様子だったので声をかけてみれば、あの宋太傅お気に入りの女官、琳麗であるのに皇将軍は少しなりと驚いた。
いつもは必ず宋太傅と来ていたのに一人だけというのに疑問が湧いた。
「なにかあったので?」
「あ、いえ。これから主上より承りました吏部尚書の拘束解除の事で十六衞に参りたいのですが、藍将軍が一人では危険だからと羽林軍の誰かに護衛を頼むようにと言われまして…」
「護衛ですか? あー、では私が行きましょう……っと。少しお待ち下さい、これを白大将軍にお渡しして来ますから……」
手に持っていた酒瓶を見せた。それに琳麗は苦笑してから頷いた、が、こんなところで一人で待たせるのも危ないかもしれないと思い、皇将軍は宿舎の中に琳麗を誘った。
皇将軍と一緒に宿舎に入って来た女官に、羽林軍精鋭の武官はざわざわと騒ぎ立てた。
『おい、なんで女官がいるんだ?』
『白大将軍が呼んだとか?』
『馬鹿いえ! よく見ろよ、琳麗殿だろ』
『あの、宋太傅と一緒に来ていた琳麗殿か!』
『うわっ、俺こんな間近で見るの初めてた。すげぇ、美人』
ざわざわとしたなか、武官たちは琳麗を見て感激していたが、それは秀麗たちを心配していた彼女には聞こえていなかった。
奥の室に入った皇将軍を待っていると、バンッ!と大きな音を立てて扉が開いた。
「おう、琳麗。十六衛のところに行きたいんだってな!」
「はい、白大将軍。……なんだかご機嫌ですか?」
「まーな、ちょっといーことがあってな」
にやりと笑う白大将軍に琳麗は小首を傾げた。
その様子に笑いながら琳麗の肩を掴むと入って来た入り口へと押しやられる。
「えっ? あのっ……」
「は、白大将軍っ!」
「琳麗は俺が連れて行く、安心しな!」
ずるずると半ば引きずるようにして琳麗を連れて行く大将軍に、皇将軍ははあ、とため息をついた。
「……俺が連れて来たのに」
二人の後ろ姿を見て呟いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ずるずると引きずられるようだったが、途中でようやく肩を離してもらった。
「んで、琳麗はなんで十六衛に用があるんだ?」
「え? 皇将軍から聞いておりませんか? 吏部尚書が十六衛に捕縛されましたので主上より勅書を渡しに行くのです」
「あぁん? 紅 黎深を捕まえた? そーいや、あの嬢ちゃんの後見なんだっけ? なるほどな〜」
ニヤニヤと笑う白大将軍に琳麗は再び、首を傾げた。
「なにがそんなに嬉しいのです?」
「ん? やーっと勧誘してた奴が俺んとこ来たんだよ」
「──静蘭ですか?」
「さすがだな、当たりだ。嬢ちゃんのことがあったから来るだろうと思っていたしな。やっと覚悟決めたみたいだせ! くくっ、燿世の野郎、悔しがるぜ」
喉を鳴らし笑う白大将軍に琳麗は苦笑した。でも、ようやく静蘭も心を決めたのだとホッとした。
白大将軍に付き添って頂いたおかげで、十六衛の雑多な兵士に絡まれる事はなかった。元々主上よりの勅書を持って来たのだから当たり前ではあるが。
黎深はすぐに保釈されて、琳麗の姿を見るなり一瞬だけ顔が緩んだ。
が、白大将軍が隣にいるとはいえ十六衛の下っ端が琳麗に向ける汚らしい視線に腹立たしいのか、恐ろしい目線を向けた。
琳麗は何がなんだか分からず、白大将軍は可笑しくてくっくっと笑った。その後、楸瑛が寄越したであろう護衛と供に城内に戻ることにした。