弐
大人しく城内に戻るのかと思えば、黎深は離宮へと足をむけ、まるごと占拠したのだった。
伝言を伝えるべく、琳麗は離宮を後にすると城内へ入った。城内に入ると官吏たちが忙しく立ち回っていた。城下の機能が停止した為、大騒ぎだった。
黎深の事を伝えるべき足早に回廊を進み、主上の執務室へと琳麗は入った。入ってきた琳麗を見て、絳攸は雑務の手を止めた。
「琳麗、黎深様はどうした」
「あ、あの……今は離宮を占拠してそこに留まっておいでです」
「「……は?」」
それには楸瑛も首を傾げた。琳麗は苦笑した後、黎深の言葉を伝えるとため息を吐くしかなかった。
「なんていうか……困ったものだね」
「これはなんですか? 城内もずいぶん騒がしかったようですが」
「貴陽の機能が半分停止した。その嘆願書が次々と送られて来たんだっ! あーっ、あの馬鹿はなにをやっているんだっ!!」
仮にも一国の王、ましてや自分が仕える王に対してここまで言えるのも絳攸くらいだろう、と苦笑してしまう。それにしても──。
「ここまでしますか、玖琅叔父様……」
本当に容赦がない。と琳麗は思った。昔から一族大事な方だけに秀麗や黎深叔父様にふりかかった事が赦せないらしい。
紅家の力、ここまでとは。
なんとなく父様が手放した力が怖くなってしまう。
そして、次々と押し寄せるかの如く届く嘆願書に琳麗は、劉輝が気の毒になって仕方なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──遅いっ!」
劉輝が扉を開けると、絳攸は罵声を浴びせた。
「う……す、すまぬ」
「とっとと扉を閉める!」
「はい!」
思わず力いっぱい閉めると、その余波で近くの書翰が雪崩を起こした。
「ああっ! 何やってんですか、あんたは!!」
「りゅ、劉輝様っ!」
近くにいた琳麗と楸瑛は、書翰の山を掻き分けて劉輝の発掘にかかった。
「劉輝様、大丈夫ですか?」
「琳麗……余はこのまま埋まっていたい…」
ぐすん、と泣き出しそうな劉輝に琳麗は苦笑するが
「寝言は寝てから言って下さいね」
楸瑛はにこやかに、かつ問答無用に埋まる劉輝を引きずり出した。
「とっとと机案につく!」
びしばしと絳攸に怒鳴られ、劉輝は膝上まで迫ってきている書翰を泳ぐように掻き分けて必死に机案までたどりついた。
だが大量にある書翰をせっせとのけて、どうにか椅子についた。
「一応訊きますが、秀麗殿は無事で?胡蝶に預けたから間違いはないと思いますが、琳麗殿がかなり心配していてね」
「無事だ。ついでに静蘭もとうとう白大将軍のところへ足を運んだ。剣が欲しいと」
琳麗はクスッと笑い、絳攸と楸瑛が眉を上げた。
「ようやく肚を決めましたか。けれど右羽林軍の方とはね。残念、左羽林軍にきて欲しかったんですが」
「白大将軍は大喜びでしたよ」
「知っていたのかい? まあ、そうでしょうね。これでしばらくは、うちの黒大将軍がグレること決定ですね」
「……たとえ形だけでも、そなたの下なんぞ死んでもイヤだったのではないか」
「おや主上、いま何とおっしゃいました?」
「……すみません。失言でした」
琳麗と絳攸はそのやりとりを眺め、ため息をついた。
「今、そんな事言ってる場合かっ! 目の前の書翰の山をなんとかしろ!」
それに劉輝は気を取り直すと、文字通り書翰に埋もれている執務室をざっと眺めた。
「一応訊くが、これはすべて嘆願書か」
「そうです!」
「……う、うーむ……まさか、ここまでやってくれるとは……」
劉輝はかろうじて積み重ねられている書翰に顔を乗せた。
「城下の紅一族が一斉に仕事を放棄したんです。おかげで貴陽は大混乱。続々と嘆願書が届けられているんですっ!」
それは城内も同じことだった。
「統べて玖琅の仕業か……」
「これでも手加減してくれてます」
「本気を出したら、この国は倒れますからねぇ」
淡々に話す二人に紅一族の身である琳麗はほとほと感心してしまう。いや、畏怖の念も出てくる。
「……これが、紅家の力か」
ため息をつきつつ、劉輝は琳麗を見た。
「紅尚書はいまどうしてる」
「……離宮の一つをまるごと占拠して、自発的軟禁状態に入ってます」
琳麗は申し訳なく報告すると、劉輝は首を傾げた。
「自発的?」
「え、あれって軟禁なのかい。主上より優雅な生活を送ってるように見えるけど」
「なぜ解放されない?」
「……不当な汚名が晴れるまでは“軟禁”される覚悟だそうです。当然嫌がらせです」
琳麗から聞いた事を、絳攸が答えると劉輝は肩を落とした。
「なんと迷惑な……」
嘆じる劉輝をよそに崩れてきた嘆願書の山を横に流しながら、しみじみと楸瑛は呟いた。
「それにしても、ここまで堂々かつ無茶苦茶な圧力をかけられると、もう圧力じゃないような気がしてくるから不思議だよねぇ……」
「──楸瑛。今の状況でどれくらい保つ?」
それに楸瑛はきりりと答えた。
「保たせろと言われれば藍家の力でいくらでも保たせますが──藍家が出るまでもなく一日でおさめてくると思います。逆に言えば一日で片を付けろと言っているのですよ。玖琅殿は」
その姿に琳麗は楸瑛を書翰の山を直しつつ見ていた。
「わかった。とっとと片付けてしまおう。……それにしても、あやつ、黎深なんぞに手を出すとは何を考えてるんだか!」
憤慨する劉輝に、琳麗は楸瑛の隣で何かに気付いたように口にした。
「もしかして……」
「「「ん?」」」
「あの、もしかして叔父様が紅家当主ってご存知ないとか?」
しーん、と三人は押し黙った。そうかもしれない、と三人は思った。
「……た、しかに私たちは付き合い上、当然のように知ってましたけど。考えてみれば、ねぇ、絳攸」
「そ、そうだな。考えてみればあの人が公の場でご自分の立場を明かしたことはないな」
「……それは盲点だった」
「そこまで小物だとは思わなかったからな」
しみじみと呟く彼らに琳麗は苦笑した。
「そうそう、燕青から報告がありましたよ。明日の夕刻までには到着しますと」
劉輝は立ち上がり、楸瑛に向かった。
「──正午までに到着せよと勅命を出す」
「おそれながら──すでに出してあります」
有能な主上側近の姿に琳麗は笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、琳麗は黎深が軟禁している離宮へと足を運んだ。もう既に朝議も始まっている。が、秀麗の件よりも機能停止した城下、城内の回復の方が重要であろう。
三師付き女官である琳麗は、朝の一服の際、霄太師をみるとなにやら愉しそうに笑っていたのを思い出した。
──悪趣味だわ
そして、離宮へと入ると叔父であり、朝議に出ない吏部尚書の様子を見に来たのだった。離宮の一角で、琳麗は黎深の傍に立ちその光景を眺めていた。
黎深は優雅に茶器を傾け、くすり、と目の前の人物を見る。
「あなたは、私が相手でもまったく容赦がなかった。鼻っ柱を叩き折られましたよ」
城下、城内の騒動及び現在官吏があちこち血相を変えて駆け回っていることなど知らぬげにのうのうと瀟洒な椅子で王族以上に寛いでいる黎深に、魯官吏は滅多に変えない顔に皺を刻んだ。琳麗もため息をつくしかない。
「……折れるほど脆い鼻っ柱ではございますまい。それより紅尚書、いつまでここに──」
「魯官吏、どうぞお茶を」
「茶なんぞより早く朝議へ行って下さい。私と一緒ならば行くとおっしゃったと使いから聞いたのでここへ来たのです。今城下城内がどうなっているか──」
そうなのだ。劉輝や絳攸などが言っても離宮から出ようとしない黎深は、ボソリと呟いたのを聞き付け使いが走ったのだった。
琳麗がいえばすぐにでも出そうものなのだが、敢えてそれを言わない琳麗に劉輝たちは首を傾げた。
何かを感じていた琳麗は黎深の気が済むようにさせようとしていたのだった。