肆
「……秀麗」
府庫に戻る途中、木陰から出て来た琳麗と静蘭の姿に秀麗は、ぎょっとした。
「ね、姉様! 静蘭! な、なんで──」
そんなところに──と続けようとして、秀麗は抱きしめられた。
「……姉様っ!? ど、どうしたの!?」
静蘭は何ともいえない複雑な顔をした。
「お嬢様、さっきの方ですが」
「聞いてたのね、わかってる」
秀麗はため息をついた。琳麗も顔を上げた。
「あの人嘘が下手ね。っていうか嘘つくの慣れていない感じ。名を騙るにも藍 楸瑛ってバレバレだったわよ」
「……それは、また……」
静蘭と琳麗は顔を見合わせて、苦笑した。
「とりあえず、宣戦布告はしたわ。あとは午後来るかどうかね」
「来なかったら?」
「その時はまた考えるわ」
前向きな秀麗に琳麗は微笑んだ。やはり霄太師の目に狂いはない。自分ならばあの王を奮い立たせる事は出来ないであろうと思う。
「でもねえ、言葉が通じると思ったのよね」
「どういう意味です?」
「さっき…私の話をきちんと聞いてくれた。思っていたほど悪くないわ。……ううん、むしろあの人きっといい王様になるわ」
琳麗は瞑目した。
真っ白な白紙のような王──不思議なくらい何にも染まっていない
きっと、これからいくらだって変わっていける。秀麗がそばにいるならば、きっと──
「今日の午後…主上はきっといらせられますよ」
「だと、いいけどね」
「大丈夫、私もきっとそう思うわ」
秀麗は苦笑しながら、琳麗を見た。
「じゃあ、早速霄太師に頼んでくれる? 姉様。誰か有能な師を見繕って下さいって。まずはお勉強だけど、私も実際政事の事はほとんど知らないし」
「……お嬢様が教える側から教わる側になるのも、久しぶりですね」
「そういえばそうね……思えば塾をひらいたのも王のためだったのよね。官吏になりたくて、父様に就いて毎日猛勉強して……昔は女の子は国試を受けられないって知らなかったから………」
琳麗はもう一度秀麗を抱きしめ、静蘭は秀麗の頭を撫でた。
「……秀麗…」
「……お嬢様……よく、がんばりましたね」
ボロボロと秀麗の頬を涙が伝う。声なく泣く秀麗を二人は黙って抱きしめた。
そっと秀麗の拳をひらかせ、琳麗は手巾を巻いた。滲んだ血がどれだけ泣かずに話したかを物語った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
楸瑛と絳攸は、そばの茂みから嗚咽を漏らす秀麗の背を撫でている静蘭たちを見つめた。
「……なかなかの貴妃じゃないか。そう思わないかい? 絳攸」
「八年前……か」
「……王は、変わるかもしれないね」
「まだわからん」
「でも、変わったら──そのときは、王に仕えてもいいかな」
砕けた口調の裏にある本気の響きを、絳攸は感じとった。しかし、秀麗が去った方に首を廻らせながら、楸瑛は微笑した。
「……惜しいな。私好みの女性になりそうな予感がするのに、もう貴妃とはね」
「お前の頭は常にそれかっ!」
「君も結構気に入ったくせに。あ、でも、琳麗殿も捨て難いね」
「そういえば、本当に彼女も邵可様の娘なのか?」
「ああ、調べたらそうみたいだよ。今は貴妃付きとしているようだけど。それに朝廷三師付き女官でもあるみたいだ」
「なっ……なんだと!!」
「ちょっと興味深いね」
にやにやと笑う楸瑛に絳攸は、ケッとそっぽ向いた。
「とりあえずは、あの昏君が今日の午後姿を現すかだな。──ようやく俺にも仕事がきそうだ」
「え?」
「俺が講師役をやらんで誰がやる! これからビシビシしごいて一から政事というものを叩きこんでやる!! 遠慮なくな。よし、今から府庫で教本を見繕うぞ」
「一から政事を、ねぇ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「秀麗…」
「あ、姉様」
琳麗は、あの後室へと秀麗を連れて来た。薬箱を運んできて椅子に座った。
そっと手を取り、先ほど爪が食い込んだ掌に傷薬を塗っていく。
少し慌てる秀麗を見て、指で口唇を押し当てた。これ以上泣いて欲しくないから、敢えて何も言わないように、聞かないようにした。
その様子に、秀麗はハッとし少しだけ涙ぐみながら呟いたのだった。
「……私、姉様がいてくれて本当によかった…」
「………私の方こそ秀麗がいてくれてよかったわ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は、秀麗の要請を霄太師に伝えるとやはり分かっていたのか「やはり絳攸殿じゃろうて…本人に伝えておいて下され」と頼まれた。
室から出ようとしたとき
「琳麗殿、たまには宋の相手をしてやってくれ。あの筋肉馬鹿煩くて敵わんわい」
「やはり知っておられたんですね」
「少し前に宋から聞いておったからのう、琳麗殿をみても信じられないけどのう」
「……そうですね、そろそろ慣らしておくべきですから」
「どこまで分かっておるんじゃ?」
「……何も、私は何も。では、絳攸殿にお伝えいたします」
サラサラと衣擦れを鳴らして、琳麗は絳攸へ講師役の伝言を伝えに室を出ていった。霄太師はその後ろ姿をただ見つめていた。
府庫へ着くと、絳攸は棚から本を取り出していた。
「絳攸様」
「琳麗殿」
琳麗は、にこりと笑い霄太師の伝言を伝えた。
「そうか、琳麗殿よかったら手伝ってくれないか」
「? ええ、構いませんが」
本を沢山持っている絳攸をみて、琳麗は笑うと絳攸の手にある本を少し持った。
「あちらに運ぶのですね」
「ああ、頼む──っと、その、」
「はい?」
「琳麗殿も邵可様の娘だったのだな」
「はい、そうですわ。ですから絳攸様とは“従兄弟”ということになりますわね」
「なっ!? し、知って……」
琳麗の言った事に絳攸は持っていた本をバサバサ落としてしまった。琳麗は、苦笑すると「はい」と笑顔で答え、落ちた本を拾いながら続けた。
「だって、私の室に毎日文や贈り物が届くのですもの。お礼言っておいて下さい」
「あ…あぁ、伝えておく…」
さっきより多く持つ本を取ると絳攸は、苦笑いを浮かべながらも喜ぶ養い親の姿を想像した。
「絳攸〜。おや、琳麗殿もいらっしゃってたのかい。こんなに持たせて、絳攸。女性には軽めの物ではないと」
書棚から顔を出した楸瑛は、本を沢山持っている琳麗を見てため息をついた。
サッと琳麗の腕から本を取り上げると女好きしそうな笑みを向けたのだった。
「大丈夫ですよ、藍将軍。私が勝手に持ったのですから」
絳攸が持っていた本を持ち、卓子へと運んでいった。
「姉様、ここで何をしているの?」
秀麗は、琳麗の姿を見て少しびっくりした。彼女はくすくす笑うと背後にいる人物に目を向けた。
「やあね、あなたが霄太師に言ったんでしょ。師を紹介して欲しいって──知っているかしら? 朝廷随一の才人である李 絳攸様よ」
その紹介に秀麗は、姉の背後に立つ二人の男性を見た。一人は静蘭が連れて来た上官の藍将軍。では、その隣にいるのが…
「あ、よろしくお願い致します」
ペコリと頭を下げる秀麗に絳攸は「ああ」とだけ返事をした。
「さて、後は主役を待つばかりね。私、お茶の用意をしてくるわ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
茶器やお茶請けが入った籠を持ち、サラサラと廊下を歩いていくとやや砕けた装いをしている青年が府庫へ入るのを見た。
(──ようやく、ね)
瞑目してから、ひらひらと舞う桜の花びらを見た。美しい桜の散華に目を細める。
ふぅ…とため息を漏らすと、小さな風が起こり花びらを舞上げていった。
「琳麗様」
「静蘭」
「主上はいらせられましたか?」
「えぇ、先ほど入って行くのが見えたわ」
ふふっと笑う姿に静蘭も微笑し、すっと琳麗の手を取り引き寄せた。
「静蘭?」
「………先ほど、本当は琳麗様もお辛かったでしょう」
その言葉に琳麗は、ハッとして静蘭の胸にしばししがみついた。
「………静蘭には敵わないわね」
「無理しないで下さい、琳麗様」
抱きしめる腕が少し強まり、琳麗はその心地良さに瞳を閉じた。
「私は……無理なんてしてないわ。静蘭こそ無理しちゃだめよ」
ニコッと見上げてくる表情にドキリと胸がなった。
「無理はしていませんよ」
頬に琳麗の額をくっつけて静蘭は言った後、聞こえないよう小さく呟いた。
あなたが誰よりも大事です──と。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は籠を持ち直し、府庫へ入ると秀麗の声が聞こえた。
『──なんと! 朝廷随一の才人と誉れ高い人なんですって』
『──ようやくお会いできて光栄です、主上』
言葉とは裏腹になんとも不機嫌な声音に、琳麗はクスッと笑った。
『これから遠慮なくしごきますからね。覚悟しておいてください』
『……絳攸は、府庫の中でだけは迷わないのだな』
ぼそりと呟いた言葉に事情の知っていた楸瑛と琳麗は吹き出しそうになった。
秀麗は分からないという顔をしていたが、絳攸はわなわなと震えると口を開いた。
『──おだまんなさいっっ!!』
絶叫が府庫に響いたのだった。
第二幕/終
あとがき
書いていて、楽しかったのはじじいたちと夢主ちゃんのやり取りだったり(笑)
にこやかに笑い、饅頭を四等分にするのがちょっとね。
夢主ちゃんと宋太傅の関係は、まぁ次章で書けたらいいな〜と思ってます。
夢主の力ですがほんの少ししか力を使えません。微力です。
とりあえず風を吹かせたり、風で気配を読む程度です。
(今後どうなるか分からないけど)
静蘭としか絡みがないな〜
2007/01/10