参
琳麗は黎深の茶器にお茶を注ぐと、魯官吏に用意した茶器にも茶を注いだのだった。
「知ったことではありませんね。大体、玉座に座ってるあの洟垂れ小僧はもっと世の中の苦労というものを知ったほうがいいんです」
「…………」
「………………あなたにだけは言われたくないと思いますけどね」
いまだかつて「間違った・悪かった・反省」の三語を使ったことがないという彼こそ、少しは気苦労というものを知って欲しいと心底魯官吏は思った。
琳麗は、それに関して昨夜の大変さを思い出し、十分苦労していると思った。
「とはいえ、私はつまらない嘘はつきません。あなたと一緒なら朝議に参りましょう」
「ならお早く」
しかし、黎深は立たなかった。
「座って下さい。あなたとこんな風に過ごせる時はそうないのですから。お茶を。毒など入っておりませんので、ご心配なく。琳麗の淹れてくれるお茶は美味ですよ」
隣に立つ琳麗を見て黎深の顔が一瞬緩んだが、ぷるぷると震える魯官吏は気付かなかったようだ。
魯官吏はひとつため息をつくと、黎深の向かいに座り直した。
「もっとも、あなたが私に厩番を命じた時は、何度も抹殺しようかと思いましたが」
「…………そうでしょうな。私も何度殺気を感じたことか」
さらりと話す会話に琳麗は心の中で「……叔父様…」とため息をついた。
しかし躊躇わずに茶に口をつけた魯官吏に、黎深が滅多に見せない(琳麗は見慣れている)本当の微笑を浮かべたのに微苦笑した。
「しなくてよかった。あなたの真意は、あとでわかる。杜 影月はあまりに若くなんの後ろ盾もない。秀麗は若い上に女。どちらもなめられ、潰しにかけられるのは目に見えている。あなたの厳しい指導は、自分への自信と、朝廷勢力への抵抗力をつけるため。そして新進士がどれだけ優秀かを見せつけて、上になめられないようにしてくれる」
「…………」
「厠掃除も沓磨きという雑用も、官吏たちの真実を見聞きするのに最適だ」
話を脇で聞いていた琳麗は、なるほどと思った。だからこそ劉輝や絳攸たち、そして霄太師たちが信頼をしていたのが分かった。
そして、魯官吏が二人の有能さを示すために、一見屈辱的なことをさせていたのか──すべては、彼らを頭から侮る官吏たちに認めさせるため。
琳麗は微笑し、黎深は扇を広げた。
「朝廷最高官たちは、あなたが誰にどれだけ仕事を振っているかで未来の能吏か否かを判断する」
「……買いかぶりです」
「いいえ。あなたが私や奇人に一言いえばいくらだって昇進させられるのですが」
また茶をぐいっと煽った魯官吏に、琳麗はお茶を注いだ。
「……私は今のままで満足しています。私のような者も、朝廷には必要であると先王陛下は直々に頭をお下げになられました。そして今また、そのご子息が私にすべてを任せるとおっしゃってくださった。……今年は、未来に期待出来そうな年です。年若い進士たちは、助け合う心を知っております。この先、彼らが朝廷を支えていくのなら現王陛下の御代は安泰でありましょう。ご即位始めから、幸せなかたです」
静かに笑う魯官吏に琳麗は目を閉じた。
「あなたのようなかたがいらっしゃることこそ、何より幸せなことです。何やら毎日こっそり置かれてある菓子やら肉まんやらお茶やらの運び手があなただと知った時は仰天しました。どうやら今もあの習慣は変わっていないようですね」
それには琳麗も少なからず驚いたが、次の言葉に苦笑してしまった。
「……あなたは『なんだこのちんけな饅頭は』とぷりぷり怒っておられた」
「でも、食べましたよ。あなたはいつも何も言わない。私からみれば貧乏くじばかりの人生です」
「……ほっといてください」
「──主上も、長年のあなたの恩に報いるつもりでいます」
「はあ?」
「私と一緒に、朝議に出て下さるのでしょう?」
魯官吏はぎょっと顔色を変え、立ち上がった。黎深はにっこりと笑った。
「……わ、私は今の地位で充分満足……」
「あなたが行かなければ、私も行きません。もしそれで今度城下全機能停止になったら、あなたのことだから良心が疼くのではありませんか?」
「きょ、脅迫するおつもりですか」
(……脅迫だわ…)
「そんなにお嫌ですか? 確かに主上にあなたはもったいない。ああそうだ、我が家へきて家令になりませんか。そうだ、それがいい」
扇をさらりとたたみいい提案だとばかりに言い放った。
琳麗は、ようやく黎深が『唯我独尊我儘大王』と呼ばれる意味がほんの少し分かった気がした。
「一緒に朝議に参ります……」
「そうですか、それは残念……」
黎深は本気で残念そうな顔をした。けれど気を取り直し、優雅に立ち上がった。琳麗は扉へと移動し開け放った。
「では、お約束通り、そろそろ参りましょうか」
ゆったりと歩き出した黎深に魯官吏はため息をつくしかなかった。
二人を見送った後、琳麗は秀麗たちの事が気になり来るべき回廊にて待とうとしていた。
霄太師たちが朝議に出ているが、構わず回廊を歩いた。
「あっれー? そこにいんの琳麗姫さん?」
聞き覚えのある声に振り向けば、半年ぶりに会う浪 燕青の姿があった。
「燕青さん! どうしたの?」
「いやー、李侍朗さんじゃないんだけど迷ったみたいでなー」
その軽いノリに琳麗はおかしくて笑ってしまう。そこへ、風からの気配で秀麗たちが走っているのを感じた。
「燕青さん! 手を貸してっ!!」
「え? なになに?」
燕青の手を掴み、琳麗は回路を走ると聞こえて来た声に耳を傾ける。
『我が碧家は詩文、芸能に長ける家だ。武芸などとんと縁がない』
『……つ、使えない…』
その声に琳麗もがっくりしそうになる。
引っ張って来た燕青は状況を理解したのか、ニカッと笑ったのち飛び出し、棍を片手に下っ端兵士を吹っ飛ばした。
「よぉ、久しぶりだなー姫さん、静蘭」
「「燕青っ!?」」
驚く二人にもろともせず、燕青は鮮やかな棍さばきで兵士たちをなぎ倒していった。
「っし! 一丁上がり」
「燕青、どうして……」
仰天する秀麗に燕青は「まあまあ」と制止した。首を横に向けると
「これでいいんだろー、琳麗姫さん」
「姉様っ!?」
「琳麗様」
「ありがとう、燕青さん。さあ、秀麗。急がないと」
陰から現れた久方ぶりに会う姉に秀麗は驚くも、先を促された。
「えっ、あ、はいっ!」
「さあ、静蘭も燕青も秀麗を守ってあげて」
「──琳麗様は」
走りだした秀麗の後を碧進士と燕青が追った。静蘭が残される琳麗を見て手を伸ばした。
「こんなところに置いていける訳がないでしょう」
細い腕を掴み、秀麗たちの後を追った。
途中まだいたのかという十六衞の下級兵士が、秀麗を間に合わせない為に路を塞ごうとするが、彩雲国屈指の燕青と静蘭にいたのでことなきを得た。
バンっ!と朝議の間の扉を開き中へと飛び込んだ。
「紅 秀麗、参りました」
凛とした声が響き、絳攸や楸瑛、黎深、奇人、そして魯官吏はホッとしたようだ。劉輝は、顔を上げた。
「紅進士、そなたの国試及第に不正ありと疑惑を持つ者がいる。どうする」
「私は官吏を辞める訳には参りません。まだ何ひとつ成していないのですから」
「ちょうど正午だ。これより査問会を始める」
劉輝の声に、秀麗は深く跪拝してはっきりと言った。
「どうぞご随意に」
それと共に扉が閉まった。琳麗はそれを眺め、くすりと笑った。
秀麗はきっとくぐり抜けるだろう。この場の官吏の度肝を抜き、そして認められることに確信した。──きっとこのあとは。
寂しく思いながらも琳麗はその場からそっと離れた。
お疲れになった彼らの為にお茶の支度をする為に。
第五幕/終
あとがき
なんというか……ね?(なにがだ)
はい、第五幕終わりです。
夢主は王宮にいるものですから、書きにくいですねー。
どんな方かも未だ分からない「皇将軍」を出しちゃいました。
ほんのちょっとだけですが……夢主護衛も白大将軍に奪われるし。
ちょっと出したかったというか、夢主と絡ませたかったというか…なんとなくで出しました(笑)
あと、燕青とのやり取りもなかったのに書いてたらいつの間にか現れた燕青。
アニメと原作を絡めて絡めて……ちょっとアレですが……あと二幕で終わるのか怪しいです。
が、頑張ろう。感想頂けたら嬉しく思います。
ところで誰落ちがいいのか(ぇ)
2007/06/09