壱
査問会から翌日、官吏たちの秀麗を見る目が変わった。誰もが彼女の能力を認めたのだった。
秀麗の凛とした態度はどうどうとして見事なものだった、と朝議から戻って来た霄太師と宋太傅に教えられた。お茶を出しながら琳麗は、ふふっと微笑した。
「探花及第は伊達ではありません。当然でしょう」
「ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ。琳麗殿は秀麗殿を信じているのじゃのう」
「もちろんです」
お茶請けを差し出し琳麗は嬉しそうに笑みを浮かべる姿に、二人も顔を緩めた。が、琳麗が心内では少し寂しく感じていたのは誰も知らなかった。
(……行ってしまうんでしょうね…)
その夜、琳麗は邸に帰ることなく王宮に留まった。霄太師と宋太傅に連れられ、主上の執務室にいた。
琳麗の入室にうろたえたのは主上、双花菖蒲と呼ばれる側近、吏部戸部両尚書──そして前茶州州牧浪 燕青だった。
「琳麗、なぜここに……」
「あの、霄太師、宋太傅。私、外にてお待ちいたしますが…」
「いや、ここにいるのじゃ。よいですかの、主上」
問いかけるというよりは同意を促していた。その様子に琳麗は訳が分からず、その場にいた黎深は可愛い姪の琳麗を我が物顔で話す霄太師を睨んでいた。
「……まあ、よい。とっとと始めよう。燕青、これを」
蔡尚書が隠し持っていた指環を見せると、燕青はそれを手に取った。それをしげしげと眺めた。
「ひっでぇ出来だなー。あのじーちゃんが慌てて作って鬘の下に隠していた指環か」
「──やはり偽物か」
「ま、そうだとは思ったが」
「始めに蔡尚書が失くしたという指環はまだ見つからないのか」
劉輝が周りを見ると黎深が扇子を開き、答えた。
「捜させてはいるのですがね」
「果たして、それが本物か否か──」
そのような会話を聞いているのも場違いなようがして、琳麗は室の片隅にある茶器でお茶を淹れていた。
始めに劉輝の机案に置き、三師、尚書たちへと渡していく。
「ありがとな、琳麗姫さん」
「いいえ、お気になさらず」
燕青は受け取った茶を飲んだあと、積み重ねられている品々に目を向けた。
「しっかし、ずいぶん溜め込んだなー」
「蔡尚書が賄賂に使おうと集めていた品々だ」
「なにこれ?」
燕青がそのうちの一つを手に取り、豪華な絵巻物をはらりと解いた。琳麗も横にいた為にそれを覗き込んだ。
「蔡尚書が絳攸の妻にと奨めたご令嬢の、絵姿だね〜」
そこには蔡尚書似のふくよかで控えめに言っても金のかかりそうな女性が、全身を飾り立てて笑っていた。
「勿体ないことしたなー」
「黙れっ!」
燕青に怒鳴る絳攸に琳麗はクスクス笑っていた。そして、広げられた絵姿を見て小首を傾げる。
「ん? どうかしたのかい、琳麗殿」
机案にある偽物指環と絵姿を見比べている琳麗に楸瑛は声をかけた。琳麗はそっと絵姿の、女性のはめている指環を示した。
「あの、これ……」
「あーっ!」
その指し示すのを見た燕青は声を上げると皆が驚いた。
「どうした」
「みーっけ!」
燕青は絵姿を見やすいようにして、描かれている女性の指にあるのを指した。それをみた皆の声は重なったのだった。
「「「「「ああっ!」」」」」
部下を蔡尚書の邸に向かわせ、娘が持っていると思われる指環を待っている間、琳麗はお代わりのお茶を注いだ。
「しかし、琳麗殿もよく気付いたね」
楸瑛は先にその絵姿を見ていたのにも関わらず気がつかなかったのだ。
「偶然ですけどね、」
「いやいや、そんなことないよ。ねぇ、絳攸」
「あぁ、そうだな」
「褒めても何も出ませんよ。絳攸様、楸瑛様」
クスクスと笑う琳麗だったが、周りの者は耳を疑った。
「琳麗、今なんと言った……?」
「え? やだ! 冗談で言っただけですよ?」
別に褒められた訳でないのを分かっていて、琳麗はふざけて言っただけなのだが、それが不快に聞こえたのかと思い焦ったのだった。
「いや、そうじゃなくてだな「今、藍家の若造をなんと呼んだ、と言いたいのだろう。李 絳攸」
絳攸の声を遮り、宋太傅が話しかけた。絳攸は、そうです。という顔を宋太傅に向けた。
「えっ……?楸瑛様、ですが……?」
それがなに?と小首を傾げる琳麗は訳が分からないと楸瑛を眺めて、にこりと笑った。それに楸瑛も甘く笑い返すが
「り、りりり琳麗っ! なぜ、いつの間にっ、藍家の四男の名前を呼ぶようになったんだいっ!?」
楸瑛と琳麗の間に割り込んだ黎深は、彼女の肩をガシリっ!と掴んだ。
その光景に楸瑛は顔を引き攣らせ、逃げたい気持ちになった。
見れば宋太傅は腕を組み、黄尚書も仮面を付けているがなにやら怖い。絳攸と燕青、劉輝を見れば苦笑いをされ目を逸らされた。
(……これはどうしたものか…)
ただ名前を呼ばれただけで執務室の空気は楸瑛にとって厳しいものになった。そんな楸瑛の気持ちも解らず、琳麗は黎深を見上げた。
「名前で呼んではいけなかったですか? だって、名前で呼んで欲しいと言われましたので…」
その一言で黎深から殺気が向けられた。でも、琳麗に名前を呼ばれたかったのだ。なぜ、自分だけ呼ばれないのだと思っていたから。
「それに皆様も名前で呼ばせて頂いておりますし、それだけですわ」
「だがっ、私のことは……」
「黎深叔父様と呼んでいるではないですか。違いなんてありませんよ」
琳麗のその一言で楸瑛はなにか落とし穴に落とされた気分だった。
(……もしかして、将軍と呼ばれる方が価値があったのか…?)
静蘭は家人であるから仕方がない、黎深殿は叔父様が付く、絳攸は李侍朗と呼ばれたりはしない。主上も敬称は付くが名前、燕青も普通に名前……。
親しい者の中で名前で呼ばれなかった自分は意外に特別だったのか?──そう思う楸瑛だった。
その考えがなんとなく分かった腐れ縁の絳攸は、心の中で(……馬鹿だな)と思っていた。
黎深はそれでも許せないのか、琳麗を楸瑛に近づけないようにさせて、奇人もこの友人を(……馬鹿め)と思っていた。
劉輝と燕青は笑うしかなく、霄太師も飄々と眺めていた。そんなやり取りをしていると扉が叩かれ、蔡尚書の邸から取って来させた指環が届いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
指環を鑑定したは燕青は、感嘆とした。
「すっげーよく出来た、──偽物」
劉輝の机案にコロンと置いた。
「こんなに堂々と娘にガメられて、気付きもしないで絵まで描かせるなんて、いやー、笑える家族だよなー」
そのなんとも緊張感のない言い方に琳麗はクスッと笑えてしまう。が、そこはあえて我慢した。──真面目な話をしているのだ。
「──しかし、それでは本物はいったい何処にあるというのだ」
「引き続き捜させます」
劉輝の呟きに黎深が答えたが、琳麗は霄太師を見た。劉輝もちらりと霄太師を見るが、彼はいかにも飄々としている。燕青は、指環を眺めながら
「これ、やばかったな。茶本家に渡ってたら誰もが信じたでしょうね」
「茶州は、いまどうなっている?」
燕青は居住まいを正した。もとが武官のような風貌と体つきなので、見栄えがよく見える。
「茶家は鴛洵様が亡くなられて以来、当主の座を巡って混乱状態です」
「うむ」
劉輝は相槌をうち、皆は燕青の話に耳を傾けた。
「茶家当主を示す指環を、誰もが血眼なって捜しています。もうすぐ鴛洵様が亡くなられて一年」
「まる一年を経過しても指環が見つからなかった場合、仮の当主を立て、新たな指環を作ることが許されている」
燕青の言葉を継ぐように黎深は言うと、燕青は頷いた。
「変な奴に当主の座につかれでもしたら厄介この上ない。とばっちりは結局、民に行くことになる。茶州での茶一族の権限は絶対です。対抗できるとしたら、主上の意を受けた正統な州牧だけです」
「わかっている」
劉輝は大官たちを見回した。
「まずそなたらに了承を得たい。余の推薦する茶州州牧について、否のある者は?」
無言が、答えだった。頷いたのち劉輝は琳麗を見た。
「……そなたはどう思う」
その表情に申し訳ないという感情が読み取れた。琳麗は瞑目する。淋しくない訳ではない。だが──。
伏せられた目を開き、琳麗は劉輝を見つめた。
「主上がお決めになったことです。そして、秀麗は官吏です。何を迷うことがありましょう」
当たり前のように琳麗は微笑して言ったのだった。