弐
査問会翌夕、琳麗は邸に帰ると夕餉の支度をしている秀麗たちを見つけた。
「ただいま、秀麗」
「姉様っ!お帰りなさいっ!!」
久方ぶりに“姉妹”として会うからだろうか秀麗は琳麗に突進してきた。
「た、だだいま……影月くんも」
「はい、お帰りなさいですー。琳麗さん」
にこりと影月をみるとにこにこと笑顔を向けられた。そして──。
「……秀麗、あの二人は何をじゃれあっているの?」
見ればぎゃいぎゃいと口論している静蘭と燕青の姿があった。
「うわ、ひでー。受かりゃ良いんだよ受かりゃ。ケツでもアタマでも同じ官吏じゃん」
「アタマで受かった官吏に、下から二番目が元茶州州牧だったと言ってみろ。世をはかなんで即刻坊主になるぞ」
「あっはっは。お前、口悪くなったな!」
燕青の言葉にぎくりとしたのか静蘭は口元を覆う。それには琳麗もクスクスと笑っていると、燕青と静蘭がこっちを向いた。
「お、琳麗姫さん。おかえり〜」
「…琳麗様。お帰りなさいませ」
「あら、いいのよ。続けて続けて。痴話喧嘩」
「痴話っ……何を言うんです! 琳麗様!!」
にこにこと笑いながら発する言葉に静蘭は、訂正しようとつめよった。
「えー、痴話喧嘩にしか見えなかったわよ?」
「そうそう、俺達親友だからなー」
「放せ、コメツキバッタ」
静蘭の肩に腕を乗せる燕青だったが、あっさりそれはかわされたのだった。
その様子を少し離れたところで見守っていた秀麗と影月は、顔を見合わせた。
「あんな静蘭さん、初めて見ましたー」
「でしょ。燕青にだけはあんな風なの。仲良しよね。……もうちょっと早く遊びに来てくれたら、静蘭がなんだか悩んでたことももっと早く解決したかもしれないのに。でも、久々にちゃんと姉様の顔が見れて嬉しいわ」
「そうですね、僕も嬉しいです」
王宮で会う琳麗は、霄太師と宋太傅に付き従って歩いていた為に、秀麗は跪拝をしなくてはならないので顔をろくに見れなかった。
時折、府庫で顔を合わせても自分たちが忙しすぎて会話らしい会話も出来なかった。それでも、仮眠室で寝ていた時心配して来ていたと劉輝から聞いた時は、とても嬉しかった。
でも会わなくてよかったとも思った……。父様でも静蘭でもなく、姉様に少しでも慰められたら堰を切るかのように泣いていたかもしれない。
そんなことを考えていると、名前を呼ばれた。
「──麗、秀麗?」
「えっ、なになに?」
「どうかしたの? さっきから呼んでいるのに」
「そうだぜ、姫さん」
顔を上げれば琳麗の顔があり、燕青も不思議そうにこちらを見ていた。
「な、何?」
「俺、今回は連れがいるんだけどさ、もし良かったら会ってやってな」
燕青はにかっと笑い、もたらされた名前に秀麗は喜んだが、静蘭は目を細め、琳麗は淋しげな目をしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
任命式当日、琳麗はいつもより身じまいを整えていた。
今年度、進士及第者上位二十名は特別に陛下自ら官位と辞令を授けられるということで、本来侍官の仕事である、主上に品々を渡す役を命じられたのだった。
御台にある茶州州牧の印と佩玉、そして、秀麗と影月に渡される品々の最終確認をしていた。任命書はすでに飾り台の上へ置かれていた。
すでに新進士たち二十名は奉天殿に揃い、主だった朝廷百官、武官たちも揃っている。琳麗も御櫛を上げ、正装をし、霄太師、宋太傅の後ろに印と佩玉を持ち控えていた。
鐘の音が鳴り響き、下吏の声が上がる。
「彩雲国国王、紫 劉輝様ご入殿でございます」
次々と、新進士たちに官位と辞令が与えられていく。ある者は泣き、ある者は震える足どりで受け取っていく。
「──碧 珀明。そなたを、尚書省吏部下官に命じる」
「はい」
「吏部は厳しいが、魯尚書から受けた報告では、そなたなら充分耐え抜けるはずだ。期待している」
「──謹んで、お受けいたします」
秀才・生真面目そうな少年はやや緊張した面持ちで、任命の巻書と吏部下官用の飾り紐を受け取った。
新進士たちが列ぶ席へ彼が戻ると、琳麗はゆっくりと顔を上げた。それと同時に劉輝の声が広間に響く。
「──最後、杜進士、及び紅進士。前へ」
二人一度の唱名に理由の分からない者の戸惑いのようなざわめきが広間に走る。無論、呼ばれた二人も驚いたようで、ちらりと視線を交わすと共に前へ進み出る。
「今年度、状元及第者、杜 影月。及び深花及第者、紅 秀麗。そなたら両名を、茶州州牧として任ずる」
はっきりとした王の言葉に、今度こそ広間に驚愕が充ち満ちた。もっとも驚いたのは当人たちだったが。二人は顔を見合わせた。
「しゅ、主上! いったい──こんな新米二人にいきなり各省庁の長に次ぐ官位の州牧を任せるなどいったい何をお考えです!」
「しかも二人一度になどと──」
「それぞれ半人前だから、二人一緒でちょうどいいと思ったのだ」
その答えに琳麗は笑いそうになる。彼らしいような答えだ。
「ちょ、ちょうどいいとは──」
「ではそなたが茶州州牧として参るか」
声を上げた官吏は口をつぐんだ。
「では、他に我と思うものは? 最高官は行きたくても行かせられぬが」
誰一人、手を上げる者はいなかった。──それほど危険なのだ。劉輝はため息をついた。
「では、誰にしろというのだ? 前茶州州牧を決めるまでも相当な悶着があった。そして結局、国試及第を果たしてもいない無名の若者を送り出した。官位も経験も何もなくても、彼は茶州州牧としての任を立派に果たした」
「そ、それは、あの才子、鄭官吏が補佐をしていらっしゃったからで」
「それは確かに大きい。ゆえに今回も補佐をつける。新長官二名ゆえ、補佐も奮発して二名だ。一人は茶州に着任中の鄭補佐を据え置きで、もう一人は──浪 燕青、前へ」
「はい」
突然の名に、秀麗たちは驚いて後ろを振り返った。
「前茶州州牧であったそなたなら、この二人をよく導いてくれるだろう。二人と同行し、茶州へ参れ」
「謹んで拝命いたします」
「そして茶州という特区ゆえ、特別に彼らには専属の武官をつける。シ 静蘭」
「はい」
燕青の隣に進み出る家人の静蘭の姿に、秀麗は驚いていた。
「そなたを彼ら専属の武官とする。その権限は州将軍を凌ぐものとする。ともに茶州に赴き、新州牧たちの輔けとなるよう。そして」
劉輝の背後に左右羽林軍の大将軍が列び立つ。その手には一対の剣。
「“干將”“莫邪”」
それを見て、控えていた武官たちが一斉にどよめいた。それは長い間封印されていた双剣。
「……余の敬愛する兄上が持っていた、双子剣だ。同じ石からつくられた“干將”と“莫邪”──二つとも与えられたのに、清苑兄上は余に“莫邪”を下さった。そのときはあまりに幼くて、持てもしなかったがな」
双つで一つの剣。片割れだけでは、意味がない。けれど。
「……この“莫邪”は私の宝。そして清苑兄上がお使いになっていた片割れの“干將”を、そなたに。これはそなたに相応しい」
それは“花”を贈るのと同等以上の意味があった。
名もなき一衛士に、とざわめきが起こるも両羽林軍上将軍たち、そして朝廷三師の一人宋太傅が無言で頷くのを見て、だれもが静かになる。
「謹んで、拝受いたします」
一衛士にしては完璧な物腰に、高官たちの一部は瞠目した。が続く劉輝の言葉に思考が霧消される。
「さて、最後、杜進士と紅進士に訊く。知っての通り茶州は危険区域だ。そなたらの身を守るため、あらゆる手を打つつもりではあるが、絶対の保証はしない」
秀麗と影月は顔を上げた。
「それでも、州牧として行ってくれるか」
「「──行きます」」
二人は異口同音に答えた。そして顔を見合わせ、小さく笑う。
「「謹んで、お受けいたします」」
うちそろった礼に琳麗は笑った。そして、ゆっくりと王の傍へと近づく。
「では、任命書及び官服、茶州州牧の佩玉と、印を授ける。さすがにこればかりは二つつくるわけにいかなかった。それぞれ、一つずつもつがよい。二人揃っての州牧ということだ」
琳麗から受け取ると劉輝は、秀麗に印を、影月に佩玉を授けた。二人が受け取った時、前代未聞の二人の同時州牧が誕生した。
「そして、もう一つ余からの贈り物がある」
琳麗から渡された二つの小箱を、新州牧たちの前に差し出した。
「余からの“花”を、そなたら二人に」
先ほどを上回るどよめきが起こるなか、琳麗は一礼をしてその場から退いた。
殿上では、秀麗と影月が目を見開いていた。
箱の中に入っていたのは影月のは佩玉につける飾り玉、そして秀麗のは簪。それに施されていた“花”は──。
「“蕾”……?」
その意表をつく“花”に、誰もが驚いた。劉輝はひとつ頷いた。
「意味は“無限の可能性と、希望”。そなたらがこれからどのような“花”を咲かせるか、楽しみにしている。その蕾が見事“咲いた”折りには、今度こそ満開の“花”を贈ろう」
気付く者は、気付いた。この花の真意に。琳麗は目を伏せ、笑みを浮かべた。
それは王としての祝福と期待の表れだった。そして難事が山積みする茶州へ赴く二人に対する公然たる守護の証。
この二人はいずれ王を──国を支えるべき者であるという意思表示。
(──この二人を害する者は王の敵である、か)