任命式が終わったのち、琳麗は風雅の高楼である仙洞省に来ていた。そこへゆっくりと歩み寄ってくる気配を感じ、そのまま口を開いた。


「お聞きしたいことがございます。──霄太師」

「なんですな、紅 琳麗殿」

「……一年前の茶太保の最期にあの場にいたのは、あなたですね」


質問というよりは確認の問い掛けに霄太師は、琳麗に近づくたびに若返っていった。白髭を生やしていた老人の姿は見目麗しい男性になっていた。


「──さよう。聞きたいというのはそのことか?」

「いいえ。あの時……薄れゆく記憶の中であなたは、私を“蒼華”とお呼びなった。……あなたは私が誰なのかご存知なのですか?」


その真摯な眼差しに霄太師は瞑目する。聞いてきたら…とは考えていたが、これ以上彼女を過去に囚わせるのも忍びない。
話したところで何もならん。もう彼女はこの時代で生きているのだ。もう彼女は──蒼華ではない。


「──そなたは琳麗殿であろう。それでは不満なのですかな。あなたは蒼華と呼ばれていたかもしれん。しかし、今は違う。母である薔薇姫から“琳麗”という名を与えられた。それ以上でもそれ以下でもないはずだろう」

「……私は、私…」

「そういうことですな」


そっと胸元に手を置いた。
そうだ、私はずっと“琳麗”として生きてきた。例え、その前になんと呼ばれようとも父様、母様が付けてくれた“琳麗”――それが私だ。
前に静蘭に言ったではないか、“静蘭”は“静蘭”なんだと。例え、私が何者であっても、私は私だ。


「……そぉ、ですよね、私は私ですよね…」


ふぅ…と一息した後、琳麗は霄太師が持ち歩いている梅干し壷をみた。


「ところで霄太師、茶家当主の指環、お持ちになっておりますね。そちらの梅干し壷に」


その質問に霄太師は目を瞬いたのち、口の端を上げた。


「──なぜ、そう思うのですか?」

「……勘でしょうか? それに茶太保の気配を感じます」


その瞬間、梅干し壷からふわりと煙が現れた。


「……鴛洵っ!」

『お前の負けだ、霄。そして、久しぶりですな、琳麗殿』

「……お若くおなりですね、茶太保」


驚くところがそことは、と青年姿の茶太保はくっくっと笑う。そして、琳麗を見て謝罪した。


『琳麗殿、一年前はすまなかった……』

「いいえ、謝らないで下さい。あなたが命をかけてまで、国を民を茶家を救いたかったことです」


それに茶 鴛洵は目を見開いた。


「国が定まった今、茶州――茶家を立て直したかったのではないのですか? だから当主であるあなたが謀反を起こせば、主上は茶家を……」


琳麗は俯いた。それを実体のない茶太保は頭を撫でるような仕種をする。


『そなたは優しいな、琳麗殿』

「そんなことはありません。でも霄太師、どうやって──?」

「それは、まあ、よいではないか。紅 琳麗殿。しかし、この姿を見て驚かないとは……」


その答えに琳麗はにっこり笑みを浮かべた。


「大丈夫です! 驚いたりしません。どんな形であろうと、茶太保は茶太保ですし、どのような方であっても霄太師は霄太師ですから」

「それは嬉しいのぉ〜」


珍しくにまにまと笑う霄太師に琳麗はにこにこと笑っていた。

(やっぱり、父様が言っていた通り、霄太師は狸の妖怪なんだわっ! 茶太保のも変な妖術を使って、若い姿も化けているのね、凄いわ)

などと霄太師の知らぬ心の内では、彩八仙の一人に対し、それはそれは失礼なことを思っていたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


出立の儀も滞りなく終え、彩雲国史上初の女性官吏、紅 秀麗と最年少官吏の杜 影月は二人組の州牧として、茶州に赴任することになり、忙しくも準備をしていた。
琳麗は王宮の仕事がある為に、手伝えなかったが、仕事が終われば急いで帰り僅かな時間を家族で過ごしていた。


「姉様がいるから大丈夫だと思うけど、しっかりしてよ? 父様」

「何を言うんだい、秀麗。私だってちゃんと出来るんだよ」

「……姉様っ! 父様と邸のことお願いねっ!!」


ガシッと手を握ってくる妹に琳麗は苦笑した。


「酷いな、秀麗は……」


がくっとうなだれる邵可にも琳麗は苦笑した。


「大丈夫よ、秀麗。父様だってきっとやればできるわ。ね、父様」

「そうだね、琳麗」


なんとも緊張感のない空気が漂った。――そうだ、この二人はこんなところが似ているんだわ…と秀麗は肩を落とした。


「私、燕青さんと影月くんにお茶を渡してくるわね」


琳麗はクスクス笑うと、庖厨から茶器を持ち出ていってしまった。二人きりになってしまったことで、秀麗は邵可の顔をみて、照れ臭そうにそっぽ向いた。


「……あのね、父様…私、父様に言わなきゃならないことがあるの…」

「なんだい?」

「その「秀麗お嬢様」


邵可と向き合って言おうとしたそれは、静蘭の声によって遮られた。秀麗と邵可は出入り口に視線を向けると、家人である静蘭が立っていた。


「ちょっと、出掛けていいですか?」

「いいけど、どこに行くの?」

「すぐ戻ります」


答えることはせず、それだけを言うと静蘭は、略礼をしてそのまま行ってしまった。その様子にキョトンとしてしまうが、邵可は先程の事を思い出し、問い掛けた。


「で、なんだい?」

「えっ……あぁ、後でいいわ。私、影月くん手伝ってくる……」


秀麗は顔を赤くするとそそくさと庖厨から出ていった。邵可は首を傾げながら、そのまま庭院へと降りていった。
それを感じた琳麗は燕青にお茶を頼んで持たせたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


秀麗の支度を手伝っていると、秀麗がちらちらと見ているのに気付いた。


「どうかしたの? さっきからそんな風に見られたら気になるじゃない」

「あ、あのっ……その……」


うろたえる秀麗に琳麗はクスクスと笑った。


「もう! 姉様ったらそんなに笑うことないじゃない!」

「ごめんなさい。で、どうかした?」

「あ、……ごめんなさい」

「え?」


急に謝る秀麗に琳麗は小首を傾げた。


「その、私、姉様と父様を二人だけにするつもりなかったの……本当はどこかに配属されたら、一人で行くって決めてたのに。静蘭も一緒に行くなんて思わなくて、嬉しいんだけど、姉様たちを思うといいのかなって……」

「──そんなこと、気にしなくていいのよ。静蘭は自分で決めたことよ。秀麗が気にやむことじゃないわ。それに静蘭が一緒に行ってくれた方が、私も父様もとても安心出来るもの」

「姉様……」


琳麗は瞑目したのち、秀麗を真っ直ぐ見た。


「淋しくない。と言ったら嘘になる。でも秀麗には秀麗のしたい事をして欲しいのよ、私も父様も。だから、頑張って来て。途中で投げ出したりしたら、邸に入れないわよ!」


つんっ、と額を押すと秀麗は顔を赤くした。


「もう! 姉様ったら! 投げ出したりなんかしないわよ」

「そう、それは良かったわ。そういえば静蘭は? 姿見えないけど」

「あ、さっき出掛けるとか行って……戻ってきたかしら?」

「父様に聞いてみたら? ここはもう終わりだから」


衣類を畳み、そう言うと秀麗は邵可の元へ歩いていった。

(……静蘭も、心の準備出来たのかしら──)

思いながら、出掛ける準備をする為に後片付けをした。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


静蘭は邵可の予想通り、龍山にある薇君の墓参り行っていた。山を登るとそこに姿を認め、静蘭は登ってきた人達に驚いた。
邵可、秀麗、影月も一緒に墓石の前で手を合わせていた。ふと顔を上げ、琳麗は微笑む。
昨年の夏、ここに来た自分は自分が何者であるのか怖かった。だが、先頃霄太師に言われた言葉にもう考えるのはやめた。

──自分は自分でしかないのだ。

まだ拝んでいる三人から離れ、後ろを見ると静蘭と燕青が立っていた。


「墓参りに行くなら、一声かけてくれれば良かったのによぉ。──ま、ひとりになりたい時もあるか」

「──ふん」


木にもたれていた燕青は静蘭を見た。


「本当にいいのか、茶州に戻っても。辛い思いをするかもしれないぞ──殺人賊。いや、思い出したくないこともあるだろ」

「私は秀麗お嬢様を守る!茶州に行くっ!!この先、何があっても!」


静蘭は下賜された“干將”を抜き掲げた。


「──この剣に誓って!」


そう宣誓する静蘭に燕青は笑い、琳麗も笑みを浮かべ二人に近づいた。


「静蘭、燕青さん」

「「琳麗(様/姫さん)」」

「秀麗と影月くんをお願いね」


二人は一瞬、焦った。どこから話を聞いていたのだろうか。だが、琳麗は微笑を浮かべ頭を下げると、二人は頷いた。


坂道を降りていく途中、秀麗は後からついてくる静蘭にぼやいた。


「言ってくれればよかったのに」

「同じ事を燕青にも言われましたよ」


途中、秀麗は足を止めて、それに合わせるように静蘭、琳麗、邵可も足を止めた。秀麗は、少し顔を俯かせた。


「……父様に言わなくちゃいけないことがあるの…」

「ん?」

「その、あのね……」


くるりと振り返り、意を決したように上を向いた。


「ありがとう、ちゃんと育ててくれて、我が儘を聞いてくれて──そして、茶州に行く事を許してくれて、本当にありがとう」


真っ直ぐ見てくる秀麗に、邵可は胸を突かれた。そして、微笑する。


「私は何もしてないよ。秀麗が自分の力でその手に掴んだんだ」

「父様……」

「立派な“花”を咲かせるんだよ。秀麗」

「はい」


二人の光景を見て、静蘭と目が合った琳麗は笑みを浮かべた。秀麗は、琳麗を見て「姉様も、ありがとう」と言った後、静蘭を見た。


「静蘭にも今までありがとう」


その言葉に静蘭は目を見開く。すっと秀麗は手を差し出すと顔を綻ばせた。


「これからも。静蘭、あなたがいてくれて、本当に、本当によかった」

「…秀麗お嬢様──私が秀麗お嬢様を必ずお守りいたします。必ず」


さわっと緩やかな風が吹き、琳麗は二人を見て微笑した。隣にいる邵可を見上げると、嬉しそうに笑う一方、少しだけ淋しそうだった。


「──琳麗、」

「はい?」

「君達は、いつの間にか大きくなっていたんだね」

「…………」


琳麗はそっと邵可の手を繋いだ。その感触に邵可は隣にいる娘を見た。

(……ああ、君は知っていて、知らないふりをしていたんだね…)

ぎゅっと手を握り返して、邵可は娘たちの幸せを願った。





最終幕/終




あとがき

ようやく終わりました。「花は紫宮〜」編。
まあ、最終幕は夢主が自分が誰か考えて、霄太師に聞きますが霄太師はあえて濁しました。聞かれたら言うつもりだったけど、そんな事を考えて欲しくはないし、もう与えられた名前が今の貴方だからと言いました。
ずっと書きたかったシーンは絳攸とのやり取り(実は養子なんです)と霄太師のことを狸の妖怪と勘違いする話。
これだけは「紫宮〜」編を書く前から決めていたポイントです。
夢主は素直ですから邵可の言った事は信じちゃうんですよ。
結構ボケボケです。騙そうとする事には見抜けますが、邵可は本気で言ったでしょうからね。
クサレ狐狸妖怪ですから。

感想頂けたらかなり喜びます。



2007/06/16


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蒼天の華 / 恋する蝶のように