弐
コポポ…と琳麗は三人分のお茶を淹れ、卓子についている父、邵可と叔父である玖琅の前に差し出した。
「ありがとう、琳麗。昨日はすまなかったね、急に」
ズズッと一口飲んでから、邵可はにこにこと微笑んだ。
「いいえ気にしないで。大丈夫だったし、黎深叔父様が来て下さったから」
「そうかい、ならいいんだけど……あ、お茶美味しいよ。玖琅も飲んでごらん」
「言われなくても飲みますよ」
やや冷たそうな印象を受けるが、琳麗はこの叔父が優しいということを知っていたので、微笑みながら彼らの姿を見ていた。
秀麗が茶州に発ってからも、色々とやることがあったのか、玖琅はまだ貴陽に滞在していたのだった。
「うん、美味い」
「ありがとうございます。玖琅叔父様」
琳麗が微笑むと玖琅も僅かながら微笑すると、邵可は少しだけ驚いた。が、とある気配を感じて琳麗を見ると彼女もまた感じたのか、邵可を見ていた。
「琳麗、玖琅をあちらの室に連れていってもらえるかな?」
「分かりました。玖琅叔父様、あちらに移動しましょう」
「なんです、一体」
訝しがる玖琅の湯呑みを持ち、琳麗は玖琅の手を取り隣室へと移動した。
「一体なんだというんだね」
「それは、彼が来たらわかります。あまり鉢合わせしたくないでしょうし」
琳麗はそう言って笑うと、謝罪をして邵可のいる室へと戻った。
バタン。という音と共に、この彩雲国国王、紫 劉輝の姿があった。
「おや、主上。ようこそおいで下さいました」
「こんばんはでございます。劉輝様」
「邵可、琳麗。夜遅くすまない」
すまなそうに入って来た劉輝だったが、二人の微笑みにほんの少しだけ、頬を緩めた。
「いいえ、お茶くらいしかおもてなし出来ませんが、どうぞ」
「うむ。邪魔するぞ……はあ、静かだな」
「ええ」
「今、お茶を用意しますね」
静かすぎる雰囲気に劉輝は、ぼそりと呟いた。邵可はそれにただ頷いただけだった。琳麗は微苦笑し、コポポ…とお茶を淹れていく。
そんな物音を聞きながら、劉輝は極稀にこの邸を訪れた事があるが、こんなに静かだったろうかと思ってしまう。
「どうぞ」
「ありがとう。琳麗」
コトリ、と卓子に置かれ劉輝はそれを一口飲み。琳麗は邵可の湯呑みにお茶の追加を注いだのだった。
ふと、呟くように劉輝は二人を見ずに湯呑みの縁をなぞりながら名前を呼んだ。
「……邵可、琳麗…」
「「はい?」」
「静かだな」
「……はい」
それに邵可は答えると、琳麗も頷いた。そして、劉輝の言葉を待つ。話しかけているような、独り言のような呟き。
「この邸はこんなにも静かだったか……」
そう、秀麗と静蘭がいないだけでポッとした灯りが消えたかのような淋しさがある。たまに絳攸と楸瑛が食材を持ち、やって来てはくれるが、やはり違うのだ。
「まだ虫の音を楽しむには早いですからね」
邵可が穏やかな口調で呟くと、劉輝は顔を上げた。
「……淋しくはないか?」
「大丈夫です、琳麗もおりますから。──ただ、少し邸は広すぎますがね」
「……劉輝様はどうなのです?」
「余は淋しいぞ」
琳麗の問いに劉輝ははっきりと、迷いなく答えた。それは、当たり前の答え。彼の中で秀麗を占める想いは大きい。
無論、二人とて同じ想いだ。琳麗と邵可は微笑し、頷いた。
「はい」
「そうですね」
「だが、余が望んだことだ。後悔はしていない」
それでも……きっと、決定した劉輝様がだれよりも淋しいのかも…
誰が一番などはわからないが、少なくとも劉輝は秀麗が貴陽にいないというだけでも淋しく思っているのだろう。と琳麗は感じていた。
茶州の方向へ目を向け、ぼそりと劉輝は呟いた。
「今頃、秀麗は何をしているだろう」
「そうですねぇ…」
「もう夕食は取ったでしょう」
節約していくといったからきっと野宿をして、みんなで火を囲んでいるかもしれない。そう考えていると劉輝がやや顔をしかめながら呟いた。
「茶州は厳しい土地だ」
心配しているのだ、色々な意味で。琳麗は寂しがり屋の王に少なくなったお茶を注いだ。
「静蘭も燕青くんも影月くんも付いていますから」
「そうです、大丈夫ですよ」
劉輝はお茶をぐいっと飲んだ。ちょうどいい熱さと味がなにより美味しい。
「ああ。彼らの事は余も信頼している。だから、多分大丈夫だ。秀麗たちは自分の力でなんとかしてしまうだろう」
「ええ。私も信頼しています。みんな強い子ですから」
邵可は笑みを浮かべ、琳麗は頷いた。劉輝はそれを見てほんの少しだけ弱気だった気持ちが浮上する。
「余も、もっともっと強くならなくては駄目だな」
最後の一口を一気に煽ると、席を立った。
「もう行かれるのですか? 主上」
「うむ。今日は突然来てしまったからな、そなたたちにも都合があるだろう、また改めて来る。……邵可、琳麗、すまない。秀麗には大変なものを背負わせてしまった。その分、余もやるべき事を成さねばな!」
「はい」
「……劉輝様、ご無理なさいませんよう」
琳麗の言葉に一瞬、劉輝は息を呑んだ。一旦、俯いた後顔を上げると微笑した。
「……琳麗は優しくて好きだ。ありがとう。邵可、明日、府庫へ遊びに行く。茶を入れてくれ」
「ええ、お待ちしておりますよ」
琳麗はお茶云々にぎょっとしたが、あえて何も言わなかった。邵可は微笑し、それを受け入れたのだった。
去っていく後ろ姿を見て、ほんの少しだけ胸が切なくなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
再び、しーんと静まり返った室内に邵可の声が響いた。
「お茶、飲むかい?」
「いや、結構。飲むなら私が淹れるか琳麗のお茶にして頂きたい。邵兄上」
隣の室に移動させていた玖琅がコツコツと沓音をさせて、戻って来た。琳麗は苦笑し、新たにお茶を淹れ始めた。
「隠れさせてしまって悪かったね。玖琅」
「いえ。私も主上と鉢合わせるのはごめんですから。それより、主上はよくこちらへ来られる様ですね。良からぬ噂の元にならぬ様くれぐれも気をつけて下さい」
「うん。君にはいつも気苦労ばかりかけてしまうね。でも主上はよい顔付きになっただろう?」
「私には兄上に泣きつきに来たただの子供にしか見えません」
きっぱり言う玖琅に琳麗はお茶を差し出しながら、苦笑した。邵可も苦笑せざるおえないようだ。
「ふふっ。優しい人なのだよ、彼は。秀麗を手放した私たちの事を心配して、様子を見に来てくれたんだろう」
「優しさは脆さと同じです」
「厳しいね、玖琅は」
否定はしない邵可は仕方がないといった風に笑っていた。琳麗も笑った。
それが彼のよい所だと理解っていたから。
劉輝の心にほんの少し隙間を残しながらも、こうして夜は更けていったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は出仕した王宮内を闊歩していた。先ほど聞いた話を確認すべく、主上の執務室へと向かっていた。
朝早くから白大将軍と黒大将軍に捕まり、剣の相手をしろと命じられたのだった。
静蘭が右羽林軍に入ったのもつかの間、茶州州牧たちの専属武官として一緒に行ってしまったのが腹立たしかったらしい。
本当は相手をしたくなかったが、一度くらいなら構わないだろうと思ったのが運のつき。一度だけという約束にも関わらず、隙さえあれば申し込んでくる始末だった。
それは秀麗たちが発ってからは、いつもの事だった。だが、自分は女官であるのでいつものように断っていると、バタバタと足音が聞こえた。
「……あー、助かった…」
「本当に参ったな……」
羽林軍の武官たちが朝から疲れきった顔で、どこからか戻って来たのだった。それを見つけた白大将軍は声を掛け、黒大将軍は黙って彼らを見ていた。
「おい、おめぇら、どこに行ってやがった!」
「…………」
「は、白大将軍、黒大将軍もっ! こ、これには深い訳が……」
「実は宋太傅に頼まれて、主上を捕まえろと言われ……」
「協力しなければ、足腰立たなくなるまで連日稽古をつけると宋太傅から脅されたんです!」
半泣きになって言う武官たちに琳麗は何がどうしてそうなったのが、聞き出した。
「な、なぜそのような事になったのですか? 仮にも主上をお護りするのがお役目ではないですかっ!」
「り、琳麗殿……そ、それは宋太傅が言うには最近の主上はこのところ元気がないとかで剣稽古で気分を晴らせる為だとか……」
武官の一人から聞いた答えに琳麗は額を覆った。そして、悠然と笑みを浮かべると白大将軍、黒大将軍に礼を述べ、その場を去ったのだった。