弐
貴陽を出発してしばらく、琳麗と霄太師は崔里関塞まで来ていた。
本来なら、もっと時間がかかるが二人は途中で軒を返し、馬車を使ったり、はたまた馬に二人で乗り先を急いだ。
「……とりあえずは、州牧たちを“保護”したので一時拘束は解けたようですな」
「そのようですね。一気に先へと行くのですか?」
「そうですな、あなたがお決めになってよろしいですぞ」
州境の街、砂恭から乗って来た馬に跨がった二人の姿を崔里関塞の役人たちは見ていた。
見目麗しい男女の姿に一瞬見とれていたのかもしれない。
通行手形を見せるのか、まず男性が馬から降り次いで女性の手を取り、宝物のように馬から降ろしたのだった。
「つ、通行手形を見せてもらおう」
「はい」
微笑みながら手渡された木簡を見たその場の役人たちは、慌てふためき跪拝をして、彼らを通したのだった。
それには──王家の紋印が押されていたのだった。
関所を通過し、男性は女性を馬に乗せるとひらっと身を浮かせ、また馬を跨ぐとそのまま駆けていったのだった。
「……霄太師、」
「どうしましたかな、琳麗殿」
後ろに乗り、手綱を引く男性──霄太師に琳麗は声を掛けた。
「少し、休みませんか? 街で多少なりと話を聞きたいと思いますし……」
「……ふむ。まあ、いいでしょう」
そう答えると、彼は手綱を緩めたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
崔里の街の茶屋に入り、琳麗は甘露茶を霄太師は梅茶と梅饅頭を注文したのだった。
目の前に腰を下ろす霄太師の姿を見て、琳麗は口許を手で隠し笑った。その様子に霄太師は口を開いた。
「どうしましたか、琳麗殿」
「いえ、随分と素敵におなりだと思いまして。流石ですわね」
今、目の前に座っている若い姿を見て琳麗は感心してしまう。目の前にいる霄太師は王宮で見るような老臣ではなく、長い黒髪のすらりとした男性なのだ。
「驚かない琳麗殿もすごいですがの」
「今更、何をおっしゃるのです。分かっていることですから」
そう言いながら琳麗は頭の中でやはりすごいと納得していた。
(流石、狸の妖怪!若い姿にも化けられるなんて)
未だに霄太師を狸の妖怪だと勘違いをしたまま、にこにこと微笑んでいたのだった。
そこへ女将さんらしき人が盆に茶を乗せ、運んで来た。
「お待ちどうさん」
コトンコトンと卓子に置かれ、琳麗は微笑して礼を述べた。
「へぇ〜。なんともお似合いな二人だね。これからどこへ行くんだい?」
茶を一口飲んでから琳麗は「とりあえずは金華でしょうか」と答えれば、女将は驚いた。
「金華に行くのかい? 今は行かない方がいいんじゃないかね」
「どうしてです?」
「いやね、大きな声じゃ言えないけど……いま金華には『殺刃賊』とかいう奴らに抑えられてるらしくてね〜お嬢さんみたいな綺麗な人が行ったら何されるか……」
おしゃべり好きなのか、女将は周りを見てから声を小さくしながらも喋った。
「それに半月程前に、そこの関塞で脱獄があったとか……男二人とか言ってたね」
「そうなんですか。それは本当に物騒ですね」
「そうそう、その脱獄した二人は殺人賊の一味らしくてね。でもね賞金稼ぎも出てきてね、それがまた美形の二人組らしくて……やたらと盗賊も多いしさ」
女将は色々な情報をもたらしてくれたのだった。
脱獄した二人とは静蘭と燕青だと分かったが、特徴を聞き、殺人賊の一味と賞金稼ぎのどちらでもあるようだった。
ついでに仕入れをしてる茶葉屋でこれまた半月前に甘露茶が全部買い込まれてしまったとか。それを買ったのは、二胡の上手などこかの侍女らしい。
ふと、目の前で梅茶を啜る男性を見ると頷いたのでそれが秀麗だと確信が取れた。
「そうなのですか」
「ところで、本当に金華まで行くのかい?」
「ええ。用事がありますし、いざとなったら主人がなんとかいたしますので」
「おや、やっぱり夫婦なのかい。いや〜さっき街の連中がどういう関係か気になっててね。聞いて欲しいって言われてたんだよ」
琳麗はそれに微苦笑し、目の前に座る男性をみると彼も笑っていた。
この旅において、老人と年頃の娘の二人旅は意外に目を引くのではないかと考え、男女であるなら「夫婦者」が一番だと考えると、霄太師はいとも簡単に若返ってみせたのだ。
ただし、琳麗に化けていると誤解されているとは、彼は思ってもいなかった。
女将が呼ばれて行ってしまうと、琳麗はまた甘露茶を一口飲んだ。
「はて、甘露茶を買い占めて、秀麗殿は茶屋でも開くつもりなんだろうか?」
「まさか。でも、なんでなのかしら? 小さい頃、ここを通った時に秀麗は甘露茶ばかり飲んでましたが」
だからといって買い占めるのは変だと考えたが、甘露茶売り切れの噂、賞金稼ぎの噂……そして州牧が保護された話。ふと、頭の中に答えが出た。
派手だけど、安否を知らせるにはとてもいい方法ね。
くすっと笑って、また甘露茶を口にしたのだった。甘いけれどくどくなくて飲みやすい。
ふと、数年前を思い出した。静蘭を見つけた茶州――彼は大丈夫だろうか。ふと、もう一人の家族が心配になったのだった。
茶屋を後にし、二人は馬に跨がり、一路、金華へと手綱を引いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
妙な確信があった。茶家の当主問題、それに伴う新州牧の抹殺、州牧印と佩玉の奪取。
だが、何か、違うなにかが秀麗を覆うとしている予感がしていた。いや、覆っているのかもしれない。それに秀麗は気付いていないのに琳麗は心配していた。
傍らの霄太師に尋ねれば、秀麗は“一人”で金華へと向かっていると言う。静蘭と燕青が二人で行動、秀麗が一人、ならば影月は香鈴と一緒のはず。
“保護”という名で捕まったはずならば、香鈴は秀麗の身代わりをしているのだろう。紅家の姫と名乗るのであれば、無事である。
でも、不安がある。だからこそ先を急いだのだった。
途中の街や邑で例え秀麗を見つけても、琳麗は影から見守るしかできないのだ。端から茶州へ出向いても、彼らに会わずに帰ろうと考えていたのもある。
だから二胡の上手いお嬢ちゃんが甘露茶を買い占めている噂を街で聞いても、姿を現そうとは考えてはいない。
琳麗は、邑よりは多少大きい街中を歩いていた。まだこの街では、賞金稼ぎの話も甘露茶が売り切れになる話を聞いていなかった。
「……まだ、来ていないのかしら?」
もしかして、秀麗も静蘭たちも追い越してきたのかと琳麗は考えた。
関わる事はしないとは決めてはいるが、せめて無事を確認しておきたかったから、追い付き追い越さないよう霄太師にも気を遣ってもらっていたのだが。
ちなみに霄太師は、今夜泊まる旅宿でのんびりしているはずだ。そんなことを考えていると、後ろから声を掛けられた。
「そこの美しいお嬢さん」
ぽんっ、と肩を叩かれ琳麗は不思議そうに振り向いた。くるっと振り返るとそこには婉然とした美形の男性が立っていた。
すらりとした二十代後半くらいのの美青年は、匂いたつような甘い雰囲気とどこか貴族然とした優雅な物腰、ふわりとしてゆるく波打つ髪をもっていた。
色々な美形を見ていた琳麗だったが、彼らに劣らない美形にさえもキョトンと小首を傾げた。
「あの、なにか?」
妖艶に微笑する男性は、意外そうな顔をした。まるで声を掛けたのに失敗だったなという雰囲気だ。
「……あの?」
「ああ、ごめんね。あまりの美しさに見とれてしまったね」
「……面白いご冗談ですこと。先程、がっかりというような顔をしていましたよ」
「まさか、そんなことはないよ。がっかりというよりはびっくりしちゃってね。よかったら今夜空いているかい? 君と話がしたいな」
慣れたような口上に琳麗は微苦笑する。まるでどこかの某将軍のようだが、彼より質が悪そうな気配を感じる。
「残念ですが、私は既に主人がおる身ですのでお応え出来ませんよ」
「おや、──それは残念だね。君みたいな美人を手に入れる事が出来る男なんてそうそういなさそうだけど」
「お上手ですね」
クスクスと琳麗は笑った。本当は周りをごまかす為のでまかせなのだがら。
「ところでこんなところで何をしていたのかな? 君の幸運の旦那様は一緒じゃないのかい」
「ふふっ、疲れたからと宿で休んでいるのですよ。えーと…」
「琳 千夜。千夜って呼んでいいよ。君は?」
「琳麗と申します。千夜様はこの街の方ではないようですが……」
どう見ても身に纏う物は上質な物ばかり。この街のお金持ちにしてもどこか違うだろう。
「ああ、仕事が終わってね、金華へ戻る途中なんだ。琳麗殿もこの街の人ではないようだけど」
「ええ、主人と、……その、蜜月の旅行でして……」
さすがに嘘でもこの科白を言うのは恥ずかしく、頬が熱くなる。
きっとこのことが、邵可にばれた日には霄太師とて多少なりと怪我をするであろう。可愛い可愛い娘が、嘘であろうともくそじじいと「蜜月の旅行」だというのだから。
無論、黎深も劉輝も、そして静蘭も黙ってはいないだろう。
朱くなった頬に手を添える琳麗の姿を見て、千夜はくすり、と笑った。
「へぇ、なんだか羨ましいね」
「千夜様は、奥様はいらっしゃらないのですか?」
「そうだね、お祖父様はなにやらどこかの姫と結婚させたがっているようだけど、気になる娘が出来てね。ただ、金華まで一緒に旅する相手でね」
「……そうなのですか」
──この人は。
琳麗は、それ以上言う気にはなれなかった。彼が“誰”のことを言っているのがわかっていたから。
「さて、どうしようか? 君の旦那様には悪いけど一緒にお茶でも飲まない? ご馳走するよ」
「いえ、いいです。主人の元へ戻ります」
「そうかい、本当に残念だよ」
その口調に琳麗は微苦笑して、霄太師が待つ旅宿へと向かった。背中に視線を感じながら。
自分が誰か気付かれてしまったかもしれない。
「───あれが、」
琳麗はボソリと呟きながら歩いていると、前方の茶葉屋で見知った後ろ姿を見つけた。慌てて角に隠れて、様子を窺った。意外に元気そうに見える。
どうやら静蘭たちや影月くんたちも無事であることが分かっているようだ。
ホッとした後、琳麗は今度こそ霄太師の待つ旅宿へと向かった。