壱
霄太師が馬の手綱を引き、絽茜から街道へと抜けた。もう夜の帷が落ち、霄太師は気配を感じると少し離れた所に馬を停めた。
「……大丈夫か? 琳麗殿」
「大丈夫です。先程よりは楽になりました」
霄太師に抱えられていたせいなのか、大分力が戻ってきた。だが、力を使うことはしばらく無理だろう。
そっと馬上から降りると、琳麗は気配を消して何かを言い合っている場所へと足を向けた。
茂みから少し覗くと、三人だろうか。言い合いをしている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
静蘭は剣の柄に手をかけながら、対峙している小柄の男を睨みつけていた。そして、燕青からも殺気が出ていた。
『──てめーの顔をなっ!』
『お頭の唯一の失敗は、浪家に押し入ったとき、気まぐれでお前を殺さなかったことだ。ガキ一匹見逃したせいで“殺人賊”は壊滅した』
『俺の唯一の失敗は、運よく逃げたてめーを地獄の果てまで追っかけてぶち殺さなかったことだぜ。用件先にいえよ。手っ取り早くここでカタつけたって構わないんだぜ』
『今日は顔を見に来ただけだ。いいか、私は殺し一辺倒の晁蓋とは違って頭(ここ)を使う。金華に来てみるがいい。私の言葉の意味がわかる』
男は自分のこめかみをとん、叩いて薄く笑った。
『そこでお前をいたぶり殺してやるよ、"小棍王"。"小旋風"のほうは、また手元に置いてかわいがろうか?』
男の声に静蘭は、燕青の衣の裾を掴んだ。その気配は動揺しているらしく、琳麗は眉を潜めた。
(……一体、何が……)
そんな静蘭を庇うように燕青は背に隠し、男を睨んだ。
『バッカてめぇ、こいつにゃ元気で気立てがよくて菜もうまくて機転がきいて努力家のかわいい姫さんがいんだぜ。しかも今ならもれなく強くてカッコ良くて心の友の俺様もついてくる。どう頑張ったってお前に勝ち目はねぇんだよ。ほら、嫌われてんだからとっとと失せろよ。言われなくてもちゃんと金華にゃ行ってやるからさ』
棍の先端を瞑祥の胸先へ突きつける。
『──墓場と棺桶、用意しとけよ。俺はやさしー男だがそこまで親切じゃねぇからな』
『用意しておこう。ただし貴様用だ。私は誰かと違って気が利くからな』
男は手で棍を払うと、それきり、濃度を増した夕闇の中から気配が掻き消えた。
琳麗は、話の中で今の男が"殺人賊"の頭領だと判り、そして燕青がそれを壊滅させたのは分かった。
そして──あの男は静蘭を知っているのだ、きっと空白の半年を。私たちが出会った頃の静蘭を。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらくの後、燕青は振り返りもせずに静蘭に声をかけた。
「……やーな奴に会っちまったなぁ────行こうぜ。甘露茶一杯おごってやる」
衣を掴んでいた静蘭の指が離れるのを確認すると、いつものようにあっけらかんと笑って言った。
静蘭の矜持が誰より高い事を知っているからこそ、燕青は茶化したりはしていない。
「……お前も、もれなくついてくるのか……」
「こめつきバッタよりは役に立つと思うんだけどなー」
静蘭は笑い出した。その笑う姿を見て、琳麗は多少なりとホッとした。
あれほど殺気や憎しみを混じえていたのに、燕青の人柄にはびっくりしてしまう。
「まあ、今ならそのくらい認めてやってもいい。それに甘露茶以外ならおごられてやる」
「なんだよ。確かに姫さんと一緒方がうまいとは思うけどさ」
「楽しみは最後にとっておくのが好きなんだ。でもそのときは、お前が隅にいてもいい」
その言葉の意味に燕青はもちろん、琳麗も判った。素直にありがとうって言えばいいのに。ただし、燕青はそれを口にすることはない。
「あぁん、俺はとっとけなーい。最初にやっちゃう」
「……だろうな」
微笑する静蘭を見て、琳麗は安堵した。燕青がそばにいてくれるおかげで静蘭は安定しているからだ。
安心して、ほぅ…とため息が漏れた時、静蘭がこちらを見た。ぎょっとして、琳麗は慌てて木の陰に隠れるとこちらに歩み寄って来た。
内心冷や冷やしながら気配を消し、そっとその場から離れると僅差で琳麗がさっきまでいた茂みを覗いていた。
「どうした、静蘭? なんかいたのかー?」
燕青には何の気配も感じなかったので、静蘭の行動に小首を傾げていた。
「……気のせい、か…」
「だから、どうかしたのかよ?」
「いや、いるような気がしたんだが……」
だから何が?と問い掛けてくる燕青を無視し、静蘭は今度は木の陰を覗いた。
(……っ! い、移動しておいてよかった……)
「…………琳麗様…」
ボソリと呟かれた声音にドキッとした。そして、思い出すのは去年の秀麗の気配を感じ取り、王宮でキョロキョロする劉輝の姿だった。
(……やはり、兄弟なのね……)
静蘭の姿はまさに去年の夏、王宮で秀麗の気配を察知した劉輝と同じだったのだ。
そして、静蘭は訝しげに森を見てから燕青と共に歩き始めたのだった。途中、何度か森を振り返りながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は静蘭たちがいなくなるのを感じると、ずるずると木の幹に背を預けた。
「……静蘭も、野性の嗅覚でも持っているのかしら?」
燕青すら気付かなかったのに、ほんの一瞬、気を緩めた状態で気付くなんて恐ろしいと思った琳麗だった。
そばに来た霄太師はなんとも言えぬ顔をしていた。
(琳麗殿だからこそ、気配を感じたのだろう。やれやれ全くあの血筋ときたら……)
そう思って、はぁ、とため息をついた。
「さて、どうしますかな? 宿を取りに街に行きますかの? それともこのまま行きますか」
もう辺りは真っ暗になっているのに、訊いてくる霄太師に琳麗は苦笑した。
「野宿する訳にはいかないでしょう? 街では充分気をつけましょう」
そう言うと二人は馬を付けた場所まで戻り、宿へと向かったのだった。その途中、霄太師は今後の事を口にした。
「今後の事ですがの」
「はい? 分散いたしますか?」
「琳麗殿は勘が働きますな。理由を訊いても?」
「理由は、私たちが持っている木簡は使わない方がいいからです。それに、近々“身体検査”されずに金華の街に入れる方とお会い出来そうです。さすがに霄太師は、彼には感づかれてしまうのでは?」
あの彼の前では、隠し事は難しい。天つ才――天の思考をもつ者。彼を味方につけたなら、それは途方もない力となるだろう。
千里を見通し、あらゆる事象は予測ではなく明確な事実として彼の目には映ってしまう。それはある意味異能の縹一族さえ凌ぐ力。
そんな彼には霄太師の存在などばれていてもおかしくはない。
(きっと狸の妖怪ってバレているかも……)
「さすがですじゃ。私もそう思っておりました。そうですのぅ……彼が現れるの明朝辺りでしょうな、琳麗殿は今宵はこちらにお泊まりになってから彼に会うがいいじゃろう。わしは一足先に金華へと……"菊の邸"に行ってましょうぞ」
小箱を大事そうに持ち、霄太師はニヤリと笑った。琳麗は微笑して答えた。もうすぐそこには旅宿がある。
「分かりました。菊の邸──茶太保の別邸ですわね」
「くれぐれも、気をつけるのですぞ」
「はい、分かりました。あなたもお気をつけて」
周りの目があったので、琳麗は「霄太師」と呼ばず新妻のフリをした。街の中を歩く者たちはこの似合いの若夫婦を目にしていたからだ。
「では、行ってくる」
霄太師は旅宿の前まで琳麗を送ると、そのまま街道を歩いて行ってしまったのだった。その後ろ姿を見送り、琳麗は旅宿へと入ったのだった。
案内された室に入り、寝台へと腰を下ろす。ふぅ、とため息をひとつ吐くとそのまま瞼を閉じた。
“力”を使ったことで、何かしらあの一族に悟られたかもしれなかった。今まで“妖”を見なかったのは護られていたからだと分かっていた。
貴陽では、妖は現れない。あそこは仙が護る都だからだろう。そして、貴陽を出てからも視なかったのは力を使わなかった為。
それにより、母様や龍蓮が言っていた守護が働いていたのだろう。だが、力を使った時、それは破けてしまった。
少しなら大丈夫だと言った霄太師も驚いていたのは、殺気や憎悪を強く感じてしまったからかもしれない。
そう考えると、納得出来る。
ふぅ、ともう一度ため息を吐くと起き上がり窓へと近づいた。
久方ぶりに聞く声はまさに彼の人の誘う調べ
愛してる
愛しておくれ
早く、逢いたいよ
早く、見つけておくれ
愛しい我が姫
それは甘く、懇願のような囁きだった。そして、ふとした違和感がおきた。まるで違う人が一緒に願っているような、そんな調べ。
琳麗は目を開けると、朔の昊を見上げる。今まで微かだったモノが強さを増した、そんな気がした。
──囚われてはいけない。
そう思うと「気をつけねば」と自身を諌めた。