弐
翌朝、旅宿を後にして琳麗は街中を歩いていた。すると、急に人のざわめきが聞こえた。
「……来たわね」
そして、そちらを見れば人込みの中に妙にぽっかりと不自然な空間があった。
いるだけで異彩を放つ者、その人物こそ琳麗が待っていた者である。どんなに混雑していても彼を中心に円状の空白地帯が出来る。
彼は周りの雑音などまるで意に介さず、また唐突に笛を吹いたりもした。ピーひょろろと下手な笛の音が突然止んだ。彼は路を歩いていた人物を見つけると寄っていったのだ。
「おお、琳麗。我が心の友・其の一の麗しい姉君。待たせたか?」
「いいえ、待つということではないわ。それにあなたは待たせたつもりもないでしょう?」
「む、それもそうだな。……何かあったのか? 気が弱まっているぞ」
心配げな様子で琳麗の頬に手を伸ばしてくる龍蓮に、微苦笑した。
「大丈夫よ。それよりもすごい美味しそうね。梨の実」
「では、これを君に授けるぞ」
そう言うと龍蓮は頭に挿していた梨の木の枝を引っこ抜き、琳麗へと手渡した。
「まあ、ありがとう。でもいいの? 秀麗たちへのお土産でしょう、これ」
「おお、そうであった! なに、かまわん。心の友らは姉君に渡したことを怒ったりはしないだろう。心の友らは元気でやっているだろうか」
「彼らなら大丈夫よ。でも、そうね、会いたいなら少しでも早く行きましょうか」
「では、琳麗。道行において歌を所望しよう。私の笛と君の歌を聞けば、きっとかの彩八仙も聴き惚れること間違いなしだ」
「まあ、ありがとう。じゃあ、行きましょう」
周りからの視線に琳麗は苦笑していたが、龍蓮の心は躍っていた。
なにしろ久方ぶりの友人との再会、そして琳麗とこれからの道すがらでの歌が楽しみであったからだ。
笛を吹こうかとも思ったが、琳麗が「旅の話を聞きたい」と申し出られ、これまでの素晴らしい旅先の話をするのだった。
無論、琳麗が龍蓮に笛など吹かせないようにしたのだとわからないのだった。
去っていく見目麗しい女性となんだか知らないが物凄く派手な男を街人は呆然と見ていたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
龍蓮と合流してからは、彼の流れに合わせていた琳麗だった。
金華へ近づいた時、どうやら秀麗に追い越されたことに気付いたが、龍蓮はまったりとしながら歩いていた。
「案ずることはない。我が心の友・其の一なら大丈夫だ」
「……なら良いのだけど。影月くんたちは大丈夫かしら?」
「それもなんとかなろう。さあ、着いたぞ、金華だ」
見えた城門をくぐると、龍蓮は辺りを見た後、隣にいる琳麗を向いた。
「ふむ、ここが金華か」
「大きい街ね」
今までの旅路にあった街や邑と比べて、やはり大きいが貴陽育ちの琳麗は、驚くまでもなかった。
のんびりとした美女の返事に役人は瞠目したが、それは隣の男の恰好により違う意味で目を大きくさせた。
隣の美女はごく普通の姿なのに、なぜ隣にいる男は、旅芸人かと思わせる程の派手な姿で、なぜか頭に梨の実がなった枝を挿しているのだ。
役人はうろたえながらも声を上げた。出来ることなら関わりたくはないのだろう。
「も、木簡を見せてもらおう」
「おお、そうであったな。どこへしまったか……」
その問いに龍蓮は、ポンッと手を叩くと、がさがさと身体中を触り、木簡を探した。琳麗としては、王家の紋印が押されている木簡は出せないので龍蓮が見つけるのを待った。
「ん、……んー? うーむ…」
「おい、後ろが支えているんだ! 急げっ!」
ごそごそと、それこそ頭に被っていたのを上げて探すのだが、どこにあるのか分からずモタモタしている龍蓮に、役人は声を上げた。
「急げ」という言葉に龍蓮はふむ、と頷いた。
「うむ、私のこれまでの人生で急ぐなどということはなかった」
バサバサと身に付けている羽織っていた袖のない外套を翻すと、かさかさと頭にある梨の実が震えた。
「人生で一度位急いでみるのも一興!」
「うぉっ!?」
「はあっ!!」
何をする気なんだ?と驚き身構える役人たちを尻目に、龍蓮はその場でぴょんぴょんと跳ねた。
木簡を落とす為とはいえ、その行動に笑っていたのは琳麗だけだった。役人も含め、その場にいた人達は何をするのか分からず、構えていた。
やがて、カランっ!と音とともに地面に木簡が転がった。
「おお、こんなところに」
「よかったね、龍蓮」
「ったく! 手間掛けさせやがって! んんっ!? 双龍蓮泉!? ら、藍家の方でいらっしゃいましたか!?」
木簡を拾い上げた役人は、そこに描かれた"双龍蓮泉"の紋印に仰天し、すかさず膝を折った。それに続きその場にいた者たちもひざまづく。
「ん、ん?……ふぅ…」
龍蓮は辺りをキョロキョロと見渡し、うんざりというため息を吐いた。そして、琳麗が止めるのを聞かずくるりと回ると笛を当てた。
「龍蓮っ!待っ」
「では、金華到着の記念に一曲」
次の瞬間、ピーヒョロロリ〜と頭を悩ませる激しい笛の音が響き渡ったのだった。
「うぎゃーっ! こ、この笛は…」
「この人が、あの、藍 龍蓮様ぁぁぁ〜…」
「あ、兄者〜〜!」
倒れていく人々を見て、琳麗は額に手を当てた。とりあえずは龍蓮から笛を離すのが一番だった。
「龍蓮!」
「む、何をする? 琳麗」
「いいから行きましょう。ここにいたら後ろの方々がいつまでも入れないわ」
「おお、これはすまなかったな。では、土産を届けに行こうと思うがそなたはどうする?」
それに琳麗は瞑目した後、顔を上げた。
「龍蓮、金華城で会いましょう。でも、静蘭たちに見つからないようにしなくてはいけないから、見てていいかしら? 助けるのが遅くなるのが辛いけれど」
「秀麗は──今は全商連にいるだろう。そして、菊の邸に行くだろうな、一人で」
「そうね、彼は危険だわ。でも秀麗なら大丈夫よ。龍蓮、秀麗に会ってから金華城へ。きっとお土産探しているから」
「琳麗──気をつけるのだぞ。そして何があっても“力”は使うでない。闇は光に寄ってくる」
そう呟いた後、龍蓮は笛を吹きながらぽっかりと空間をあけて歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
龍蓮と別れた後、琳麗は街の中を歩いていた。
「茶州商業中心の都──金華、ね」
集団で街中を警邏している兵装の、人相の悪い男たちが目に入る。
彼らこそ殺人賊だと琳麗は理解っていた。きっと本物の官兵は幽閉されているのか、人質を取られて動けないのか。
そして、殺人賊の背後には茶家がいる。──なんという州だ。茶州一の商業都でありながら、活気などない。人々の表情も張り詰めて暗い。
「…………よく言えたものね」
きっとこの数カ月の間に着々と変化していったのだろう。つと目を細め、琳麗はため息を吐いた。菊の邸の方角を眺め、それから金華城へと足を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
助けに行けないとはなんて辛い事なのだろうと、身に染みて感じる。
金華城の庭院に、影月と香鈴が縛られて転がされていた。見つからないよう屋根の上の物陰から見ていた琳麗は、口唇を噛んだ。
茶家の当主の座が欲しくなったからと、そんな理由でいとも簡単に実兄を殺せと命じ、そして、罪のない一家を惨殺するとは。あの男――やはり、顔だけではない。
甘い顔の中には冷酷と残虐、そして退屈を持て余している男。
(──なんていう、男…)
ギリッと拳を握った。自分の大切な者たちを翻弄し、それを眺め愉しんでいるとは。
殺人賊と一人、裏切られた、いや踊ろされた茶 草洵は大槍を振り回していたが、多勢に無勢により殺人賊によって殺された。
そして、静蘭たちと対峙していた男の足元に首が転がった。
「……ちっ、意外にてこずったな」
その時、門をくぐって静蘭と燕青が姿を現した。
「瞑祥っ!」
「まったく、絶妙な頃合いで現れたな」
首のない茶 草洵の死体を見て、燕青は眉をひそめつつ、棍を構えた。
「お前の雇い主は誰だっ!仲障のじいさんだったら、大切な孫の草洵を殺さねぇよなっ!!答えろっ!!」
同時に香鈴の上に乗り、視界を遮っていた影月たちに殺人賊の剣が突き付けらるた。
「"小旋風""小棍王"、得物を捨ててもらおう」
静蘭と燕青は顔を見合わせ、それらを投げ捨てた。
「"小旋風"には手を出すなよ。殺るのは"小棍王"だけでいい」
「え、燕青さん」
うろたえる影月に、燕青は片目をつぶってみせた。
「心配すんなって。俺はお前の副官で、補佐なんだぞ。お前を助けるのは当たり前だ。助けないでいいなんて、まさか言わねーよな?」
「……言えません」
「満点の答えだ。ちゃーんと香鈴嬢ちゃん守れよ」
にかっと燕青が笑う。瞑祥はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「馬鹿め。"小棍王"のお前が棍なしで勝てるものか――やれ!」
それを合図に殺人賊らが襲い掛かった。真っ先に殺せと命じておいた燕青の首が飛ぶのを想像していたが、吹っ飛ばされたのは四方から踊りかかった殺人賊の手下だった。
「なに…っ」
瞑祥の驚きように、静蘭は冷ややかに笑った。
「知らなかったのか? 燕青の専門は素手だ。棍を持つのは生身より手加減してやれるからだ。そんな相手に棍を捨てろとは自殺行為だったな、瞑祥」
「おお、褒めてくれてありがとさん」
軽口を叩きながらも、燕青は賊を次々と一撃で気絶させてゆく。その圧倒的強さに見ていた琳麗は、驚いていたが、ハッとした。
「"小棍王"! そこまでだっ! こいつらを殺されたくなかったらもう一歩も動くなっ!」
瞑祥と呼ばれた頭領が、影月たちの喉元に剣を突き付けた、からではない。
いつの間にか現れた龍蓮がその男を鉄笛で殴ったからだ。静蘭と燕青は予定外の闖入者に驚いていたが、影月は唖然として見上げた。
「……龍蓮さん?」
「助けに来た。心の友・其の二よ」
「……ありがとうございます」
ふらりと視線を巡らし、質から出してきたばかりの宝剣を静蘭に向けて放った。静蘭は投げ付けられた宝剣を慌てて受け止めた。
「"干將"!? 君、なぜこれを!」
「もう一人の心の友に頼まれたのだ。早くカタをつけてくれ。菊の邸、秀麗が危ない、」
かもしれない──と続けたが、静蘭の耳には入っていなかった。秀麗の名に、静蘭は電光石火の速さで鞘を抜き払うと、賊たちに斬りかかった。