弐
その確固たる自信に由官吏も頷いた。二人の不思議なまでに揺るぎない自信に、秀麗の方が驚いた。
「……絶対なの?」
「これに関しては絶対。だからさ、助けようとか考えなくていいからな? うーん、こういえばいいかな。悠舜をどうこうするのは、今回ばっかりは朔でも不可能」
燕青はにっかと笑い、由官吏もそれに頷いた。
「これでも打てる手はとりあえず全部打ってきたんだぜ。州牧の権限を最高の形でお前らに譲ろうって、俺と悠舜で決めたんだ。悠舜を信頼してやってくれ」
静かな言葉からは、十年州牧をつとめた誇りがにじみ出ていた。
由官吏も微笑みだけで燕青の言葉を肯定する。──それは絶対の信頼関係だ。
「……なんだか、僕たちって本当に幸せですねー」
ぽつんと呟かれた影月の言葉は、秀麗の思いでもあった。彼らが二人して、未熟な自分たちを補佐についてくれる。これがどんなに心強いか。
しかし由官吏はその言葉を別の意味にとったらしい。
「ええ、あなたがたの最初の赴任地が茶州というのは、主上のご英断といえますね」
秀麗も影月もきょとんとした。
「は?」
「茶州府は浪 燕青という前例がありますからね。これまでの十年も浪前州牧の無軌道ぶりと付き合ってきた身とすれば、年齢や性別など少々変わった州牧が赴任してきても問題になりません」
「……なあ、なんかさりげなく俺に対してひどいこと言ってねー?」
燕青のちょっとした意見を由官吏はサラっと無視した。
「でもま、事実だよな。もろ『中央から見捨てられた州』って感じだったな」
その通りです、と応じたのは由官吏だった。
「みな心の底では不安だったのです。そこにようやく正式な州牧が、それも主上から"花"を授けられたお人が来ると聞いたときの、茶州府のみなの喜びようといったら」
思い出したかのように由官吏は笑みを浮かべた。
「あのう……な、なんでそこまで喜んでくださったんですかー?」
影月は思わず訊いてしまう。よくわかっていない様子の二人に由官吏は小さく微笑した。
「"花"は主上の絶対の信頼の証です。官位に拘わらずただ王の御心によって授与する、百官にとって最大の栄誉なのです。王が心を寄せる"花"の地方赴任など、滅多にあるものではありません。主上はあえてあなたがたを茶州に派遣することで、もはやこの州を捨て置かぬという意思表明をなさったのです。"花"の授与はあなた方を守ると同時に、茶州の嘆きもすくいあげた見事な一手といえましょう」
その言葉に秀麗はぞくりとした。
いったいどこまで考えに入れて動いているのだろうか。かつてともに過ごした他愛ない時間がまるで幻のようにさえ思えてくる。
「それともう一個あるぜ、茶州に来てよかった理由」
「え、なに?」
秀麗の胸の内などいざ知らず、燕青はお茶を飲みながらにやにやと笑った。
「全商連の茶州支部はさ、柴彰の姉ちゃんが仕切ってんだけど……その能力といったら男顔負け、ってか負けっぱなし」
「ですから、女性の州牧に対する偏見は他州府より少ないと思います。初の女性官吏の初赴任先としては最適だと思いますよ」
多分知っていたのだろうと、今の秀麗ならば確信をもってそう思える。そのとき叩音がなり、扉の外から声がかかった。
「失礼致します。柴彰殿から面会の申し入れが」
「お、来た来た。いーよ、入れてやって」
待っていた情報がやって来たのだった。ややあって、金華太守の子息でありながら全商連金華特区長をつとめる柴彰が、にっこりと笑って入ってきた。
「んで、どんな感じだった?」
燕青の問いに柴彰は笑顔を崩さず、小ぶりの丸眼鏡を押し上げながらごく簡潔に言ってのけた。
「鄭補佐の命により、四日前をもちまして州都琥漣全面封鎖令が発布されたとのことです」
「全面封鎖〜!?」
あまりの事に秀麗は声を張り上げた。
「そりゃまた強引な手で来たな〜」
「新州牧二人はすでに琥漣に入都を果たしていて、その着任式までの間、あらゆる危険を避けるため、というのが封鎖の理由だそうで」
「……呆れた…」
呆れ果てはしたが、同時に茶家の狡猾さに舌を巻く。
さらに柴彰は飄々と言葉を続けていく。
「新州牧は現在茶家の庇護下におかれているとの噂も流れており、早くも茶家に取り込まれたようだと、新州牧に対する評価は下落の一途です」
「茶家もとんだ噂をばらまいてくれちゃったものね」
「どうしましょうー」
悩む新州牧二人に燕青は声を出して笑った。
「あっはっはー。じゃ、明朝出立ということで」
「えっ!?」
「つーわけで、今日は早く寝ろよ」
あっさりと笑顔で言う燕青に秀麗はまたも声を上げたのだった。
話が終わろうとしたとき、そうそうと柴彰が秀麗の方を見た。
「え、なんですか?」
「お探しになられていた人物に似た方の情報も届いております」
「本当ですか!?」
「すでに琥漣にいるようです。関所には『紅』の姓はないらしいですが、『琳麗』という名の女性の記録があるそうです」
「……でもよー、『琳麗』って名前他にもいるんじゃねーのか?」
柴彰の言葉に燕青が訊くと、彼はまたも眼鏡を押し上げた。
「ええ、ですが、紅州牧たちから頂いた情報と一致する女性が琥漣に現れたというのは事実です。なんでも若い男と一緒に目撃されております」
「「…………えぇっ!?」」
その情報に驚きが大きかったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
真夜中、秀麗は庖厨で饅頭を作っていた。寝なくてはいけないと思っていても目が冴えてしまってどうしようもないからだ。
色々と考えることがある。蕾のこともあるし、姉のこともある。無論、州牧としての責務のこともあった。
「……姉様、どうして…」
茶州に来ているのなら、どうして会いに来てくれないのかしら。とため息混じりに秀麗は肩を落とした。
饅頭が蒸し上がる頃、不意に扉口に影が差した。
「……お嬢様? ここにいらっしゃるんですか?」
やって来た家人に秀麗は微苦笑した。
「静蘭、ちょうどよかった。よかったらお茶にしない?」
その言葉に静蘭はいつものように笑顔で「はい」と応えたのだった。
「……もうほとんど寝る時間はありませんよ? お嬢様も連日の政務でお疲れでしょうに」
二人の会話は表面上はいつも通りだったが、どこかちぐはぐだった。
「だからよ。はっきりいって今寝たら、いくら私でも明け方の出立に起きられる自信ないわ」
秀麗はお茶を啜り、静蘭を見た。なんだかいつも心配かけてしまっている。
「それに静蘭だってあっちこち飛び回って……大変でしょう?」
姉を探していたのも知ってはいたが、なんだか言えないのは何故だろう。「男と一緒にいる」というのを聞いたからだろうか?
「大丈夫ですよ。で、なんだってこんな時間にお饅頭をつくりはじめたんです?」
「んーとね……」
「何か、お悩みですか?」
当たり前のように続けられた言葉に、秀麗は目を瞬きして笑った。
「……だから私、この世で二番目に静蘭が好きよ」
気付いたときには、ごく自然にその言葉が口から滑り落ちていた。
唐突にそう言われ、静蘭は思わず茶を吹き出しそうになった。
「……ど、どうしたんですいきなり」
「あー……うん、私も自分で言ってびっくりしたわ。なんか、ついぽろりと。我ながら今のって『この世で二番目に桃饅が好きよ』くらいすごく自然に言っちゃったわねぇ」
あやふやに首を傾げて、照れ隠しなのか「おほほ」と秀麗は妙な笑いをしていた。
静蘭としてはその気持ちは嬉しく思えたが、妙に照れ臭いと言うか弟の為に1番が誰か知りたくなった。
しかし、いきなりのことだった為どう訊くか考えている間に秀麗はすぐに気を取り直してのんびりとお茶を飲み、蒸し饅を頬張っている。
「ね、こうやって静蘭とゆっくりするのも、久しぶりね」
「え、あ、はい。そうですね」
秀麗は湯呑みを回しながら、静蘭を見た。
「なんか、私に聞きたいこととかある? 昔から家族で静蘭に甘えて迷惑かけてきたじゃない。それが普通になっちゃって、もしかしたら迷惑かけてるのにも気付いてないのかもって、思って。ほら、……あのバカ若様のことで、ずいぶん静蘭に心配かけちゃったみたいだし、出発する前に気になることは訊いていいわよ?」
支えようと、その役目は自分だと思っていたのに……まったく情けない。と静蘭は思った。
「お嬢様」
「うん?」
「さきほどの、一番目はどなたかお訊きしても?」
静蘭に訊かれ、秀麗はあっさりと答えた。
「ああ、父様よ。あんなダメ父でも色々あって、ずっと一番なのよねー。でも、母様と姉様は別格なの。静蘭は?」
「わ、私ですか?」
「やっぱり、姉様、とか?」
その問いに静蘭はブッとお茶を噴いた。秀麗はその様子を見て顔に笑みを浮かべた。
「やっぱり? 姉様と静蘭ってお似合いだし……静蘭が義兄になったら私嬉しいわ」
「お、お嬢様……!?」
にやにやと笑う主の姫に静蘭はこめかみを揉みほぐした。なぜ、この姉妹は己に向けられる恋心には気付かないで、互いの周りから発せられる秋波には鋭いのだろうか。
気持ちは嬉しいのだが、なんとも言いようがない。彼はコホンと咳をした。今はそうではなく、と思うと口を開いた。
「お嬢様は、茶 朔洵がお好きですか?」
今度は秀麗が茶を噴く番だった。
「せ、静蘭にしては珍しく直球で来たわね」
「変化をつけたほうがよろしかったですか?」
「……や、こればっかりはわからないって答えるしか」
「おや」
「……静蘭も知ってるでしょ、私、恋愛方面とんと疎いんだもの」
こめかみを押さえながら秀麗は潔く認めた。はあ、と一息ついて秀麗は口を開いた。