参
「ほら、うちの母様って、父様とすごく仲良かったじゃない?」
「? ええ」
「子供心にも覚えてるわ。いつもすごく賑やかで、楽しかったわよね」
静蘭は妙な顔をした。
「……それは奥様がお嬢様のために薬湯をつくるたびになんでか爆発させていつも大騒ぎになったからですよ」
「確か、静蘭がうちに来て初めて喋った瞬間だったのが爆発した時って聞いたけど本当?」
あの当時は、秀麗がよく熱を出して寝込んでいた為、琳麗は外で静蘭の薪割りを見ていた。
ぷらぷらと足を放り、にこにこと笑っていた少女が急に足を止め、走り出した時、静蘭はびっくりした。
思わず後を追えば、主である薇君奥方が寝込んでいる秀麗の枕元で薬湯づくりをしていたのだ。
なぜか、いつも事故が起きるので心配してみれば案の定爆発をさせた。
静蘭は慌ててその寸前で秀麗を庇い「この子たちに怪我させたらどうするんです!」と怒鳴ったのだった。
「……事実です。あのときは命にかかわる大火傷の危機だったんですよ」
「うーん、本当に昔っから家族そろって静蘭に迷惑かけまくってきたのねぇ……姉様くらいかしら? 迷惑かけてないのって」
静蘭はお茶を飲むことでそれに対する返事を避けた。迷惑なんて思っていないし、むしろ救われたのは自分であったからだ。
「でも母様の薬湯を飲んだ後は、暫くの間元気になれた。姉様と一緒に二胡を教わったのも、静蘭たちと柿拾いをしたのも、礼儀作法を叩き込まれたのも、お饅頭を作ったのも、私が次に熱を出すまでのちょっとの間。時を惜しむみたいに、たくさんのことをしたわね。……でも、時が尽きたのは私じゃなく母様のほうだった」
子供だったけれど、秀麗は覚えている。あのとき、どんなに父が絶望したか。どんなに自分が無力だったか。
「……私があんまり、恋とか愛とか……そういうのに目を向けなかったのは、母様のことがあるのかも。自分に自信ないし、安心して誰かを好きになるのが怖かったのかもしれない。もう父様と姉様、静蘭だけいればいいって思ってたもの。だから特別に大切な人をつくらないようにしていたのかもしれないわ。そうやって目を逸らしてきたのに、あの人、めちゃめちゃ強引で。かなりヘンだけど顔はいいから、私ったらうっかりドキドキしちゃって……」
秀麗の懸命な自己分析に、静蘭は思わずといったふうに吹き出した。
「……な、なかなか客観的な分析ですね」
「……なんで笑うのよ。静蘭は美形でピンとこないかもしれないけど、普通の人にとっちゃ顔の善し悪しってすごく重要なのよ!」
「嬉しいことをいってくださいますね」
「あのお騒がせ若様、そういうところを見事についてきたの。あ、もしかして私って単に押しに弱いだけなのかしら? ごめん、なんか、全然答えになってないかも」
押しとかいう以前に秀麗と琳麗にちょっかいを出そうとした近所の小僧どもは、静蘭に駆除されていたことに彼女たちは知らなかった。
たとえ出されていても、気付かないで天然でかわしてきた最強姉妹だ。
「あ、いいえ。きちんと考えて下さって、ありがとうございます」
「そ、そう?……う、まずいわ。一生懸命喋ってたら本格的に眠くなってきちゃった」
静蘭はくすくすと笑うと、欠伸をする秀麗の頭をそっと撫でた。
「よろしいですよ。ちゃんと起こして差し上げます。もうあまり時間はありませんが、少しでも仮眠をとれば違いますから」
「……でも静蘭だって」
「体力が違いますから、私のことはお気になさらず」
秀麗は必死で瞼を押し上げようとしたが、目がぐるぐる回っているような感覚に降参した。
「じゃ、ごめん……ちょっと寝るわね」
「はい」
「そうだ……私の"蕾"……馬鹿若様から取り返さなくちゃ、ならないけど……」
「はい?」
「あれは私のだから、私が自分で頑張るね……静蘭、あんまり私を甘やかしちゃダメよ」
とろとろと瞼がさがっていき、ついにはこてんと卓子に頬をついてしまった。
静蘭は苦笑しつつ、秀麗の小さな肩に触れたのち、ちらりと扉を見る。
「……こらそこの、こめつきバッタ」
「あ、あら、気付いてた?」
ひょっこりと顔を見せた燕青に、静蘭はため息をついた。
「馬鹿の一つ覚えとはお前みたいなやつのことを言うんだ」
「姫さんが眠った途端これだもんなー……」
燕青は大股で室に入ってくると、残り一つとなっていた蒸し饅頭をひょいとつまんだ。
「んー久々の姫さんの饅頭。冷めてもうまいなんてさすがだぜ。姫さんきっと、お前に甘えられてることとか全然気付いてないよな」
静蘭はムッと眉を寄せたが、反論はしなかった。
「いーんじゃん? お前みたいなやつはさ、身近に三人くらい大人なやつがいないといつのまにか息の仕方も忘れて窒息しかねないからな。……まったくよくできてるよなー、姫さんら、邵可さん、俺。ちょうど三人であまりナシ」
「三人でない上に、最後のはいらん。こめつきバッタと取り換えろ」
「……冬はどーすんだよ……。お前の甘え方って、ほんっとわかりにくいよなぁ」
多分、素直に甘えるのは邵可に対してくらいだろう。
「そーいや、琳麗姫さんの話聞いたか?」
「……あぁ、柴彰殿から聞いた。容姿云々からして琳麗様に間違いはないだろう」
「まさか琥漣に行っているとはなー……しっかし、なんで俺らの前に姿見せないんだろーなー。将軍さんの弟くんと香鈴嬢ちゃん以外も見てるってのに、見事に俺らだけに」
それに静蘭はムッとした。燕青はやばい、と頬をかき話題を変えた。
「あー……今回は吏部尚書は動かないみたいだ。……ほんと姫さん大事なんだなぁ」
ああ、と静蘭は応じた。
「しかし、そうすると朔洵が茶家当主になる可能性ま消えたか」
「だな。結局、草ちゃんは殺られ損かぁ」
「弟の手できちんと埋葬されただけマシだろう。……アレは意外に見込みがある」
「だろ。でも、相手は仲障じーちゃんと、朔だからなー。朔がああいうやつって知らなかったから焚きつけちったりしたけど……ちょっと後悔」
「知った上で歩き出したんだろう。だから見込みがあると言ったんだ」
「まあ、そうだけどさ」
静蘭は秀麗を抱き上げると、珍しく伏し目になっている燕青をちらりと見た。
「仮眠をとるから、時間になったら起こせよ」
「……はい!? 俺は!?」
「体力有り余っているくせにずっと机案仕事してたんだからそんくらいしろ」
「う、うわーそれって俺のせいじゃねーじゃんよー」
静蘭の慰め方は、あまり燕青には優しくないのだった。
秀麗を抱えて庖厨から出て行った静蘭を見送って、燕青はバリバリと頭を掻いた。
「…………どーすっかなー…」
先程、話題になった琳麗の行方に燕青は心当たりがあった。
それは確信に近いものだろうと思っていたが、去年の夏に「誰にも秘密にしてね」ときちんと釘を刺されていたのだ。
それは渡す相手のことであり、「また会いましょう」と言った琳麗の言葉の意味は、貴陽で再会した時の意味ではなく、きっと"現在"にかかることだと燕青は悟った。
龍蓮たちから琳麗が茶州にいると聞いた時点で。
「……英姫ばーちゃんに会えるのかねー」
不可能に近いのではないのかと思った。なんといっても縹 英姫は監禁されているのだから。
「ま、あっちで会えんだろ……」
そう零すと窓の外をみた。東の昊がうっすらと闇から薄墨色に染まっていっている。傾いている細い月がほのかに木々を照らしていた。
第一幕/終
あとがき
ゆ、夢主の出番がない…………。いや、本当に申し訳ありません!夢じゃないね、本当に。
さて、ようやく入りました「漆黒の月の宴」編です。それなのにいきなり夢主の出番のなさに、平謝りしたいです!
ついでにアニメ版だと劉輝たちも茶州に来る訳ですが、そちらは目をつぶることにしました。夢主は既に琥漣にいるのでどーしよーもないから。
次こそは、英姫ばーちゃんと会話出来たらいいな……と願っております。
本当に申し訳ありませんでした!
2007/09/20