弐
茶家当主選定式当日──。
邸の様子はなにかと慌ただしさを増していた。秀麗の気配も感じ、あちこち駆けずり回ったり、そわそわと焦ったりしているのがわかる。
「琳麗、よいのか? わたくしの傍におって」
「はい、私も茶家を背負う者に会いとうございますから……ただ、その後は」
「すまぬのう、茶家の事に付き合わせてしまって」
「いいえ、お気になさらずに」
にこり、と微笑むと知っている気配を次々と察知した。――来た。影月くん、燕青さん、そして静蘭の気配を感じたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ぞろぞろと選定式の為に客人が入っていくのを、彼らは少し離れた路地から眺めていた。
「……本当に大丈夫でしょうか?」
「なんで? 茶家がくれた正式な招待状だぞ。堂々と表門から入ってやろーぜ」
「ええ」
不安げに言う影月に燕青は軽く答えた。軒の横に静蘭と春姫もそれを眺めている。静蘭は軒の窓から顔を見せている燕青に言った。
「選定式も何が起こるかわからん。そっちは任せたぞ」
「ああ、お前こそ春姫を頼んだぞ。茶家の連中は春姫の顔を知ってるんだ。くれぐれも」
「くどい。──幸い、今夜は新月だ。忍び込むのにちょうどいい」
燕青の言葉を遮り、静蘭は夜空を眺めた。星は瞬いているが暗い。静蘭は春姫と顔を見合わせると、軒から離れ、駆けていった。
二人を見送った後、その大邸宅を軒から一目見上げた影月は、急に背筋がゾクゾクと寒くなった。
「……うわー風邪かなー」
「なんだぁ影月、医者の不養生か? この一大事に。健康管理も州牧の必須条件なんだぞ。早いとこ香鈴嬢ちゃんを嫁にもらうしかないな」
「なっ、ななな何言ってるんですかー!」
ひとしきり影月をからかったあと、燕青自身も首を傾げた。
「……とかいいつつ、実は俺も妙に鳥肌立ってんだよなー」
略装とはいえ正規の官服をまとった燕青は、窮屈そうに襟元をくつろげた。
「燕青さんそういうきちっとした衣もすごくよくお似合いですね。とっても格好いいです。はぁ、それに比べて……春も思いましたけどほんと僕『着られてる』って感じですよねー」
「なぁ、ちゃんと鏡見たか? 春よりずっと似合ってるぜ。自信もてって。お前、これからどんどんいい男になるぞ。十年後には俺様顔負けのもてもてだ」
茶本邸を見上げて燕青は言った。
そのとき影月の顔が僅かに曇ったことに気付かなかったのは、ここに琳麗がいるかもしれない──いや、いるだろうと考えたからだ。
静蘭に伝えようかとも思ったが、『秘密』と約束した以上、言えない。軽く頭を振った。いるとしても英姫ばーちゃんといるはずだ。それならば大丈夫なはず。
「さーて影月、覚悟決めたか? ぜーんぶこっちに惹きつけるために、わざわざ派手にこんな恰好してきたんだからな。とはいえ乗り込むのは今のとこ俺たちだけ。周りは敵だらけ。人はこれを無謀という」
影月は吹き出した。
「嘘ばっかり。あんなにたくさん色々やってくださって。……ねぇ燕青さん、あなたは僕に、こんなときでも陽月を出さないのかって言わないんですね?」
「なんでだ? 州牧なのはお前であって、陽月じゃないだろ」
酒を飲むと「陽月」が現れ、そちらの方が実践向きだが、当たり前のように返されて、影月は満面の笑みを浮かべた。
元気を取り戻した影月は、門の中へ消える軒の数を数えながら、燕青に言った。
「たくさん一族のかたが入って行きますよー。僕たちも、そろそろいいんじゃないですか?」
「ああ。……ああ〜……こんなバカみてーに豪華な軒借りちまって……もう俺、一生彰に借金返せねーよ……」
馭者をつとめる青年が、眼鏡を押し上げつつにっこりと笑った。
「一生ツケてさしあげますから、ご心配なく」
さあ参りましょうか、と柴彰は馬に鞭を当てた。
その頃、静蘭は茶 春姫を抱えて壁を乗り越え、なかに侵入した。
静蘭がひらりと本邸の壁を乗り越えた瞬間、まるで見えぬ雷撃を受けたかのようなびりびりと全身がしびれた。いや、しびれたのは静蘭自身ではなかった。
琳麗はそれを英姫の横で、感じとった。
「英姫様……」
「これは……もしや"干將"かえ。遥か昔、縹家の者が夫婦で打ち鍛えたふたつでひとつの双剣――破魔であったはずじゃな」
「はい、静蘭──シ武官が入ったようです」
「うむ、それに春姫も来たようじゃな。あの者の為に駆けて」
そして一陣の嵐の如く、二人は強い力を感じた。羽扇を手に持った英姫は静かに呟いた。
「すべてを尽くして、愛する馬鹿者を救いに行け──」
呟きに瞑目し、琳麗はどこかにいるであろう霄太師の気配をおった。
しばらくしてから庭院にいるらしく、叫んでいる男がいる。これは、と思い英姫を見るが彼女も瞑目している。
秀麗、茶 春姫は克洵が幽閉されている地下室の入口──彩八仙の宮へと向かった。もうすぐ、彼らは覚悟を決め、ここへやってくるであろう。
あの金華城で見た優しげな男と共に……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
室の空気が揺らぎ、英姫はふっと顔を上げた。閉ざされたままの扉を見る。ゆっくりと、椅子から立ち上がった。琳麗も気配を感じて顔を上げる。
くる──。
そして、扉が開かれる。
「英姫大伯母様!」
飛び込んできたどこもかしこも平凡な若者に、英姫は厳しい目を向けた。訊くべきことはただひとつ。手首をひるがえし、斬るように羽扇を若者につきつけた。
「その指環、我が夫の歩んできた道を、継ぐ覚悟がありやなしや!?」
茶一族中を震え上がらせてきた英姫の眼差しにも、克洵はひるまなかった。
「あります──いえ、覚悟ができました。だから、どうか僕の行く道の、助けとなって下さい」
「──よういうた」
英姫は婉然と微笑んだ。本当に、文句なしに平凡な若者だった。けれど一族のなかでたった一人、鴛洵の美質をそのまま受け継いだのが克洵だった。
「そなたは平凡な男じゃ。じゃが弱さを知っているから、強くなれる。何ももっていないから、本当に大切なものを捨てずにすむ」
才など、それさえあればいくらでも補える。
「だから、足りないものなど何もない。ですわね、英姫様」
琳麗は言葉を継ぐように克洵を見て微笑んだ。英姫も微笑し、それに頷く。
「ぎりぎりで間におうたな。さあ、そなたも支度をせい」
「し、支度……?」
「このとんまめ! 今日がなんの日かもわかっておらぬのか。茶家当主選定式ぞ。はよう着替えてきや!」
「あっ……はい…」
言葉に尻を叩かれるように、おぼつかない足どりで室を出ていく克洵に、英姫は額を覆った。
「頼りないのう」
「それでも彼こそ茶家を継ぐに相応しい人物ですわ」
横で琳麗は微苦笑した。それから、入れ違いで春姫と秀麗が室に入って来た。
「お祖母様」
「ねっ……!?」
秀麗は英姫の横に姉、琳麗の姿を見て驚愕している。だが、琳麗は口元に指を当てた。英姫が秀麗に目を留め、頭を垂れている。秀麗は顔を引き締めた。
「わたくしは亡き茶 鴛洵が妻、縹 英姫。紅州牧、此度は茶家がご迷惑をおかけし、心よりお詫び申し上げる。……もう少しばかり、付きおうていただいてよろしいか?」
秀麗は言葉の意味をすぐに察した。にっこりと笑う。
「はい。もちろんそのつもりです」
「感謝いたす。それにしても春姫……お前、あの男で本当に後悔しないかえ?」
「お祖母様と同じくらいには、幸せになれると思っております」
澄んだ声を取り戻した孫娘に、英姫は得たりと笑んだ。
「ふん、わたくしほどじゃと? まあ無駄じゃと思うが、努力くらいはしてみやれ」
「はい」
英姫の言葉に春姫は答えると、秀麗と顔を見合わせて笑った。そして、秀麗はハッとする。先程までいた琳麗がいつの間にか室からいなくなっていた。
「姉様っ? さっきまでいたのに」
「琳麗ならやることがあるのじゃろうて、大丈夫じゃ」
親しく名を呼ぶ英姫の姿に、秀麗は二人に交流があったことに驚いていた。訊いてみたいと思ったが、今はやるべきことがある。
着替えて来た克洵たちと共に選定式が行われる大堂へと向かった。姉、琳麗のことも気掛かりだが、あの放蕩若様も気になっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
風が動いた。誰もいなくなったはずの地下の宮に、ゆるりと風が巻いて若者の姿が忽然と形づくられる。
「……鴛洵」
彼は旧い友人の名を呼んだ。答えが返ってくるまで、だいぶ間があった。姿もない。すべてを使い果たしたかのように、ただ声だけが。
──……終わったぞ……霄。間に…あった……。
「……こんなことのために、お前をつれてきたわけではなかった」
静かに邸のあちこちをたゆたい、少しずつ侵食してきた闇は、すでにない。
こんなことになってるとは思っていなかった。まさかあの馬鹿が怖いもの知らずにこんなふうに宮を利用するとは──。
「こんなことのために、お前をつれてきたわけじゃない──」
自らの命をなげうってまで救おうとした、茶家の行く末を見せてやろうと思っただけだ。
いつだって最後までやり抜いた友の、たった一つ途中で投げ出さざるを得なかった大仕事、その幕引きを。
彼の遺志を引き継ぐ者、新しい時代が拓く様を見せ、安心させて眠らせてやりたかった。本当に、ただそれだけだったのに。
「この闇が、茶家の人間を狂わせたわけじゃない。これは、ここにただ在るだけ――魅入らせたのは、その者自身のせい。そう言ったのにお前は──」
──最後の後始末だ。どうせならとことん役立って眠ったほうがいい……。
「お前の馬鹿さ加減は、まさに死んでも治らないな。英姫にも会わずに──」
──その死人を、きちんと眠らせなかった馬鹿は、誰だ。
「人柱にさせたかったわけではない──!」
反対した。だが頼まれれば、友の願いを断ることはできなかった。この頑固者は、愚かな弟の尻ぬぐいのために最後まで自らの意志を貫き通すのか。
「安らかに……眠らせてやりたかったのに……お前というヤツは最後の最後まで……」
微かに、吐息にも似た優しい笑いの気配がした。
──じゃあな、霄……。
そしてもう、二度と声はなかった。
鴛洵は去った。仙たる彼ですら、もはや手の届かぬところへ。その魂を宮の奥深くに鎮めることで、ゆるゆるとあふれだしていた闇を止めて。
口唇が震えた。
「……おやすみ鴛洵──よい、夢を」
愛しい友と過ごした、奇蹟のようなこの五十年を、永久に忘れはしない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
霄太師がいると思われる宮へ入った時、琳麗の瞳から涙が零れた。床に膝をついた琳麗に気付いたのか霄太師がこちらを見た。
「……琳麗…」
「────っ……茶太保…」
琳麗は茶太保の気配を感じようとした。いや、探したといってもいい。
(……そんな…)
いなくなってしまった──。微かに感じていた、茶太保の魂がとうとう消えてしまった。英姫にも会わずに。
そして、誰より茶太保を失い、涙する霄太師の傍へと駆け寄るとそっと抱きしめたのだった。
「……琳麗…殿…」
「…………泣いて下さい…我慢、なさらずに……」
流れ込んで来た締めつけられるような想いに琳麗は、霄太師にそう呟いたのだった。
第二幕/終
あとがき
お久しぶりです。第一幕からひとつきぶりの更新でございます。
もう、何がなんだか……訳がわかりません。
夢主の出番なんてないわー。話の作りもおかしくなってしまいました。
本当にもう駄文駄文でダメダメだな……。
次回で終わりってとこですかね?
2007/10/23