恋ひとつ



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いつもご訪問ありがとうございます。
当サイトは2022年8月15日に8周年を迎えました。
記念にキンブリー夢SSを3編書きましたので、よろしければお納めください。
また、8月4日にハガモバがリリース&キンブリーPICK UPガチャが実装されたということで、3編ともその設定を踏まえたお話にさせていただきました。
少しでも楽しんでいただけますように。




打ち上げ花火




 久しぶりに彼に電話をかけた。忙しいのは百も承知だけど、こちらは緊急事態だった。
 三度目のコールの後、軍部の電話交換手が出た。
『少佐は席を外されているようです。ご用件は?』

 三日後、中央駅のホームで汽車を待った。もし伝言通り来てくれるのなら、一等車の、一番前のドアから出てくるはずだ。
 ワインレッドの高級列車がホームに入る。風がぶわりと吹き込み、前髪が強くなびき、扉が開いた。
 来るか、来ないか。
 さて、どっちだろう。
「やれやれ。この私を呼んだからには、それ相応の仕事があるんでしょうね?」
 一際目立つ白い男が、帽子を押さえて降り立った。
 早足で駆け寄ったけれど、驚きのあまり反応が薄くなってしまう。
「まさか、ホントに来てくれるなんて」
「貴女の頼みは断れませんよ」
 スーツケースを転がし、並んで歩く。涼しい蒼の流し目が私を捉える。
「それで? ご用件は?」
 たくさんあるの、と声を大にして、思いっきり息を吸う。
「夏休みの宿題!! 明日まで!! 
 特に数学、全然やってないの!!!」
「……やれやれ」
 目を伏せゆるゆると首を振る義兄は、ばかな私をひとつも咎めなかった。

(20220805)




香るコトノハ




「キンブリー少佐、コーヒーどうぞ」
「ええ」
「少佐、こちら昨夜の事件の資料です」
「……ふう」
「先日、東部の地元で買った茶葉です。お口に合うといいんですが……」
「受け取っておきましょう」
 慣れている。忙しいかそうでないかは関係なく、キンブリー少佐の対応はいつもこんな感じだ。
 目を見て話してもらえるだけ、まだありがたいのだけれど……。
 ほんの少し、不満が募る。
「少佐って……」
「……なんです?」
 まずい、つい口を突いて出てしまった。
「い、いえ、なんでも」
 怪訝そうに眉を動かす彼に、私はいそいそと背を向けてデスクに戻った。

「少尉」
 翌日、業務開始前にキンブリー少佐に呼ばれた。
 他の皆はまだ当庁していない。朝日差す窓辺のほうへ、キンブリー少佐が座るデスクのほうへと向かう。
「お呼びでしょうか?」
「昨日いただいた茶葉ですが、なかなか良い味でした」
 驚いた。まさか、さっそく感想をいただけるとは。
 いや待て待て、この人のことだ。単なる社交辞令かもしれない。まあ、たとえそうでもいいんだけれど。
「それならよかったです。アップルやジンジャーと迷ったんですが……、少佐がお気に召したのならカモミールにして正解でした」
「ええ」
 この言葉に嘘はない。喜んでくれたのなら、それでいい。
 特に続ける話もなく、彼もなにか質問するでもなかった。少佐は無駄口を嫌うから、必要最低限の会話だけでいいのだ。
 口角を上げたまま、目覚ましのコーヒーを淹れようと、踵を返す。
 ――その背中に投げかけられたのは、意外な言葉で。
「……ありがとうございます」
 はっとして振り返ると、彼はもう書類に目を通している。
 顔を上げることもなく、目を合わせることもなく、何事もなかったかのようにして。
 私は小さく頭を下げてから、給湯室へと向かった。

「……なんだ。ちゃんとお礼、言えるんじゃない」
 いつも飲むブラックコーヒーのような苦々しさは、感じない。この胸に香るのは、カモミールティーのような後味のよい清涼感だ。
 それで、心なしか頬が熱いのは――。
 ……きっと、マグからのぼる湯気のせいだろう。

(20220814)




紅蓮の楽章




「イシュヴァール殲滅戦、かぁ……」
「ええ。残すところあと一週間となりましたね」
 隣を歩くキンブリー少佐が、涼しい顔でそう言った。
 長い残業終わりの、帰り道でのことだ。今日の夜空はどこか明るい。生ぬるい夜風が、少佐の額に流れるおくれ毛を優しくさらっては、ゆるくなびかせている。
「私、『本番』ははじめてなんです。うまく立ち回れるかどうか、少し不安で……」
「おや、戦場に赴く前から弱腰なのはいただけませんね。敵を的確に狙い、美しく完璧に仕留める。ただそれを繰り返すだけです。難しいことなどなにもない」
 はは、と思わず苦笑してしまった。精神的にも肉体的にも強い少佐には、きっと理解できない悩みだろうなぁ、と。
「ですが、少佐のお背中だけは全力でお守りしますので、ご心配なく」
「背だけではなく、正面も頼みますよ」
「わ、分かってますってば――あ!」
 ドン、という大きな音。それが、二度、三度と立て続けに鳴った。
「これって、もしかして……」
「打ち上げ花火、のようですね。ああ、いい音だ……」
「結構、近いですよ。せっかくですし、見えるところに行きませんか?」
 私たちは、音に誘われるようにして、元来た道を引き返す。
 しかし、肝心の花火はどこまで行っても見えない。いったん立ち止まって、長い階段や視界が開ける場所をきょろきょろ探すものの、そういったところは運悪く見当たらない。
「あ〜、高台もない……。肝心の花火は住宅街に隠れてしまってますね。ちゃんと見たかったのに……」
「そうですか?」
「え、少佐は見たくないですか? せっかくこんなに近くで音が鳴っているのに……」
「だから、いいんですよ」
 少佐は陶然とした様子で、瞼を閉じている。私は小首を傾げて、言葉の続きを待った。
「この腹の底に響く音に、耳をすませてみなさい。全身で感じなさい……。そこに視覚情報など、不要です。この音が、この音楽こそが――花火の真の醍醐味なんですから」
 思わず目をぱちぱちと瞬く。見えない花火をここまで楽しめる、いや、見えないからこそ楽しんでいる人種に、はじめて出会った。
 少佐の美的センスは、正直言ってよく分からない。けれど、彼が満足げに目を閉じてニコニコと笑っているなら、もうそれでもいいか、と思えた。

 ――そんな平穏な日々は、すぐに過ぎ去った。イシュヴァールの血が滲む砂嵐にかき消され、吹き飛ばされてしまったのだ。
「少佐! ご無事ですか!」
 瓦礫の山に隠れ、建物だった壁に銃口を向けつつ、キンブリー少佐に呼びかける。
「少尉、援護は不要です」
 漆黒の尻尾髪が、白のタンクトップが、風にたなびいている。
 振り返ったその横顔は、真剣でいながらもどこか愉快げだった。
「派手に花火を打ち上げます」
 両手を広げる。十の指が広がる。
両掌を合わせる乾いた音が響き、地面から向こうへと続く大きな錬成光が発生する。
 直後、ぶるぶると鼓膜を震わす轟音が鳴り響いた。イシュヴァール人たちの断末魔が哀しくこだまし、ぷつんと消えていった。
 身体のうちから震えが込み上げてくる、濁流のような感情と大音量に、目を瞠ったまま、動けない。
「素晴らしい! 賢者の石!!」
 狂喜乱舞し、高笑いする紅蓮の錬金術師の震える背中を見て、ふと思う。
 ああ、これが彼が真に求めていた旋律なのか。
 これこそが、指揮者でもあり奏者でもある彼自身を体現する音楽なのか――、と。
「……しょう、さ」
 私の声は、震えていた。
 見えない花火に感じ入っていた、あの日のあなた。あの夜のふたり。
 これまでの平穏な日常が、『常人』だったこの人の存在が、急に遠い昔の思い出のように、色あせていく。遠ざかっていく。
 この殲滅戦は、まだほんの序章だ。紅蓮の楽章は、鮮血と悲鳴に彩られたまま、流れ続けていくのだろう。
 どうか、あの日ふたりで聞いた夏の夜の音楽だけは、この爆音の旋律に掻き消されないでいて。

(20220815)