※名前変換はございません。 「……ということで嬢ちゃん、おまえは俺んとこに来い。酒もつまみも飽きるほどあるぜ。ま、仲良くやろうや」 グリードと名乗る男が、私の肩を掴む。 どこに連れていかれるんだろう。そっちは怪しい看板がある。地下に続く階段を見れば、暗くて足元がよく見えない。 ついて行ったらきっと、戻れないだろう。 そんなの、やだ。 「行くぞ嬢ちゃん」 誰か、助けて……! ――助けて、キンブリーさん……! 「その手を離していただきたい」 冷静な、冷たい棘を含んだ声が響く。見れば、どこから駆けつけてきたのか、頭に思い描いていたひとがいた。 「あーん? なんだてめぇは」 「その手を離せと言っているのです」 優雅に、しかし乱暴な手つきで、キンブリーさんは男の手を掴んだ。 その隙に、私は壁際に駆け寄る。 「ったく、天下のグリード様になにしやがる! ちったあ、そのキレーなツラを拝ませてもらわねぇと気が済まねえなあ?」 「……望むところですよ」 ふたりの間に見えない火花が散る。グリードが片手を伸ばし、キンブリーさんは両掌を合わせた。 薄暗い夜の街中で行われようとしている、不穏な戦闘。 私は、冷や汗を流して見守ることしかできなかった。 晴れて恋人になったキンブリーさんとふたりで小旅行……のはずが、どうしてこんなことになってしまったのだろう。 ダブリスの治安はそんなに悪かったのだろうか。私はただ、キンブリーさんがシャワーを浴びている間だけ、夜風を感じながらホテルの近くを散歩をしていただけだったのに。 そんなに、遠くへは行かなかったのに。 「よぉ、嬢ちゃん。こんな夜にひとりでお出かけか?」 振り返れば、黒い服に身を包んだサングラスの男が、ニヤニヤと笑っていた。 関わってはいけない、と本能が告げる。この人はなにか、ただのチンピラではなさそうだ。 男を無視して足早に歩いた。ホテルとは反対方面の――薄気味悪い路地裏だったけれど、構っていられない。 まずは、この男から逃げなくては。 「おー、おー、そんな警戒しなくてもいいじゃねえか。俺様はグリードってんだ……。近くに最高のバーがあんだが、遊んでいかねえか?」 存外に、男はしつこかった。私はさらに足を速めたが、男性の彼の方が歩幅がある。簡単に追い抜かされ、目の前に立たれてしまった。 「デビルズネストっつーんだが、お嬢ちゃんが思っている以上にシャレたところだ。もちろん、俺様が選んだシャレた女もたくさんいる。……あ、嬢ちゃんには関係ねえか」 がっはっは、と大口を開けて、男は笑う。もはや、逃す気はなさそうだ。 私は、意を決して口を開く。 「……すみません、どいてください」 「ありゃ? よく見れば嬢ちゃんもカワイイじゃねえか。パッとした派手さはねえが、純情で清楚な生娘みてーな――」 男の顔が、ずいと近づく。どっ、と心臓が、恐怖で高鳴った。 「どいてください……!」 「まー、女泣かすシュミはねえから、穏便にいくけどな。こっちはちょうどヒマしてんだ。嬢ちゃんみてえな可愛い子ちゃんと、朝まで遊びたいだけ、な。俺様と一緒にシャンパンタワーやろうぜ? な?」 話が、通じない。 泣き出しそうになる自分を落ち着かせて、元来た道を戻ろうとした。 すると、ついに、肩を掴まれる。 「……ということで嬢ちゃん、おまえは俺んとこに来い。酒もつまみも飽きるほどあるぜ。ま、仲良くやろうや」 どこに連れていかれるんだろう。そっちは怪しい看板がある。地下に続く階段を見れば、暗くて足元がよく見えない。 ついて行ったらきっと、戻れないだろう。 そんなの、やだ。 「行くぞ嬢ちゃん」 誰か、助けて……! ――助けて、キンブリーさん……! 「その手を離していただきたい」 ――今、目の前で繰り広げられている戦いは、果たして現実のものなんだろうか。 まるで、悪い夢をみているようだ。 キンブリーさんが掌を合わせ、路地裏に爆発を起こす。その大きな衝撃で男が倒れると思いきや、そうはいかない。 男は、人ではなかった。首から下の肌がみるみるうちに黒くなり、まったく傷を受けていない様子だった。 「ハッハァ! 錬金術師殿のご登場とはな! いいぜェ、面白くなってきやがった!」 風よりも速いスピードで、男が間合いを詰める。獰猛な獣のような黒く尖った爪で、キンブリーさんを襲う。 「む……、面白い身体をしていますね」 素早い身のこなしで見事に攻撃をかわしたキンブリーさんが、不敵に笑う。後ろ髪をなびかせながら距離を取り、次なる攻撃に備えている。 「ちィとワケありでな! こんなナリだが、それなりに気に入ってんだ。なにより、戦いやすいしなぁ!」 男はすぐに、キンブリーさんの目の前まで来る。 「俺様はグリードってんだ……。せいぜい仲良くやろうや……、仲良くなれるなら、なァ!?」 思わず息を呑んだ。大きく振りかぶったグリードの爪が、キンブリーさんの喉元を掻き切ろうとしている。 「キンブリーさん!」 ひゅっ、と風を切る音が鳴った。私は、たまらず目を閉じた。 瓦礫が落ちた音。パラパラと、砂粒がそれに当たる音……。 怖々としながら目を開けた。キンブリーさんの白い帽子が、ひどく破れた形でふわりと舞った。 「……キンブリー、さん……!?」 一瞬、耐えがたい恐怖に苛まれたものの、彼は無事だった。腰を直角に曲げ、頭を下げた低い姿勢を取っていた。 腕を伸ばし、両掌をグリードの額につけて。 「――終わりです」 直後、激しい爆破音が鼓膜に大きく響いた。 煙と、炭の匂いが辺りに充満し、私はまたもや目を開けていられなくなった。 ……これで、終わった……? 「ッ、ハッハァ!! ったく、派手なことしやがる!!」 まだだ! 煙の中、グリードの余裕に満ちた声が聞こえる! 「頭蓋骨ふっ飛ばせるかと思ったか? 残念。俺ァ、そんなヤワにできちゃいねえんだ。どうだ、硬てェだろ!?」 徐々に薄まっていく煙の中で、ありえないものを見た。 グリードの全身が、肌という肌が、黒く変貌している。髪もなければ耳もない。横顔の人相すら、変わってしまっている。 その姿は、誰が見てもひとではなかった。 「な……!」 なによりも驚いたのは、あれだけ至近距離で爆破攻撃を受けておきながら、擦り傷ひとつついていないことだった。 そんなに、硬い身体になれるの……!? 「……なるほど、厄介ですね。一筋縄ではいきませんか」 キンブリーさんは、すぐに間合いをとって、乾いた咳をこぼした。次いでネクタイをくいと整え、グリードを睨みあげる。 「やれやれ、まったく……。骨が折れる……」 離れたところで戦闘を見ているだけなのに、血の気が引きすぎている。だって、手足の感覚がない。 どうしよう。あの国家錬金術師のキンブリーさんですら、歯が立たない相手なんて。 どうしたら勝てるの……!? 「ま、勝負はもうついたわな」 ――そのとき、あまりにも場違いな、グリードののんきな声が響いた。 「さ、お開きだ! 錬金術師殿の実力も大体分かったところで、そろそろドンペリでも開けて、パーッといこうや」 「……はい?」 グリードは両手をぱっと挙げて、明るい口調で話し続ける。 「おまえはこの先、どうあがいても俺に勝てない。俺様にゃ、この『最強の盾』があるからな。やるだけムダっつーもんよ。なら、話が早いだろ?」 「待ちなさい。まだ勝負はついていませんよ。本番は今から――」 「キ、キンブリーさん!」 慌てて、彼に呼びかけた。せっかく停戦を提案してくれてるんだから、その通りにしておかないと……! 「こ、この人もこう言ってるんだし、今日はもうやめておきましょうよ! ほら、騒ぎを聞きつけて人だかりもできてきましたし……!」 「おー、話が分かる嬢ちゃんだ。さすが、俺様が気に留めただけのことはある」 「……私の連れに気安く声をかけないでいただきたい」 静かな怒気を含みながら、キンブリーさんは私の方に近寄る。そして、その広い背中で私を守るように立ってくれた。 「あ……」 「ほーん、アンタのツレとは知らなかったなァ。でもよぉ、そんなに大事なツレなら、こんな夜道をひとりで歩かせちゃいけねえなあ?」 「私の居ぬ間に勝手に出歩いていたのですから、仕方がありません」 「うっ、ごめんなさい……」 「むしろ、すぐに探しまわって無事に発見したことを評価していただきたいものです」 涼やかな口調でそう言うや否や、キンブリーさんは私の腰に手を回す。 「さてと、随分と長い遠回りをしました。帰りましょうか」 「おいおい! まだ嬢ちゃんとシャンパンも開けてねえんだぞ? なんならオマエさんも一緒に俺様の店で――」 「いいえ、結構。さあ、帰りますよ」 「おい、ちょっと待てって――」 歩き出した私たちに、グリードはなおも立ち塞がる。 そんな彼に、キンブリーさんは眉根を寄せ、短いため息をついた。 その目は、怒りに染まっている。 「これ以上私たちの邪魔をするというのなら、貴方ではなく、貴方の大事な『巣』が吹き飛びますが?」 ぎろ、と鋭く睨み上げるキンブリーさんに、グリードは目を伏せて両手を挙げ、降参のポーズを取った。 「……そりゃご勘弁。あそこには俺の大事な『ツレ』がいるんでな。あばよ、お二人さん。さっさと行っちまいな」 ひらひらと手を振り、グリードはやっと背を向けて、店の方へと歩いていく。 私はしばらくその後ろ姿を眺めていたけど、キンブリーさんに「行きましょう」と合図され、歩を進めた。 ――いつの間にか、夜はとっぷりと更けていた。戦いの煙の匂いは、やっと収まってきた。 「やれやれ、せっかく新調したスーツが汚れてしまいました」 「あ……」 そこで、思い出したように三歩ほど引き返し、瓦礫の上に落ちていた、彼のボロボロになった帽子を拾い上げる。 胸にぎゅっと抱きしめながら、小走りで彼の元に戻って、もう一度謝った。 「ほんとにごめんなさい! 私のせいで……」 「結構です。ですが、この次はありませんよ」 「はい……」 ぽん、と頭に手が置かれる。見上げると、キンブリーさんは正面を向いて、何食わぬ顔をしていた。 「……まあ、無事でなによりです。あんな男に連れていかれる前で、良かった」 こほん、と咳払いが聞こえた。次いで、びゅう、という風の音が。 「……貴女を、盗られる前で」 夜風が吹き、肝心な彼の声がかき消された。 もう一度聞き返したけれど、彼は口をつぐんでしまって、結局、最後の言葉は聞けずじまいだった。 ――けれど、今夜の三日月は、優しい光を放っている。キンブリーさんの横顔を、優しく照らしている。 淡い月光をふたりで浴びながら、ホテルの明かりを目指して歩いた。 Afterwordハガモバイベント『強欲なる旗の下に』が、グリードさん中心のデビネスの話だったので書きました。 |