金曜日、22時17分。
そんな、きっと浮世を満喫している皆々様ならばやれ飲み会だやれデートだとそれはそれは忙しいこと極まりないだろう、所謂花金のど真ん中。
世の中の大多数が軽やかな気持ちを抱えていると思われるその時間に、……私はというと。
「……らっしゃいませー」
閑静な住宅街にこじんまりと佇む全国チェーン店――もとい、コンビニエンスストアで、そんなやる気のない声を上げていた。たった今入ってきた客も、同じくやる気なさげに私の声を聞き流す。
プレミアムフライデーやら華金やら、そんなきらびやかなものからは取り残されてしまったかのようなこの空間では、なんだか酸素すらその重量を増しているかのように思えた。
私がこのコンビニでバイトを始めたのはつい先日のことである。
それまでは申し訳程度にバイトをしながら俗に言う就職浪人というやつをやっていたのだけれど、「いい加減身を立てなさい」という両親からの叱咤と共に実家を追い出されたのだ。正社員とはいかなくとも自分のことくらいは自分で養えと。
そんな耳に痛すぎるお言葉から逃げるようにアパートを借りたのが少し前の話で、このコンビニへ面接を申し込んだのが先月。それからは晴れてコンビニバイトの座を得、仕事に励んでいるというわけだ。とは言っても、毎日毎日商品入れ替えやら会計、接客と単純作業の繰り返し。これは中々苦行に近いものがあった。
「……はぁ……」
思わず溢れたため息に陰鬱さが滲んだのは、不可抗力というやつだろう。私悪くない、ストレス社会が悪い。一応、ほんの少々の焦りからあたりを見回しても、お客に聞かれた様子はないようだった。まぁお客と言っても今いるのは一人だけだし、その人も立ち読みしてるし、当たり前か。……いやでも、しかし。あんまりよろしくはないんだっけ、こういうのは。
コンビニでアルバイトを始めてから、はや半月ほど。まだ短いそれの中でも厄介な客の存在というのはなんとなくわかりはじめているのだ。特に深夜帯なんて尚更。
店長にも再三言われたけれど、若い女というのはその手の客の標的になりやすいらしい、全く迷惑極まりないことに。だから、もしもそんなのにため息でも聞かれようものなら――と考えて、身震い。とりあえずこれからは自制を働かせていこうと決めた。こちとら面倒ごとは御免である、優雅にフリーター生活を満喫していたいのだ。優雅とフリーターなんて言葉、天地がひっくり返っても結びつかない言葉のような気もするけど。
レジ台の中、そんなさして面白みもないことを考えていれば、先程まで立ち読みに耽っていた中年男性が会計にやってきたようだった。「アリガトウゴザイマース」微塵も感情のこもっていない音を吐いて、缶コーヒーをバーコードリーダーにかざす。
「156円になります」
「……」
「ちょうど頂きますね。アリガトウゴザイマシター」
結局最後まで一言も発さなかったその人が店内から出ていって、店内に取り残されたのは私一人きり。さて何をしたもんだろうかと考えつつ欠伸を落とした。ついでに大きなため息も。今はお客いないもんね、セーフセーフ。
深夜シフトに入る度思うのだけれど、割高な時給に対してこの時間帯のお客の数というのはとても少ない。その分面倒臭さは凝縮されているから、決して楽だとか得できているとかいうわけではないのだけれど、……何分暇である。
次からは雑誌でも持ち込もうかな、あ、モチロン求人誌。ぼんやり駄目バイトへの道に足を踏み出しかけていれば、自動ドアがウィンと鳴いた。どうやら冷たい夜風とともに新たなお客を連れてきてくれたらしく。
「らっしゃいませー」
気怠い挨拶を聞き流したそのお客は、銀髪天然パーマというなんとも強烈な頭髪をしていた。モッズコートに両手を突っ込みながら店内の暖気に息を吐いている。
その寒々とした様子に、つられて私も窓の外へ目を向ければ、なんだか冷気が目に見えるよう。……そっか、もう世間はもう10月にさしかかっているんだっけ。冬がゆっくり忍び寄ってきているわけか。
我が家とコンビニはかなりの至近距離だけれど、まだ10月といったって深夜の冷え込みは侮れない。一応今度からは上着でも持ってこよう、そうしよう――と、そんな風に迫り来る冬の気配へ備えを固めていた私の視界に、突如差し込まれるものがあった。視線を落とせば、そこにそびえていたのはピンク色。
「あ、スミマセン」
どうにも考え事に耽っているうち、天パの彼がお会計をしにきたらしかった。目の前に置かれたいちご牛乳をレジに通せば「あと肉まん一つ」私以上に怠そうな、一声。
「かしこまりましたー」
注文通り肉まんを取り出して、ビニール袋へ詰めていく。単純作業の最中、なんとなく「寒いですか、外」なんて尋ねてみた。天パは「そりゃもう」と。
「10月だってのに明け方まで真冬の冷え込みだってよ。お陰でスクーターに乗る気も起きねェ。おたくは歩き?」
「あぁ、はい、まあ」
「そりゃ覚悟しろよ、肉まんでも食わねェとやってらんねーからな」
外気を思い出してか眉根を寄せた天パ。その死んだ目を見る限り、どうやら外の寒さはかなりのものらしい。最悪。脳内を埋め尽くす憂鬱な気分を振り切るように口を開き、「お会計324円になります」そう天パへ視線を向けた。
「330円お預かりしますー」
まだ少し慣れないレジを操作して、お釣りを数える。その間胸元の名札へ天パからの視線が注がれているような気がした。なんかヘマしたらクレームでも入れられるのかな。意外とそういうのは気にするタイプのお客らしい。いや、意外も何も出会って数分なんだけれど。
ともかく、お釣りを渡して「アリガトウゴザイマシター」定型文を空気にとかす。ビニール袋を手渡す際、天パのコートの下からスーツがちらりと顔を出した。……ヨレヨレ。
皺の目立つそれから察するに、きっと彼もきらびやかに取り残された側の人間なのだろう。差し詰め疲れたリーマン……という名の社畜かな、あの目の死に様は。とまた失礼な想像を浮かべながら、自動ドアの開閉をぼんやり見つめる。
いやはやまったく世知辛いことだ、なんてその背を見送る22時49分。静まり返った店内では、本日幾度目かのため息が、また私から幸せを遠ざけていったのだった。
ストレス社会を生き抜きたい