ゆらゆらではなくバタバタという一定のリズムを刻みながら、私の尻尾は揺れていた。きっと見る人が見ればすぐに分かるだろう。
今の私はすこぶる機嫌が悪い。

現在の時刻は7時半を過ぎたぐらい。結局あのまま私は6時を過ぎるまでずっとぐずぐず泣き続けていた訳だが、遅刻をするだなんてことにはならなかった。単に寮生活で学舎がすぐそこだと言うことも理由の一つだが、他にも付随して来るものがある。
私にとって朝夢見が悪くて無くだなんてこと、日常茶飯事なのである。伊達にこれまでの月日をこの夢と付き合ってきていない。どれだけ泣きたいと思っていたって、本当に泣いていたって、これまで一度もそれが原因で遅刻したことはないのだ。

まぁそれは、幼馴染が私のストッパー兼タイマーと化しているおかげなのだが。きっと私ひとりじゃ毎日遅刻でもう退学になって居たかも。

だけど、いくら時間通りの行動が出来たって、私にはそうなってしまったものはどうしようもない。
若干の寝不足でいつも通り隈は濃く刻まれ、朝っぱらから一時間も泣いたせいで目は充血し、腫れている。人様に見せられた顔ではないけれど、だからといって私にどうこうできる事でもない。これだけは本当に、女子高校生としてあるまじき行動だと自分でも自覚はしている。だからといって、3年生の卒業前にもなってこれだけの理由で一日休めるほど神経の図太くない私は、まぁいつも通りに寮を出ていた。


「ホントあんた……今日はいつもよりもずっと酷いけど、自覚とかある?」

「や、もうほんと……花の女子高生が恥ずかしい…穴があったら埋まりたい……」

「まぁそんな顔して自覚無いとか言われてもビビるけどさ。」

「辞めて響香!!さすがにそんな顔とか、応えるから!」

生まれた頃、それこそ物心がつかない頃からの幼馴染である耳郎響香。これまでの3年間、一緒にヒーロー科で厳しい訓練に耐えてきた、私の親友である。
少なくとも私は親友だと認識している。


こんな風に巫山戯てみてはいるけれど、本当に自分がどれほど酷い面をしているのかという自覚くらいはあるのだ。だけど、本人が自覚していたって、嫌がっていたって避けることが出来ないのが夢の嫌なところ。そしてまぁ、それでも嫌いになれないのが私のダメなところ。
心無しか今日は周囲から寄せられる視線も鋭い気がして、自ずと私の声は小さくなっていく。勿論それと反比例で、尻尾のバタつきは大きくなっていく。
なんだかんだ言っても女子高生、恥じらいぐらいはあるのだ。苛立ちの方が大きいけれど。そんなふうに内心色々考えていた私を見て何を思ったのかは分からないけれど、響香は心ここに在らずと言った声音で声をかけてきた。


「まぁでも、昔よりはずっとマシになったんじゃない?」

「えー、そうかなぁ?前の方がまだ誤魔化し効いてたとこもあったけど、今じゃほとんど無いよ?」

ペコペコ頭を下げてくれる顔見知りの後輩にゆるゆる手を振ってから響香の方を向けば、彼女は何か言いたそうな顔をしていた。だけど首を振って何でもないと私にアピールしたあとに、再び先陣を切って歩き出してしまう。
前を向く寸前の響香が少しだけ泣きそうだった気がして、何があったのか、どうしたのかをまた聞こうとしたのだけれど、それは未遂に終わることになった。勢い良く背中に突っ込んできたお茶子によって。

「うぎゃっ!!…おはよ、お茶子。」

「もうっ!!おはよーさん!!2人とも酷いわぁ、置いてってたでしょ!?」

怒ると言うよりは幼い子供が拗ねるように、口をふくらませて見せたお茶子。それから暫く私たちは無言で歩いていたものの、依然その表情を続けるお茶子に響香はプッと吹き出した。
尚更お茶子は頬をふくらませ、私まで吹き出してしまう。じわじわとお茶子が耳まで赤く染めていく。結局私はそのまま、響香にさっきは何を言おうとしていたのかを聞くことも忘れて、三人で笑いながら教室まで向かうことになった。


この夢との共同生活ももうすっかり15年を迎えてしまった。最初の頃と比べれば私は、すっかり誤魔化すことが下手になったんじゃないだろうか。躊躇いが無くなったというのかもしれないけれど。
今日のこの目だって顔だって、きっとここに入学する前の私なら隠そうと必死になっていただろう。でも今はもう、隠す気も起きない。

私は、変わってしまったのだろうか。

「お前、今日顔酷くないか?」

「……轟さん、もう少しオブラートに包んだ方がいいかと思いますわ…」

「…何でだ?事実だろ。」

始業までの数分間、いつも通りに自席の前に座る2人といつものようにくだらない話をする。轟はまぁ1年の頃と比べるとかなり空気を読めるようになって来たけど、なんだか私に対しての遠慮はどんどんなくなっていく気がする。気を許したというよりかは、バカにされてる感が否めない。
対する百はもっともっと気遣い上手になった。轟とは正反対だ、もう。

だけどまぁ、この2人と話しているのは確かに居心地がいい。そうでなきゃ3年間席が近いってだけで私はこんなに気を許したりはしない。
二人は決して嘘をつくことなく、私に真実をくれるのだから。そりゃ居心地がいいとだって感じるだろう。

「あー、やっぱこの顔目立つよね。朝から歩いてるだけなのに異常者見るような目で見てこられてさー。たまったもんじゃないないっつーの。」

「…尻尾、揺れてる。」

「確か猫は不機嫌だと、リズムをつけて尻尾を揺らすんでしたっけ。」

「おっ!百もすっかり私の生態に詳しくなってくれたねー!三毛嬉しいよ!」

「私、前から猫には興味があったんですの。」

「猫可愛いもんねぇ。私が言うことじゃないけど。てか轟も、無言で手ぇ伸ばしてくんのやめてよ。」

「声に出すと嫌がるだろう?」

そりゃ嫌だよ、なんて、笑ってからチラリと時計を見て、私たちは各々の準備を開始する。予鈴がなる五分前に解散、これが言葉にはされていない私達の密やかなルールだ。
今日の1限は英語だっけ。朝からマイクの声は頭に響くからなぁだなんて考えていた時にふと、さっきの響香の表情が脳裏に浮かんだ。
何を言おうとしていたんだろう。今更本人に聞くのもなぁ。

机の中に筆箱やら教科書やら辞書やらが揃えられているのを確認した後は、ほんの少しの1人の時間だ。一人で何かを考えていると嫌でも夢のこと、相澤先生のことを考えてしまうから私はこの時間が好きじゃないけれど、生憎この教室は騒がしい奴らが揃っているのでそこまで不安に思ったことはない。
特に教室の前の方で騒いでる上鳴なんて、何度も飯田に注意を食らっている。懲りないなと少し冷めた目で見ながらも、やっぱり騒ぐ気分にはなれずに何となく時計を見あげた。

予鈴が成るまで、あと一分を切った。いい加減上鳴は準備を始めた方がいい。相澤先生にまた怒られるぞ。
あの人は大抵、というかいつも予鈴がなると同時にこの教室に入ってくる。そしてバカ騒ぎをしてる奴らに座れと促して、クラス全員と目を合わせるように教室を見渡す。
その時に、私たちは少しだけ長く見つめ合う。特別なことは何にもないのだけれど、私の胸はそれだけでも高鳴ってしまうのだから、厄介なものだ。
その後は予定を確認して連絡事項を告げて、終わり。ささやかな私の幸せの時間はそこで終わりを迎え、いつもと変わらない日々は始まる。


だけど、だけど今日は遅くないだろうか。
予鈴が、本来ならば美しいはずの音色が、今は耳を塞ぎたいくらいの不協和音に聞こえた。予鈴がなると同時に席に飛びついた上鳴が、セーフだなんだと何かを言っている。でも、よく聞き取れない。
先生が遅い、いつも時間通りに、どこまでも合理的な行動を心がける先生が、来ない。なんで、なんで先生、


机の木目がボヤける。異常な程に心臓の音が大きくなり始め、周囲のざわめきが徐々に遠退いていく。息が、うまく吸えなくなる。
喉の奥から、吐き損ねた息が歪な音になって零れ落ちた。一際音に敏感な響香が、近くに座る百と轟が、怪訝そうな顔をして振り返る。それぞれの目が見開かれて、その後に、多分私は名前を呼ばれたのだろう。

でも聞こえなかった。心臓のドクドクという音だけが、私を内側から喰い殺すようにして響き渡る。聞こえている。きっと、この音はみんなに、聞こえているのだ。

駆け寄ってきた響香の口がぱくぱくと、私の名前を呼ぶようにして動いていた。だけど腕が動かない。呼吸が上手く、できない。音が、聞こえない。何を思ったのか徐に時計を見て、一際大きく心臓が跳ねた。

予鈴がなるそれより、五分も先を行っている。だけど先生は、消太さんは、依然として教室に入ってこない。
徐々に周囲の音が戻ってきて、みんなの私を呼ぶ焦った声も聞こえてくる。だけどもう私には、呼吸を落ち着かせることも、いつの間にか流れ始めていた涙を止めることもできそうに無かった。それでも、必死で祈る。


止まって、どうか、どうか止まって。

この涙も、嗚咽も、過呼吸も、貴方が死んでしまう、夢も。どうか終わって。


頭の中を、白い布を顔にかけられたその人が過ぎって、私の手をとって優しく笑ってくれたその人が、照れくさそうな顔で頭を撫でてくれたその人が、いたずらっ子なような顔で手を繋いでくれたその人が、なんてことは無いような表情で私の腕を引いて抱き締めてくれたその人が、愛おしそうな顔で、声で名前を呼んでくれたその人が過ぎって、消えていって。

私はそっと、意識を手放した。


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