正座で誰かに怒られるだなんて、何年ぶりの体験だろうか。
雄英に入る前はよく無茶をして兄さんや響香に怒られていたけれど、それももう三年近く昔の話だ。こう見えても入学してからは、身の程を弁えるということを学んでいる。

逆光の中でも分かるくらいに怒っているらしい、私を見下ろすその人の表情に、思わず笑いが漏れる。抑えきれずに零れた笑い声にその人はまた、髪を逆立てて見せた。

「お前は本当にっ…!!怒られている時くらいちゃんと話を聞け。」

「うふふ、ごめんなさい先生。」

「はぁ……全く反省しているように見えねぇな。」

まぁ確かに見えないだろうなとは、自分でも思う。でもこれでも一応、反省はしているのだ。
よくよく考えてみれば、倒れた数時間後に授業に参加させてくれだなんて言いに来る私は、先生から見ても酔狂なものだろう。だから今こうやって怒られているわけであるし。

だけど、私が運動場に現れた時の先生の顔。
何でここに、とばかりに目を見開いて慌てたように駆け寄られてしまえば、きっと誰だって顔のニヤケは止まらなくなってしまうだろう。現に私の顔は始終ニヤニヤしている。重箱の隅をつつくようにして一つの感情がもくもくと湧き上がってくるのだ。

嬉しい。

先生がこんなに心配してくれることが、私と目を合わせて叱ってくれることが、今ここで先生と話せていることが、本当に嬉しくてたまらない。
気を抜いたら、それこそ泣いてしまいそうな程なのだ。泣きだしたら本当に危ないヤツになってしまいそうだから、それだけは気合で留めているけれど。

先生は怒られても尚ずっとニヤニヤしている私に呆れたのか軽く左右に首を振って、チラリと依然戦闘訓練の続くクラスメイトたちの方を仰ぎみた。言葉にされずとも、予感がする。私のことを置いてそっちに行こうとしてるんだ、と。
今だけは私を見ていて欲しいだなんて馬鹿みたいなことを考えながらも私は、先生の考えを断ち切ってしまうように口を開いた。その声を今だけは独り占めしたいだなんていう、馬鹿みたいな独占欲。
私はこの人の、ただの生徒なのに。

「ね、先生今日の朝どうしたんですか?先生には珍しく予鈴がなっても入ってきてくれなかったじゃないですか。」

「朝?…あぁ、昨日の夜久々にマイクの酒に付き合わされたんだ。」

「もしかして今も二日酔い?」

「そこまで酷くはないがな。」

そうですか、なら良かったと言おうてして…やめた。先生からしたら良かったってなんだとなるだろうし、今更じわじわとさっきの夢見先生の言葉が思い出されてきて恥ずかしくなってしまったということもある。

でも一番大きい理由としては、そういってしまえば自制が効かなくなるような、そんな気がしたからだ。
先生が無事でよかった、怪我をしていなくて良かった、何もなくてよかった、そんな馬鹿げた良かったはきっと、止まらなくなるだろう。それできっと私は泣き出してしまう。
この気持ちに名前をつけざる終えなくなってしまう。

もうただでさえも多くのものを背負ってくれている先生に泣いて喚いて縋って、きっと迷惑をかけるだろう。
きっと私はこの人に、

「……教室でお前が倒れてるのを見た時は正直、心臓が止まるかと思った。反省もした。」

「…え?」

最初はその言葉の意味も、飲み込めなかった。じわじわと痺れの回ってくる足に爪を立てて、何とか意味を噛み降そうとする。日差しが強い。視界がくらくらする。
先生の驚いたの意味が、反省もしたという言葉の意味が、どれだけ咀嚼して嚥下しようとしても、喉につっかえたようになってしまっている。見上げた先生が、逆光の中で私を見下ろす先生が、じわりと滲んだ。

「べ、別に…先生のせいじゃ、ないんだから、そんな……私が、悪いんですよ、だから……」

言い訳をするように口を開いてから、自分の声が震えていることに気付いて半分強制的に口を噤んだ。
あぁ、あぁダメになる。きっと次の言葉を聞いたら、この人の口からその言葉を聞いてしまったら、私はもうダメになってしまう。せっかく泣かないって、前を向くって、決めたばっかりなのに。

きっと私は、その言葉を聞いてしまったら、先生が好きなんだと認めざるおえなくなってしまう。

「それでも、心配するに決まってるだろ。驚きだってするし、お前の側に居てやれなかったことを反省だってする。」

息を大きく深く吸ってその言葉を聞き流そうとして、だけどやっぱり予想のとおりそんなこと出来るはずもなかった。たった1粒だけ零れたはずの涙が、次の瞬間には私の膝に、スカートに、シミを作り出していて、視界は尚更グチャグチャでピンぼけした曖昧なものになっていく。
せめてそれを見られないようにと両手で顔を覆って隠そうとしたけれど、漏れでる震えた吐息だけは誤魔化せるはずが無かった。もうそれを抑え込むことは諦めて、涙を止めようとすることもやめてしまう。
だっていくら泣いてたって、嬉しい、のだ。
心配してくれて、きっと、分かっているのに私を受け止めてくれて。好きでいることさえ、認めてくれようとしている。

顔を覆ってしまったから何も見えなくなってしまったけれど、先生がざっと私の隣に座り込む音がした。その気配が、ずっと近くなる。
やっぱり、やっぱり先生はずるい人だ。貴方は私にもっともっとと願わせるのが、うますぎる。私をいい気にさせて、泣かせて、そこに縛り付けるのが怖いくらいに、うまい。

「俺だって、心配くらいするし驚きもする。反省だってな。」

「もっ…!!な、何か、いも、言わなっ、い、で!!」

「お前はいつだって1人で背負い込むからな。いくら言い聞かせても、聞く耳の一つも持とうとしない。」

「だ、だってぇ…!!」

「……俺じゃあ、お前の抱えてるものを一緒に背負えないのか?こう見えてもお前の…担任なんだが。」

その言葉に、首を横にふることしか出来ない。
違うの、違うんだよ先生。一緒に背負うなんてそんなこと、言ってくれなくていいんだよ。私はもう貴方に、たくさんの、たくさん過ぎるくらいのものを貰ってきたから。貴方がここにいて、私の名前を呼んでくれて、私たちを、私を見守っていてくれるだけで、どれだけ私が嬉しいと感じるか。それにどれだけ、私が救われてきたか。支えられて、励まされてきたか。

私がそれだけで、どんなに幸せだと感じることが出来るか。あなたが生きているだけで、私がどれだけ幸せだと、思えるか。
何度貴方の存在のすべてに勇気づけられてきたか。

それはもう、言葉に出来ないくらいのだ。言葉にすることなんてきっと、一生かかっても出来ないに違いない。

「い、いきて…私は、わた、しはそれだけ、で…いい、いいの。しょう、たさん、が、生きててくれれば、も、それだけで、いいの。それだけで、頑張れる、の。」

自分でもわかるくらい支離滅裂なことを言っているし、あまつさえ名前で呼んでしまった。『私』がずっと夢の中で、もうどこにも居ない貴方を、二度と会うことの叶わないあなたを思って呼び続けた、その名前を。
私の言葉に動揺したのか、先生は微かに息を呑む。それから深く息を吐いた。
もしかして呆れられてしまったかと、私も動揺しながら少しだけ顔を上げた。涙は相変わらず、止まらないままだった。
でもそこにあったその人の表情は、想像とは全く違うものだった。涙が徐々に、というか突然引っ込む。さっきの先生と同じように、私も息を飲んだ。

「まさか、生徒にそんなこと言われる日が来るとは思ってなかったな。」

先生は、消太さんはすごく優しい顔をしていた。記憶の中の『私』を見つめる笑顔に重なってまた涙がぶり返しそうになったけど、それを必死で抑え込む。
これは、この表情は、そんな涙で曖昧な視界で見ていいものではない。きちんと澄み渡った視界で、見ておかないと。
夢の中の『私』にではなく、私に向けられる、その焦がれるくらいには優しい表情を。この胸に、刻みつけたい。

「今日は2人組を組んでの対人戦闘訓練。今お前が入ってもペアがいなくなるし、今朝倒れたばっかりでまだ本調子じゃないだろうから、見学だ。分かったな?」
「っは、はい…!!」

うまく丸め込まれたと思いながらも、そのままの優しい表情から目をそらすことが出来なかった。ドクドクと、心臓が暴れ回っている。頬が熱を持っているようなそんな感覚。
そうやって彼を見つめていれば、にゅっとばかりにその手が伸びてきて、若干身をすくませる。だけどその手はさっと頭に触れて、すぐ離れていってしまった。

「っあ、えっ、せんせっ!?」

「お前の言うとおり、今日からはお前のために俺は生きることにした。」

頭を撫でられたことに動揺してあくせくと目を回していた私になんの遠慮もなしに放たれたその言葉に、一瞬だけ耳を疑ってそれから、さっきとは違ってその言葉は簡単に飲み込むことが出来た。
コクリと、頷く。先生はそれを見て満足そうに頷いてまた私の頭を掠めるようにして撫でると、歩いていってしまう。
皆の声と、多分爆豪の個性の音、だろうか。真昼の日差しに重なって、私をじわじわと絆していくそれ。胸が暖かいものに満たされていくのに感じながらそっと先生が触れたばかりの頭に手を這わせた時、ぽろりと涙が、頬を伝った。

「せんせっ、そ、れ…ずる、い、よ、」

胸を抱いて、突っ伏して、呟く。
涙も止まらないのに、嬉しいと思う私も止まらないのだから、おかしなものだ。この、数分間だけで「もっと」を、求めることに対する躊躇いが無くなってしまった。先生を、好きだと、思ってしまった。


それから私は1人で、授業が終わるまで正座したまま泣き続けた。

きっと今日は、久しぶりに幸せな『私』たちの夢が見られるだろう。誰も欠けることのない、幸せな『私』たちの、夢が。


back