『私』たちは、確かに幸せだったのだ。
互いの手を取り合って隣を歩んで居られた日々は、『私』たちを十分すぎるくらい幸せにしてくれていた。今さらそれを否定することは、私には出来ないだろう。そうでなきゃこんなにも胸は痛くならないし、涙だって溢れてこないし、フィルム越しに見ただけの夢にここまで感情移入するはずが無い。
でも、分かってもいる。今まで見てきたものはただの夢であって、現実ではない。たとえ今から天地がひっくり返ったって、夢のとおりになることは無いだろう。
それでも人は、例え1度味わった幸せが夢の中のものであろうとも、知ってしまったそれを手放すことが出来なくなってしまう。夢でしかないものだとは理解していても、何処かで求めることをやめられない。その苦しさは、きっと私が一番分かっているのだ。

だって、まさに私が、そうだったから。

全てを話すのには少し、時間がかかった。勿論それは今まで響香に隠し事を続けた15年間に比べれば短い時間ではあったけれど、だからといって簡単なわけではない。ただただ客観的に話すことが出来たかと言われれば、そうでも無いだろう。
隠さなければならない理由も、隠した方がいい訳も勿論あった。だから私は黙っていた。それは私の為であり、響香の為であり、結局のところ誰の為でもあったのだ。言って良いことと悪いことと、この世の全てがその二つに分けられてしまうのであればこれは、言って悪いことの方に分けられることだった。それは誰から見たって、そうなのだ。
私たちはまだ若い。この先ヒーローになって、もしかしたら家庭を持つことになるかもしれない。そんな未来を響香が歩んでいくうえで、私の語った夢はきっと、彼女の心に残り続けることになるだろう。響香は優しいからきっと、どんな道に進んだって永遠に私の親友であろうとしてくれる。私の人に明かせない全てを、一緒に背負おうとしてくれる。そして私はいつか、響香の人生の重荷になる。
少し行き過ぎた考えだけれども、すぐにそこまで想像することが出来た。

泣きすぎて痛い目で見上げた時計の短針は12を過ぎたばかりだ。私の抱えていたこれまでの秘密を打ち明けるのに、これだけもの時間がかかってしまった。響香が知りたがっているのは私のこの先のことのはずなのに、それを話すまでにはもっともっとたくさんの時間がかかってしまうだろう。
きっともっとたくさん泣いて、たくさん傷付く。優しい響香の心を、私のエゴが引っ掻き回して傷だらけにしていくのだ。

「三毛は、その夢のとおりに先生が、本当に死んじゃうと思ってるの?」

「……思ってるよ。」

「どうして、そんな、」

「だって、それが私の個性だから。それは響香が、一番知ってるでしょ?」

どんどんマイナスな方向に傾いていく私の思考を察してか察しないでか、響香は予め用意していたコップに口を付けながら尋ねてきた。誘われるようにして私もコップを手に取り、一息で中のお茶を飲み干してからその問に答える。ある意味当然と言えるような言葉しか、返すことは出来ないが。

そういう個性、としか言いようがないことだ。
私の個性は予知夢。書いて文字のとおり、夢で未来を予知する。私が見た夢の中で雨が降っていれば翌日、もしくは近いうちに雨が降るし、私が見た夢の中で階段から落ちてしまったら本当に階段から落ちる。
難しそうに感じたって、簡単なことである。私の夢の中で死んだ人は、本当に死ぬのだ。
勿論、私が夢で見てしまったから死ぬのか、死んでしまうから私が夢に見るのかなんていう因果関係は、これっぽっちも私には分からない。ただ一つ確実なのは、私の夢の中に出てきた事象は殆どが現実でも引き起こされるというそれだけだ。
それを私はこの身をもって十分体験してきたわけで、今更夢が現実にならないとも思えない。15年間見続けてきた夢だなんてあまりにも、信憑性がありすぎる。起こらないことを願うよりも、起こった場合を想定した方がいいのだ。

「……信じたくない。先生が死んで、三毛は、三毛は……」

「私だって、信じたくなんてないよ。でも全部否定して有り得ないことだって決めつけて、その時になって後悔したくないの。今ならまだ全然間に合う。今なら私は、消太さんをまた失わずに済む。」

「三毛…」隣に座ってクッションを抱き締めていた響香が、それを放り出して抱き締めてくる。力強いそれに僅かに身動ぎしたのも一瞬で、肩にじわじわと伝わってくる涙に私も、その背中に腕を回していた。
今日だけでもう、何度響香を泣かせてしまったんだろう。これまでだってたくさん心配をかけて不安にさせてきたっていうのに、今日のはインパクトが他よりもかなりある。親友が、近々夢の中で自分が愛していた人を助けるために命を投げ出すかもしれないだなんて突然打ち明けてきたのだ。きっと私だって響香に急にそんなことを言われたりしたら、受け止めることも出来ずに泣き喚いただろう。
それでも響香は、こうなる気がしてたの一言で受け入れようとしてくれているのだ。ほんとうに、私にはもったいないくらい素敵な女の子。だからせめて、せめてこれぐらいの誠意は示させて。

「あれは夢の中の『私』の、助けてって声だから。」

そう思えるようになったのは、何時だったろう。混乱して泣き喚くだけじゃなくて、それをきちんと『私』の思いであり願いであると思えるようになったのは。
消太さんを助けて、私には守ることの出来なかった愛しい人を、どうかもう死なせたりしてしまわないでという、たった1人の『私』からのヘルプコール。いくら泣いたって叫んだってもう二度と返ってはこない日々を愛していた、確かに愛している『私』からの、十分すぎるほどに未来を変えられる可能性のある私への最初で最後の、たった1回きりの、ヘルプコールなのだ。私にはそれを無視することなんて、出来そうにもない。
同じ人間を愛して、同じように一緒に生きていける未来を望んだんだから。

あぁ、どうしてだろう。目の前が滲んで、歪んで、響香の頭がボヤけ出す。頬が濡れて、吐き出した吐息がわかりやすく震えていた。

「大好き、なんだ。誤魔化せそうにもないんだよ。こんなに好きになっちゃうなんて、私、思ってもなかった。」

先生の生きる未来のその先を望む私が、顔を覗かせる。『私』の生きられた未来を同じように望む私が、抑え込もうとする手を跳ね除けて外に出ようとしている。

そんな自分を押さえ込もうとした時、だった。

「本当は、いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってた。」

「…え?」

「三年前の入試の時、道がわからなくって先生に声かけたじゃん?あの時の三毛と先生見て…この人がいつか三毛のこと連れてっちゃうんだなぁって。この人がいつか三毛にとっての一番になるんだなぁって。それできっと三毛も幸せだって笑えるようになるんだ。そう思ったんだ、思っちゃったんだよ。」

「響香…」

震える声が、ポツリポツリと何かを懐かしむようにして吐き出されていく。背中に回された腕の力が、強くなった。

「三毛が先生のこと好きなのとか、三毛の夢に出てくる人が先生なのとかも、全部、気付いてた。……でもウチは、それを、認めたくなかった。」

気付いてたなんて、そんなこと。自分でだって今までこれっぽっちも認められそうになかったのに?認めることを恐れて、ここまでやってこれたはずなのに?

「…分かってないでしょ、自分で。」

「だって、そんな…どうして分かったの?」

「わかりやすいんだよ、アンタは。どれだけ一緒にいると思ってんのさ。生まれた時からずっと一緒だよ?わかんないわけ、無いじゃん。…ウチは、三毛の、親友なんだから。」

噛み締めるように呟かれた親友の言葉に何故か、鼻の奥がツンとした。別にここは泣くところじゃあ無いはずなのに。今までだって、お互いに、親友だと認めあってきたはずなのに、どうしてか分からないけれど今日は、その言葉が酷く重く心にのしかかってきた。
響香は黙りこくってしまった私のそんな胸のうちを察してか、認めたくなかったと、また言う。

「ウチ、最低なんだよ。酷いんだ。…三毛と先生が出会わなければ良かったのにって思ってる。そうすれば三毛にとっての一番はウチだったのにって、そうすれば三毛は泣かないで、苦しまないですんだのにって……」

腕に、ぎゅっと力を込める。今まで一緒に生きてきたのに初めて聞いたその、響香の心の底からの本音に頬を伝う涙がまた増えた。
この先もずっと一緒にいたいと思って、それから、罪悪感がこみ上げてくる。一緒に生きていくことはこの先、出来ないかもしれない。その可能性の方がきっと高いだろう。
でも私には、先生を見捨てて響香をとるだなんてこと、出来ないのだ。

「ごめんね響香。」

「うん、うん。」

「私にとって、響香はずっと一番の親友のままだよ。それだけはこの先何があっても、私がもし響香にとっての過去になっても、変わらない。…でもね。私もうきっと、ううん、絶対のこの先の人生で、消太さん以外の人を好きになんてなれない。響香の親友でいたいって思うのと同じぐらい、下手したらそれよりも強く、あの人の生きてる世界がいいって、思うんだ。」

私は、あの人が息をするこの世界で息をして、あの人の見たものを見て、あの人の隣で生きていきたい。それはもういくら響香が言葉を募ってくれたって絶対に変わりようがないことだ。
私はもう永遠にあの人以外の人を好きになったり、愛したりなんてできない。
あの人以外の人に、この身の全てを投げ出してでも幸せになってもらいたいなんて、思えるはずもない。
それは言葉にしなくても伝わったのか、響香はゆっくりと顔を上げると涙に濡れた瞳で真っ直ぐに私を見つめてくる。それから小さく、笑ってくれた。

「その言葉、信じるからね。ウチがずっと、三毛にとって一番の親友だから。…だから、ウチは、三毛の意思を尊重する。」

「ありがとう響香、」

「でも!」

「…でも?」

「おばさんたちには、ちゃんと伝えて。三毛がどういう覚悟で、何を思って、先生を助けようしてるのか。家族なんだから、伝えなきゃ。それをきちんと包み隠さず伝えるって言うなら、ウチは協力する。」

家族に全てを、包み隠さず伝える。それって凄く、難しいことだ。
壁にかけられた、兄に買ってもらった時計を見つめる。相変わらず淡々と時を刻むだけのそれを私に買い与えた時に兄は、一体何を思っていたんだろう。少なくとも、こんなことになるなんて思っていなかったはずだ。
あの時の兄も、父も、母も、きっと何だかんだ言って私のことを信じてくれたはずなのだ。私は、そんな家族の思いを無下にしようとしている。

それでも、やっぱり。

「分かった。明後日、家に帰る。それで全部、包み隠さず、話してくる。」

伝えられないまま終わるなんてやっぱり、そんなことは嫌だ。何を言われたってどんな風に泣かれたって、私は全てを、家族に話さなくちゃいけない。それがきっと、せめてもの恩返しなると信じなくちゃいけない。
私の言葉に響香はまた笑って、強く強く私を抱きしめてくれた。


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