時空神エンマ


「──なんだ、また来てしまったのか」
開け放ったままの執務室に一人佇む少年。
少年は、時空神エンマという。
彼の言う通り、ここに来たのは初めてではなかった。
彼はフッと笑って言った。
「別に責めているわけではない。お前のいる時代は……──年だったか。元の時代には帰してやろう。……だが、そう急ぐことでもあるまい。少しゆっくりしていくといい」
彼が座るよう目で促すのに従い、名前は部屋の中のソファへと腰掛けた。
「──さて、」
いつの間にか隣に時空神エンマがいて、名前は少し驚いてしまった。
時空神エンマは少し笑って言った。
「オレの動きにまだ慣れないのだな」
「いや、私じゃなくても慣れないと思います……」
時空神エンマは時を操る能力を持っている、らしいのだがよく瞬間移動のようなことをするので名前の心臓に悪い。
「何か土産話はないのか?」
「え? そうですね……」
名前が地元のローカルニュースや、最近行った美味しかった店など他愛のない話をするのを、時空神エンマはほう、そうか、などと言いながら聞いている。
「それで、この前新しくできたカフェに行ったんですけど、ケーキと紅茶がすごく美味しくて、あの……」
「ん?」
名前がちらりと時空神エンマのほうを見ると、彼も名前を見て言った。
「なんだ?」
「時空神エンマは……私の時代に来ることはできるんですか?」
「それは、もちろんできるが……」
首をかしげる時空神エンマに、名前は言った。
「今度、一緒に、お茶でもどうかなと……」
かなり勇気を出して言ったつもりだが、語尾はそれに反して小さくなっていく。
と、隣から盛大な笑い声が聞こえた。
「ハハハハ! 神であるこのオレを茶に誘うか!」
「す、すみません……」
「フフッ、まあ、いいだろう。暇つぶしの礼だ。付き合ってやろう」
「本当ですか!」
ぱっと名前の顔が輝くのを見て、時空神エンマは目を細める。
「……ああ、そうだな、そろそろ元の時代に帰してやろう」
「あ、はい。お願いします」
「オレの手を握って……離すのではないぞ。時の狭間に落ちればオレでも探すのに苦労するからな」
「はい」
ぎゅっと手を握って、目を瞑る。
空間を移動している感覚はどうにも慣れない。
自分の存在が曖昧になるような不安に、そっと目を開くと、時空神エンマと目が合った。
「なんだ、怖いのか。……落としはせぬから安心しろ」
フッと時空神エンマは微笑んで、名前の体を抱き寄せる。
シャラリ、シャラリ、と時空神エンマが手に持つ錫杖が揺れる音がする。
周りの景色がものすごいスピードで移り変わっていく。
目で追うことなどできるはずもなく、名前は時空神エンマの腕の中で、そっと目を閉じた。


時の狭間にそびえ立つ宮殿。
名前が初めてここに来たのはいつのことだったか。
途方に暮れた顔で座り込んでいたのを覚えている。
無理もあるまい。
妖怪でさえここに辿り着くことは稀なうえに、名前はただの人間だった。
時空の歪みから生じたか細い道。
名前はそれに偶々迷い込んでしまったようだった。
間違いは正すのみ。
すぐに名前を元の時代に帰してやった。
それで終わるはずだった。
しばらく経った頃、宮殿の中庭でオレの名を呼ぶ声がした。
最初の繋がりの道は閉じたはずだが、別の道ができていたようだった。
名前が来るたびに道を閉じていっても、また新しい道ができる。
完全に名前との繋がりを断ってしまえばいいのだが、そうはしない自分に少し苦笑いする。
「人間と縁を持つなど、オレらしくはないが……」
ほんの一瞬交わる線を楽しむのも悪くはないだろう。
思い出すのは名前の笑顔。
ときおり、ざわりと、自分の心の奥のほうで──
──このまま帰さなくともよいのではないか。
囁く声が聞こえることがある。
名前とともに、ここで永遠の時を過ごす。
それも悪くはないのかもしれない。
だが、永遠に続く時が、どれほど孤独なものであるか、時空神エンマは知っている。
だから、甘美にも思える願望は心の奥底へと封じ込めるのだった。


end