「トリック・オア・トリート!」
元気な声とともに手を差し出す子供に、名前はお菓子を手渡した。
ハロウィン当日。
パレードが行われる予定の街道は仮装をした人々で賑わっていた。
名前は列には混じらず、ただその様子をぼんやりと眺めている。
どこか所在無さげなのは、彼女を誘った友人が急に来れなくなってしまったからだ。
帰ってしまってもよかったのだが、せっかくなのでパレードだけは見ていこうと思ったのだがーー。
辺りを見渡せば、大人に子供同士、親子連れにカップル、誰もが楽しそうに笑っている。
たまに先ほどのように、お決まりのセリフを言ってくる子供もいて、そのときは用意していたお菓子を手渡すのだった。
また一人、名前へと近づいてくる人影があった。


「ーートリック・オア・トリート」
不思議な格好をした少年だった。
思わず「何の仮装なの?」と名前は声を掛けてしまう。
「エンマ大王だ。地獄にきたときはよろしくな」
にやりと笑う少年のその様がやけに似合っていて、名前はドキリとした。
「えっと、はい、これ」
用意していたハロウィン仕様のお菓子を手渡すと、少年は物珍しそうにそれを掲げて見ていた。
「これは……?」
「チョコレートだよ。あっ、クッキーのほうがいい? 飴もあるよ」
名前がごそごそとお菓子袋の中を漁っていると、少年はふっと笑って言った。
「いや、これでいい。ありがとな。……そういえば、オレもお菓子を持ってきているんだが」
少年もお菓子を人に渡したいのだろうか。
そう思い、名前は今日何度聞いたかわからないそのフレーズを初めて口にする。
「あの……トリック・オア・トリート」
名前の台詞に、少年が笑みを深くする。
「すぐに食べろよ」
少年が名前にお菓子を手渡しながら言う。
「え?」
「またな」
そう言って、次の瞬間、少年の姿はもうなかった。
走って人混みの中へと消えてしまったのだろうか。
どこか不思議な気持ちになりながら、名前は手のひらの中のお菓子を見る。
形や大きさから一口サイズのまんじゅうのようだった。
包装紙には「王」のような文字が描かれている。
(生ものだからすぐに食べろってことかな)
名前は包み紙を開けて、それを口にする。
ーー人混みの中から一瞬にして消えてしまった名前に気づく者は、誰もいなかった。


「へ?」
目の前の景色の変化に、名前は間抜けな声を出す。
「ーー来たか」
呆然としていた名前は、声のしたほうを見やる。
玉座に腰掛けるその姿には見覚えがある。
だが、その姿はまるでーー。
「え、エンマ大王……?」
「そうだって言っただろ」
クスクスと少年ーーエンマが可笑しそうに笑う。
「大王様、あまり人間をからかうものではないかと」
長身の青年がエンマに声をかける。
「いいじゃねぇか、ぬらり。今日はハロウィンなんだしさ」
状況が飲み込めない名前に、ぬらりと呼ばれた青年が言った。
「聞け、人の子よ。汝は今年のハロウィンの「一日エンマ権」を獲得した。人の身に余る僥倖(ぎょうこう)であり……」
「ああ、ぬらり、もういいぜ」
「いえ、これがどれだけ光栄であることかを詳しく説明を……」
「行こうぜ、名前」
「あっ、」
エンマが名前の手を取り、走り出す。
後ろのほうで、ぬらりがエンマ大王を呼ぶ声が聞こえた。


「ぬらりはいい奴なんだけどさ、話が長いんだよなぁ」
廊下を歩きながら、エンマがぼやくように話す。
まだ状況の飲み込めない名前は、頭を整理するようにエンマに話しかける。
「あ、あの、ここって……」
「エンマ離宮だ。最近はこっちにいることが多いな」
(こっちってどっち……?)
エンマ離宮の場所を聞くと、ニュー妖魔シティだと返事が返ってきた。
(ダメだ、余計にわからない)
「私は、なんでここに……?」
歩いていたエンマがぴたりと立ち止まる。
名前の顔を見て、エンマが言った。
「ハロウィンって、人間界では楽しいもんなんだろ?」
「まあ……お祭りみたいな感じだよね」
「お前、あんまり楽しくなさそうだったからさ」
図星、というような顔をした名前を見て、エンマが笑った。
「ここは楽しいぜ!」
エンマの自信に満ちた笑顔が名前にはやけに眩しく見えた。


エンマ離宮の中や、ニュー妖魔シティの中をエンマと一緒に歩いて回り、一日はあっという間に過ぎていった。
「エンマ大王様、名前様、入浴の準備が整っております」
使用人らしき妖怪が声をかける。
エンマが「もうそんな時間か」と呟いた。
「行こうぜ、名前」
「え? う、うん」
手を引かれて、また歩き出す。
今日は何度もこんな風に手を繋いで、エンマと歩いているような気がする。
どこか慣れずに緊張してしまうのは、きっと私だけなのだろう。
「じゃあ、また後でな、名前」
離れる手の感覚に、少し寂しさを感じた。
案内されるままに名前も別の浴室へ向かう。
湯船には綺麗な花びらがたくさん浮かべられていて、浴室中に良い香りが漂っていた。
湯に浸かると心地よい感覚と優しい香りに疲れが癒されていく。
それと同時に、だんだんと終わりが近づいてくる時間に、どこか物寂しい気持ちになってくる。
「楽しかったな……」
ぼんやりと今日一日のことを思い返す。
初めは何がなんだかわからなかったが、エンマが妖魔界のこと、人間界や妖魔界で暮らす妖怪たちのことを少しずつ教えてくれた。
妖怪と人間が仲良くできる世界を目指しているということも。
(まだまだ話聞きたかったなぁ)
お風呂から上がり、用意してあったパジャマに袖を通しながらそんなことを思う。
浴室を出ると、待機していた使用人に寝室へと案内された。
「こちらがエンマ大王様の寝室でございます」
広々とした寝室の中央にはキングサイズの天蓋付きのベッド。
思わず感嘆の溜息を漏らす名前に、使用人が言った。
「本日エンマ大王様は客室にてお休みですので、名前様はこちらでお休みください」
使用人が部屋を出て行くと、残されたのは広い寝室に名前一人。
ますます寂しい気持ちになりながら、名前は天蓋から降りるカーテンをそっと開いた。
「……えっ、エン……」
しーっと、ベッドの中から人差し指を立てるエンマ大王がそこにいた。
「な、なんで、ここに……」
驚きで叫びそうになった声を抑えながら、名前はエンマに言った。
「また後で、って言っただろ。ーーだって、まだまだお前と話し足りねぇし」
にっと悪戯っぽく笑うエンマに、名前もつられて笑みがこぼれる。
「そういえば……」
エンマが何かを思い出したように呟く。
「まだ今日はハロウィンなんだぜ」
言われて、部屋の時計を見ると、時計は間もなく12時を指そうとしていた。
「ーートリック・オア・トリート?」
エンマが、出会ったときと同じ台詞を言った。
「え? えっと……」
お菓子はーー持っていなかった。
「お菓子がないなら……悪戯だな」
エンマが楽しそうに笑う。
手を引かれて、ベッドに倒れこむ。
ちゅっ、と頬に柔らかい感触。
「っ、……」
キスをされたのだと、顔がじわじわと熱くなってくる。
「名前は?」
言われて、反射のように言葉を返した。
「……トリック・オア・トリート」
「残念、オレもお菓子持ってないんだ」
エンマがどこか楽しそうに言いながら、目を瞑る。
赤い顔のまま、名前はお返しにとエンマの額にキスを落とした。


それからは他愛のない話をしながら、いつの間にか名前は眠ってしまってーー。


「ーー名前?」
「え?」
はっと気づくと、友人が名前の肩を叩いていた。
ざわざわと賑やかな声がそこかしこで聞こえる。
「どうしたの? ぼーっとしてたよ」
名前はきょろきょろと辺りを見渡す。
もうすぐハロウィンパレードが始まろうとしている。
「え、エンマ大王が……」
「エンマ大王?」
「えっ、ていうか、風邪引いて来れなかったんじゃ」
「? 私は元気だよ。もう〜、実はちょっと寝てたでしょ」
友人が冗談めかして笑う。
「あっ、ほら、パレード始まるよ」
「う、うん」
友人の後を追いかけるようにして、名前も歩き出す。
(夢……? 本当に……?)
今でも鮮明に浮かぶエンマとともに過ごした記憶。
胸の奥に灯る温かい感情。
また会いたいと思えば会えるのだろうか。


end