妖魔界の王ーーカイラは、唐突に名前の目の前に現れた。
(妖怪の世界で一番偉い人ってことだよね)
そんな人物が私に何の用なのだろうと名前が身構えていると、カイラは名前に一通の封筒を差し出した。
「酒呑童子に渡してもらえるか」
「酒呑童子に?」
「お前からなら受け取るかと思ってな。頼んだぞ」
「あっ……」
そう言うと、カイラは目の前から一瞬で姿を消してしまった。
「そう言われても……」
名前はぽつりと呟く。
酒呑童子とは好きなときに会えるわけではない。
先日友達になった証にアークを貰ったものの、これで酒呑童子を呼び出せるわけでも、連絡を取れるわけでもない。
あっ、と名前は思いついたように声を出した。
「ナツメちゃんなら呼び出せるのか」
「ーー姫のお手を煩わせるまでもないが」
「わあっ!?」
至近距離から声が聞こえて、名前は言葉通りその場で飛び上がってしまった。
「び、びっくりした……」
ドキドキとする心臓に手をあてながら酒呑童子のほうを見ると、名前の声がうるさかったのか片方の耳に手を当てながら酒呑童子が言った。
「それはこちらの台詞だ」
「い、いやいやっ、なんでここにいるの?」
「強い妖怪の気配がしたからな」
「そんなのもわかるんだ」
へぇ、と感心していると、酒呑童子が言った。
「大王が、何の用だったんだ?」
カイラと名前のやり取りまでは見ていなかったのだろう。
酒呑童子の問いに、名前は返事の代わりにはい、とカイラから受け取った封筒を差し出した。
「これ、酒呑童子に渡してほしいって」
「そうか」
酒呑童子はそう言って名前から封筒を受け取ると、中身も読まずにその場で破り捨ててしまった。
「えっ? あっ、あのっ、カイラ様って、妖魔界の王って」
「知っているが」
動揺する名前に対して、酒呑童子は涼しげな声で返事をする。
「は、反逆罪とかにならない?」
破られた手紙を見てオロオロする名前に対して、酒呑童子はすました顔のままである。
「そんなことは……」
「え……?」
手紙の紙片から強い光が漏れ出して、その光は名前を包み込むように輝きを増していく。
「なっ……」
酒呑童子が光に包まれる名前を掴もうとしたときには既に遅く、その場から名前は光に溶けるようにして姿を消してしまった。



気づけば執務室のような場所にいた。
「ーーまあ、予想通りだったな」
執務室の机から立ち上がったカイラが名前のほうへと歩いて向かってくる。
「え? か、カイラ様……?」
状況が掴めない名前に、目の前まできたカイラが言った。
「酒呑童子に手紙を渡してくれたのだろう」
「そうですけど、あの……」
渡した手紙は破られて読まれることはなかったのだ。
なんと言えばいいのかと口ごもる名前に、カイラは気にするなと言った。
「君がここにいるということは、手紙が読まれていないことも承知している」
「え?」
「そういう術をかけておいたのだ。じきに酒呑童子もここに来るだろう。それまでゆっくりしているといい」
カイラはそう言うと、また執務机へと戻っていった。
使用人に案内されて、客用のテーブルとソファに腰掛ける。
テーブルの上に出されたお茶とお菓子を食べてもよいものなのかと悩んでいると、テーブルにふっと影が落ちる。
「私も休憩を取ることにしよう」
カイラはそう言うと、名前の隣に腰掛ける。
「食べないのか?」
「い、いただきますっ……」
カイラにそう言われれば食べないわけにはいかないと、一口サイズのお菓子を口に入れる。
「あ、美味しい」
思わずぽろりと漏れ出た言葉に、カイラは隣でふっと笑った。
「そうだろう。客人のために取り寄せた菓子だからな」
そう言ってカイラもお菓子を口に運ぶ。
もぐもぐと二人でお菓子を食べて、時折茶を啜る。
側から見ればどこかのどかな光景だが、隣にいるのは妖魔界の王である。
ふと名前は思った。
(酒呑童子が来なかったらどうなるんだろう)
名前の不安が顔に出ていたのだろう、カイラが名前の顔を見て言った。
「酒呑童子が来なくとも人間界には帰すから安心しろ。まあ、来ないことはないと思うが」
「そうでしょうか……」
「なんだ、案外信用されていないのだな、あの男は」
カイラが少し可笑しそうに言った。
「……私、あまり酒呑童子のこと知らないんです」
名前の言葉にカイラがなんでもないことのように言った。
「知りたいのなら、教えてやろうか」
「え?」
「知りたいのだろう。あの男のことをーー」
青と赤が混じった瞳に見つめられて、射抜かれたように動けなくなる。
と、ドアの向こうから誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
「おい! どういうつもりだ!」
ドアを蹴破るようにして酒呑童子が室内へと入ってする。
「君の不安は杞憂だったな」
ふっとカイラが微笑んだ。
酒呑童子は客用のソファで寛いでいる二人を見つけて一瞬面食らったものの、カイラに食いかかるようにして言った。
「オレへの用なら、名前は関係ないだろう」
「お前が中身を読んでいれば済んだ話だ」
涼しい顔でそう言うカイラに、酒呑童子は苛立たしげに言った。
「あの件はもう断ったはずだ」
「そうだな。お前が私の元で働いてくれれば心強いとは今でも思っている。だが、手紙の内容はその件ではないぞ」
「何?」
「空亡の件は解決したとはいえ、まだ妖魔界も完全に元通りになったわけではない。不安定な情勢に乗じて悪事を働く者も多い。妖魔界はまだなんとかなっているが、人間界まで手が回らないのが現状だ」
「で、オレに何をしろって?」
「別に難しいことではない。人間界で起こった妖怪の不祥事を解決してもらいたい。まあ、妖怪探偵団のフォローが主になるだろう」
「……断ると言ったら」
「別に構わないが。お前は完全に自由の身ではないことを自覚したほうがいいな」
「なら、さっさと捕まえたらどうだ?」
酒呑童子が挑発するように両手を上げる。
カイラは目を釣り上げて言った。
「投獄するのは簡単だ。……そうやって話を逸らすな。お前の処遇については審議中だ。この話を正式に受けるのならば、悪いようにはしないと約束しよう」
「随分甘いんだな、カイラ大王様は」
「私は私のやり方で妖魔界をよくしたいと思っている。そのためにお前の力が必要だと言っているんだ」
カイラの真っ直ぐな視線に、酒呑童子はお手上げだというようにまた両手を上げた。
「……わかった、協力しよう。姫の望みは、姫の生まれた世界を守ることだしな」
「感謝する。それと、名前」
「はい?」
唐突に自分の名前が呼ばれて、名前はきょとんとした顔をする。
「お前にも協力してもらいたいことがある」
「私に、ですか?」
おい、と酒呑童子が横やりを入れる。
「名前に何をさせるつもりだ」
「難しいことではない。これを」
カイラが名前に手渡したのは、時計だった。
酒呑童子が驚いた声で言った。
「妖怪ウォッチエルダだと? 何故ここにある」
「量産型の試作品だ。君にはモニターになってもらいたい」
「私がですか?」
「ああ。君のように元々妖怪が見えない者に試してほしいのだ」
そう言って、カイラは妖怪ウォッチエルダの使い方を名前に説明する。
「現存の妖怪ウォッチと違うところはーーワンチャンサイドが使えるところだ」
「ワンチャンサイド?」
「ああ。過去のウォッチを元に復元した機能だ。呼び出した妖怪の力をランダムで一時的に強化する効果だと聞いている。ここまでで何か質問は?」
何となく妖怪ウォッチの使い方や機能は理解したものの、妖怪ウォッチを普段の生活で使うことがあるのだろうか。
名前の考えを読んだようにカイラが言った。
「君が思っている以上に、妖怪は人間界に多く存在している。何かいつもと違うことが起こったら、それは妖怪のしわざかもしれない。難しいことは考えなくてもいい。召喚システムだけでも試してみてもらえると助かる。ワンチャンサイドが実際にどういうものかも気になるしな」
「私でできることなら、やってみます」
「これをやろう」
手渡されたのは、カイラのアークだった。
「妖怪を呼び出すにもアークが必要だろう。呼び出しに応じることができないこともあるだろうが、何かあれば遠慮なく呼んでもらって構わない」
「あ、ありがとうございます」
(大王様のアーク貰っちゃった……)
まじまじと手の中のアークを眺めていると、酒呑童子が苛立たしげに言った。
「話は終わったか? 帰るぞ、名前」
「えっ? ちょ、ちょっと……」
酒呑童子は名前の手を取ると、引っ張るようにして出入口へと向かっていく。
「し、失礼します……!」
名前が挨拶をすると、ああ、とカイラは返事をした。
まるで連れ去るようにして名前を連れていく酒呑童子をカイラはどこか呆れた様子で眺めていた。


end