ーー酒呑童子様……。
誰の声だろう。
炎に包まれながら消えゆく一人の男。
共に燃える桜の木。
男の視線の先には剣を持ったまま静かにそれを見つめる酒呑童子の姿があった。
「しゅ……」
酒呑童子、と名前が声を出す前に景色が切り替わる。
燃え尽きた桜の木の骸の下に、男が立っていた。
男が名前に視線を向ける。
引き寄せられるように歩いていって、顔が見える距離まで近づいたところで、名前は先ほどの光景を思い出す。
炎の中に消えゆく男はーー彼と同じ顔をしていた。
男が何か言った。
「ーー」
「え……?」
枯れたはずの桜の木からざっと花びらが舞って、彼の声がかき消される。
もっと近づこうと足を踏み出したところで、名前は誰かに手を引っ張られるような感覚を感じて、そこでその世界は途切れた。


「ーー何を寝ぼけているんだ」
すぐ横から酒呑童子の声がして、宙に所在なく浮いた名前の手を酒呑童子の手が掴んでいた。
「……あ、酒呑童子……?」
「ああ。なんだ、悪い夢でも見たか?」
名前はまだ少しぼんやりとした目を酒呑童子に向けながら、ふるふると首を横に振った。
「桜の木の下に、酒呑童子と……もう一人男の人がいて……」
名前の言葉に酒呑童子は思わず息を呑んだ。
「ーーどんな夢を見たんだ」
酒呑童子に問われて、名前は覚えている夢の内容を話すと、酒呑童子が顔を曇らせて言った。
「それは……オレが洞潔を斬ったときの……だが、なぜ名前がーー。夢の中の男はどんな姿をしていた?」
夢で見た男の特徴を話すと、それは酒呑童子の知る洞潔と一致していた。
「……それで、洞潔は枯れた桜の木の下に立っていたのか」
名前が頷くと、酒呑童子は考え込むような表情を浮かべた。
「オレは……今からそこに行く」
「えっ? 酒呑童子、体調は……」
「よくなった」
「本当に……?」
心配そうに酒呑童子を見る名前に、酒呑童子はふっと微笑んで顔を近づけて、額と額を合わせて言った。
「熱はないだろう」
「えっ? えっと……熱はない、のかな……?」
熱くはない気がするが、正確な体温がこの方法でわかるかどうかは疑問である。
「なら問題ない」
なんだかだまされた気になりながら、名前はもう一度酒呑童子を見た。
「あの、私も行ってもいい?」
名前の言葉に、酒呑童子は一つ瞬きをして、言った。
「……洞潔に関することだ。オレ一人で行く」
予想はしていた答えに、名前はそうだよね、と返した。
「えっと、気をつけてね」
「ああ。……家までは送ろう」
本当はすぐにでも行きたいのだろう。
そんな気持ちがわかって、名前は大丈夫と言って首を振った。
「来るときはカイラ様に送ってもらったから、また迎えにきてもらうよ」
カイラと聞いて、酒呑童子は一瞬眉をひそめたが、すぐに表情を戻して言った。
「なら、そうしてくれ。……行ってくる」
「いってらっしゃい」
名前が手を振ると、すぐにその場から酒呑童子の姿が消えた。
一人部屋に残された名前は、じっとそうしていても仕方がないので、ゆっくりと立ち上がった。
酒呑童子にはああ言ったが、名前はわざわざ忙しいカイラを呼び出す気はなかった。
(道なら覚えてるし、宮殿まで戻ればうんがい鏡で帰れるよね)
横になっていた布団を綺麗に整えて、名前は玄関から家の外に出た。
上を見上げると、不思議な色合いをした妖魔界の空が目に入る。
人間界と似ているようでどこか違う、幻想的な雰囲気の街並みを眺めながら、名前は来た道を歩いていく。
背後から近づいてくる人影に名前が気づくことはなかった。